言葉遣いが乱れる最近の世の中に物申したいの | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

みなさん、どうもすこっちです。(^o^)

 

さて、皆さんも気付きませんか?

 

最近の若い人、若しくは中年代の人もですけど、会話中の単語にやたらと

「クソ」を付けるのを耳にする。(>_<)

 

「なんか、この前観た映画クソつまんなかったっすよ。」

 

「ああいうやつは、クソだよ。」

 

「○○の講演聴きに行ったけど、クソ面白くなかったな~。」

 

「あのゲームやってみたけど、クソゲーだね。」

 

これって、確かに耳にするんだけど、決して耳に心地良い表現ではない。

あ~あ、いつから世の中はこんなにも人間の根幹をなすもののひとつである、言葉遣いが

こうも乱れてしまったのだろうか?

 

今の世の中、ボーダレスと言うのか、どこがボーダーラインなのか境界線なのかも

分からなくなってしまった。

 

もはやルール無用の異種格闘技「何でもあり社会」である。

 

よく、戦争経験のある方や戦前生まれの人って、どこか芯が通っていて

凛としていて、威厳があって魅力的と言われる。

 

軍国教育、国体教育の産物と言ってしまえばそれまでだが、

ようはアメリカ人やヨーロッパ人のキリスト教みたいなもの。

 

つまりは、自分の理念や考え方の中に真っ直ぐな芯が通っている。

その根幹をなす言葉遣いだって、当然遣い方を間違っていれば、それこそ

親から教師から容赦なくダメ出しをされて、強制されてきたのでしょう。

 

それに引き換え、今ってどうなのよ?

 

物事を言葉で表現するのに、果たして下品な言葉遣いって必要なのでしょうか?

今や、不思議と注意する側の人が後ろ指を指されるような世の中。あ~怖い。(-_-;)

 

1467年(人の世むなし 応仁の乱)

 

言葉遣いの乱れた平成戦国時代に終止符を打つのは、

平成の織田信長か?秀吉か?家康か?はたまた伊達政宗か?

 

実は、あの清少納言の「枕草子」の中に、この言葉遣いに関する

ツィート(つぶやき)があるのです。

 

188段にこんなことが書いてあります。

 

ふと劣っているように感じるものは、男でも女でも、下品な会話(言葉)の文字を

使うような人は、何よりも勝って、悪いものである。(お~言い切ってるねぇ。)

 

ただ言葉一つで、不思議なことに上品にも下品にもなるのは、どういうことなのだろうか。

そうはいっても、このように思う私が、格別に言葉遣いに優れているというわけでもあるまい。

 

どちらの言葉使いが良いとか悪いとかをどうやって知ることができるのだろうか。

しかし、人のことは知らないが、ただ、私の心で良いとか悪いとか思ってしまうのである。 

下品な言葉も、悪い言葉も、そうと知っていながらわざと言ったのは、悪くもない。

自分の癖になっている言葉を、隠さずに言ってしまったのは、みっともないことである。

 

また、そんな言葉使いをすべきではない老人や男などが、わざと取り繕って、

田舎びた言葉使いをしたのは憎たらしい。

 

乱暴な言葉でも下品な言葉でも、年配の女房が気にせずに言ってしまうのを、

若い女房がとても恥ずかしく思って消え入りそうな様子は、当たり前のことではある。 

何を言うにしても、「それはそうしましょう」「言いましょう」「何々しましょう」という

「と」という言葉を省いて、ただ「言はむずる」「里へ出でむずる」などと言えば、

とても悪い言葉使いになる。

 

まして、手紙にそんな言葉を書いては、言うまでもなく悪いものだ。

物語などになると、悪い言葉使いで書かれていると、言うまでもなく、

物語を作った人さえ情けなく思われる。

 

「ひてつ車に」と言った人もいた。「もとむ」ということを「みとむ」などと、皆は言うようである。

 

清少納言に「イイね!」あげときます。

 

時代が変わっても、人の感じ方にそうそう違いは無いのです。(-_-;)