どうも、すこっちです。!(^^)!
最近の巷をにぎわせている話題と言えば、相撲界の元横綱日馬富士の暴行問題。
何をどう差し引いたとしても、暴力沙汰というのは決して許されることではない。
ましてやお酒の席での話。さらに言えば、一発叩いておしまい、じゃあないというところが
もはや行き過ぎた行動としか言いようがない。
この話の真相は未だ藪の中なのですが、私すこっちとしてはこの話題を少し別な角度から
切って見たいと思うのです。
その昔、と言っても私が学生時代くらいの話だから、その頃というのは1980年代かな。
当時の学生の中にもアウトサイダーと言うか斜に構えているような先生や学校に対して
反発心を持つような輩というのはいたんだけど、それに負けないくらい強い先生がいて
今ではたぶん問題視されるんだろうけど、ぶん殴ったり、張り倒したりという指導が
公然のようにまかり通っていた。
された方は、その時は面白くないと思いつつも、その後はちゃんと自分の行動を反省して
大人しくなっていたように思うのです。
それを周りで見ていた生徒達(私もその一人か)も、あんな先生からの恐怖のご指導は
ご免だ!ってな感じで、無言の圧力によってきちんと規律は守られていたような気がする。
私が社会人に成りたての頃にも、ところどころにそういうビシッとダメなことはダメ!って
厳しく指導をしてくれる先輩や上司なんかが居たように思う。
それが今や、体罰、パワハラ、モラハラは悪!と言う「錦の御旗」を得た学生や新人たちは
もはや肉食恐竜の絶滅した恐竜の世界みたいなものになってしまった。
もちろん、体罰や暴力的な指導の全部が良いと言うつもりはないけれど、
世の中にはどこか、私の学生時代のような「ピリッと感」があるお蔭で、それが抑止力となり、
社会の均衡が保たれて来たような気がしてならない。
機動戦士ガンダムというアニメの1シーンで戦闘に疲れ果て、出撃命令を拒む
アムロ・レイに対して上官のブライト・ノアがとった行動は、、、。
そう、覚えている方もいるかもしれませんが、彼を2度殴りつける。しかもキレぎみに。
アムロ 「二度もぶった。親父にも殴られたことないのに!。」(有名セリフ)
ブライト「それが、甘ったれなんだ!殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか!」
と叱りつける。
さらに、ブライトは追い打ちを掛けるのです。
ブライト「今のままだったら、貴様は虫ケラだ!」
いやあーブライトさん、あっぱれです!m(__)m
そりゃあ、戦争だし、軍隊だし、生きるか死ぬかだし、状況は全然比べものにはならない
けれど、つまりはそういうことだよね。
結果、アムロ・レイは出撃するわけなんですけど、たぶんアムロだって「行かなきゃいけない」
ことは分かってはいるんだよね。でも、どこかで自分の逃げ道を探して、そこに逃げ込みたく
なってしまう気持ちだって、弱い人間なんだから当然ある。
でも、それを野放しにしていたら、ブライトの言う「甘ったれ」人間ばっかりにの世の中に
なってしまうのではないだろうか。
結局、自分の行動を決めるのは自分なわけで、そんな弱気の虫を追い払って
ハッと気付かせてくれる憎まれ役も、時には必要なんじゃあないでしょうかね。
まあ、日馬富士と貴乃岩の件はあくまで論外ですけれど。
「ブライト待望論」、「ピリッと感待望論」皆さんはどう考えますか?