貞山運河について学ぶ | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。!(^^)!

 

今日は、ふれあいエスプ塩釜で開催された「親子で学ぶ貞山運河歴史教室」に参加して来ました。

 

私も「貞山掘」にはあんまし詳しくなかったので、行って参りました。

 

みなさんは「貞山掘」ってご存知でしょうか?そもそも、この「貞山」って何だかわかります?

伊達政宗に詳しい人だったら、チャンス問題みたいなものかもしれませんが、「貞山」というのは

伊達政宗が亡くなってからの「戒名」である「瑞巌寺殿前黄門貞山利公大居士」から来ています。

代々、伊達家の方々の戒名は「○山」って言うんです。2代藩主忠宗は「義山」、3代藩主綱宗は「雄山」

ってな具合です。

 

さて、それでは「貞山堀」ってなんなのか?簡単に説明をしますと、

 

仙台城を築城するに当たり、大量の材木が必要になりました。当時、阿武隈川周辺で切り出した材木を仙台城のある青葉山まで運ぶために、政宗は「木曳掘」という人口の堀を作ったのです。

これにより、阿武隈川→亘理郡荒浜→名取郡閖上→名取川→広瀬川→仙台城といったルートです。

 

政宗の時代には、この「木曳堀」だけだったのですが、4代藩主綱村の時代に、塩釜と七北田川河口の

蒲生とを結ぶ「御舟入堀」を作りました。これは、塩釜の港から米や物資を仙台城下まで運ぶためのものでした。江戸時代に作ったのは、ここまでで、あとは明治になってから七北田川~名取川間の「新堀」、

野蒜築港に連動した形で北上運河と東名運河が作られるんですね。

 

この総延長49kmにも及ぶ運河全体を総称して「貞山運河」と呼んでいます。

(厳密にいうと、東名運河と北上運河は貞山堀には含まれないのだそうです)

 

今では、仙台港が出来上がってしまったために、「御舟入堀」は途中で途切れてしまっているんですが、

塩釜の牛生町~多賀城の大代辺りに名残を確認することが出来ます。

 

水運が大量輸送のメインだった江戸時代には重要なツールの一つだった「貞山掘」。富国強兵、殖産興業などの政策を推し進めた明治新政府の大久保利通の肝入りでスタートした「野蒜築港プロジェクト」も

志半ばでとん挫、時代の波は鉄道に切り替わり、今ではその役目はフェードアウト。

 

ただ、歴史的土木資産としての価値は高く、注目を集めているのもまた事実なのです。

 

なぜ、今こんなに「貞山運河」注目が集まっているというか、力こぶが入っているのかと言うと

2018年10月26日~27日にかけて、「全国運河サミットinみやぎ」という運河会をあげての一大イベントが開催される予定なのだそうです。

 

今、火付け役ともなっている「ブラタモリ」の影響で、「運河」ファンや「堀」ファンっていうのがけっこういるんだそうで、人気上昇中なんですと。

 

ところが、このサミットを前にして、全国からいらっしゃるお客様に対して、説明が出来るような人材が不足している。なので、「えー、時間無さすぎじゃん」って思うんだけど、人材育成と言うか、掘り起こしにやっきになっているというのが実情のようです。(特に若い人ね)

 

今日のセミナーも、出席者のほとんどは年齢が「60OVER」の人達ばかり。

 

シルバー世代は元気だねえ~、勉強意欲もハンパない。

 

だけど、もっと若い人たちはどこに、興味ないから、仕方ないのかな、、、。(-_-;)

 

どこでもだけど、こうした文化的なイベントやボランティアなどに関心を示してくれる若者って

いったい、どこにいるんだろうかねえ~。