秀吉と政宗の年齢差は、ONと清原とほぼ同じ! | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。!(^^)!

 

明日あたりから全国的に寒波到来みたいですよ~。皆さん、心して掛からないとねえ。

私の手術もあと4日に迫ったわけなんですが、無事終わってくれればいいなあ~。(-_-;)

 

さて、伊達政宗に関して、「遅れてきた戦国武将」とか、「あと10年早く生まれていれば天下を狙えた」

というフレーズ、良く聞きますよね~。

 

果たしてこれって、実際のところはどうだったんだろう!?リップサービスなところもあるんでしょうし、

まあ、可能性の話として無くは無いっていうひいき目の見方もあるかもしれません。

 

今日は、分かりやすく皆さんがよく知っているプロ野球選手の年齢で比較してみたいと思います。

 

伊達政宗が小田原の豊臣秀吉のもとに参陣したのが、1590年(天正18年)のことでした。

 

このとき、秀吉53歳、家康47歳、もし生きていたら信長56歳、政宗はというと、弱冠23歳。

実に、秀吉との歳の差は30歳ということになります。

サラリーマンに例えると、まさにバリバリの部長か役員クラスと新入社員ほどの差になるんですかね。

 

これを、プロ野球選手に例えてみると、

 

日本のプロ野球界において、超有名なメジャーどころと言えば、「ON」こと長嶋茂雄さんと王貞治さん、同年代と言うことで言えば野村克也さんでしょうか?

 

この人たちと今となっては話題にするのも少々気が引けますが、清原和博さんを年齢比較してみると、

 

長嶋さんが30歳の頃、王さんが26歳、野村さんが29歳、そしてその時清原さんは、、、。

実を言うと、まだ生まれていない。単純に長嶋さんと清原さんの年の差は31歳。

生まれた月にもよるけどほぼほぼ30歳の年齢差。

 

そう、これは小田原参陣した秀吉と政宗の年の差と同じになるのですね。

 

じゃあ、長嶋さん、王さん、野村さんの当時の成績を長嶋さんが30歳の時をベースに見てみると、

 

長嶋茂雄 打率.344 本塁打26本 打点105

王 貞治  打率.311 本塁打48本 打点116

野村克也 打率.262 本塁打46本 打点115

 

いずれも、堂々たるレジェンドらしい成績なのであります。

 

方や選手として脂ののったバリバリのプロ野球選手。

そして、方や清原さんはと言うと、まだ生まれてもいない?

 

戦国武将の世と一概に比較は出来かねますが、早い話が30歳の差と言うのはこれぐらいの

差があるということ。

 

ちなみに、清原さんの30歳の時の成績を見てみましょうかね。

 

清原和博 打率.249 本塁打32本 打点95

 

う~ん、単純比較は出来ませんが、レジェンド達と比較すると、ちょっと微妙、、、。(-_-;)

 

歴史にタラ・レバはないんですけれど、仮に伊達政宗が信長や秀吉と同年代に生まれていたとしても

東北地方のなにかしらつながっている「血縁・親戚天国」に縛られてしまって、なかなか思い切ったことは出来なかったんじゃあないでしょうか。たぶん、早くに命を落としてしまったか、波風を立てずに天寿を全うした人生で終わってしまっていたかのどちらかだったのではないかな。

 

そう考えると、今の仙台の礎を作って、おまけに「天下の副将軍」にまで登りつめて栄華を極めたわけだから、ある意味良かったんですよ!1567年生まれで。

 

今回、プロ野球のレジェンドの成績を調べていて驚いたのですが、王選手って40歳で引退しているんですけど、引退した最後の年の成績がなんと129試合に出場していて、

 

打率.236 本塁打30本 打点84

 

これって、すごいですよね~。っていうか、まだまだ十分にやれたんじゃん、って感じが。

 

まさに、1本足打法は永遠に不滅です!