どうも、すこっちです。!(^^)!
そうでしたね~、きょうは成人式があちらでも、こちらでも開かれおりますな~。
私もウン十年前にはそんなこともあったよなぁ~。あん時は今の会社にはいたものの、アルバイト扱いってことで、この先どうなるか分からない不安を抱えながらの成人式でありました。あんまし、誇れる身の上じゃあなかったので、友達との会話もそこそこに帰ってきたような、、、。
携帯電話も普及していなかった当時からすれば、今の若者にスマホとは、まさに「鬼に金棒」、「日馬富士にリモコン」って感じかな!?
さて、最近歴史に関する本を結構な割合で衝動買いをしている、私すこっちでありますが、最近読んだ本に載ってたんですよ、今日のお話。
「兵主源六」(ひょうすげんろく)って聞いたことある人、いますか? たぶん、知らないよね、私も当然知らなかったです。
この人、れっきとした戦国武将サンなのです。因幡の国(現在の鳥取県)の金剛城と言うお城の城主をやっていました。
1580年頃というと、ちょうど豊臣秀吉が中国攻めの真っ最中だったんですね。秀吉が鳥取城を包囲した「鳥取城の渇え殺し」と言えば、
聞いたことがある人もいるかもしれません。
その最前線で奮闘していたのが、この源六さんでした。
この源六さんが居城としていた「金剛城」は標高が293mという険固な山城で、なかなか落とせない。しかも、鳥取城との挟み撃ちというゲリラ戦法に秀吉軍も相当苦しめられてしまうのです。
困った秀吉は出雲の国の出身の亀井玆矩(かめいこれのり)という武将に金剛城の攻略を命じます。
そう簡単には落とせない、金剛城。 そこで、亀井さんが取った作戦とは?
まず、城主である源六さんの趣味、人柄等々徹底的に身辺調査を行いました。
そして、彼の大、大、大好きな「もの」と言うか「こと」を発見したのです。それは、、、。
ズバリ「踊り」だったのです。
ちょうど、この戦の最中にお盆だったんですね。だから、金剛城の城下で踊りの大会を開いたのです。もちろん、その踊り手の中には亀井さんの配下の兵士もまぎれこんでいました。
城下から踊りの音曲が流れてくると、もう、源六さんは条件反射でしょうね、居てもたってもいられない人だったのです。
金剛城を放り出して、な、なあんと城下に降りてきてしまうのです、もちろん自分が踊るためにね。(マジ、卍)
そして、城主が好きだとお供の人も好きなんでしょう、部下たちもぞろぞろ城下に降りてくる、降りてくる。
気付けば、金剛城はほぼ空っぽ、書物によるとほとんど人は残っていなかったそうです。(>_<)
かくして、亀井軍はやすやすと金剛城に潜入、金剛城に火を放ちました。
これを城下から見つめる源六さん、もはや開いた口が塞がらない。
「踊りにつられて、城を空っぽにしてきたワタシっていったい、、、、。(-_-;)
金剛城はあっけなく、落城。その後、源六さんの消息を知るものはいないそうです。
いやー、アンビリーバーボーな話ってあるもんですねえ~。
まさか、自分の「好き」が、「隙」になるなんて。
これって、悔やんでも悔やみきれないよ。
皆さんも「のめりこみ過ぎ」には注意しましょうね。
う~ん、これだから歴史のエピソードって面白い!