お盆の風景 今昔について考える | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

今日は、8/14(月)。皆さんも、まさにお盆休みの真っただ中というところでしょうか。

 

それにしても、ちょっと不思議だと思ったことありませんか?

 

だって、主に地方、特に東北地方に根強い習慣である、月遅れのお盆ということで

だいたい8/13~8/16ぐらいまでが毎年お休みになるわけですよね。

 

でも、この時期って別に政府が定めた国民の祝日でもなぁんでもない。

曜日の並びにもよるけど、今年なんか今日から16日まではフツーの平日。

だけど、お休みなんだよね。(東京なんかでは、あんまし関係ないみたいだけど)

 

まあ、さすがに先祖の霊を敬い、お盆であの世から帰ってくる亡き人の御霊(みたま)を

迎えるという厳かモード全開の期間ということは、イスラム教で言うラマダン(断食)の

時期みたいなもの。

 

これは、もう政府や会社などの政財界がとやかく言えるものではないかもしれませんね。

ある意味、人として日本人として、大事にしなきゃあいけないものと言うのはあるんですから。

 

ところで、そんな私すこっちも今日、親の一運転手として親戚のお墓参りに行ってきました。

 

多賀城~築館IC~登米市~花泉~金成IC~古川IC~多賀城と言う行程を

ほぼほぼ1日掛けて回ってまいりました。(いやーなかなかハード(-_-;))

 

当然、墓参りだけで済ますというわけには行かず、親戚宅にも訪問して、御挨拶やら

世間話やらいろいろと、賞味1時間ぐらいはお邪魔してくるわけね。

 

その時に、ちょっと気になったのが、1軒目と2軒目にお邪魔したお宅の仏壇に

御焼香をしようと思ったら、な、なあんと、こんな感じ。

 

 

わかりますか? 写真じゃあちょっと、わかりづらいかもしれませんが。

このお線香、実は電気で選考の先っちょが明るく照らしてあるいわゆる「疑似線香」

なんですね。だから、当然、火も使わないし、煙も出ないし、安全そのもの。

 

「今、スイッチを入れたから、ご焼香をどうぞ!」って言われたけれど、

「えっ? 何をどうするの? っていうか、手を合わせて拝むだけですか?」

 

確かに、昨今、合理化の波と言うのは至る所にその勢力を拡大して来ているけれども、

「これは、ありか無しかと言ったら、ズバリ、これは無しでしょう!?」

 

と思った、私すこっちでありました。

 

そりゃねー、確かに火を使うし、後始末をいい加減にしたら危ないよ。

電気でスイッチオンにすりゃあさ、安全だし、線香代も掛からないし、火源を用意する

必要もないし、何より汚れないもんね。

 

でも、これって、そもそもご焼香に来た人がさ、わざわざ遠路はるばるの人もいるわけ

じゃあないですか。その方が、自らの手で線香に火を灯し、煙の向こうの亡き人の御霊に

祈りを捧げることに意味があるわけであって。

 

私なりには、これはもう、神や霊界への冒涜と言っては言い過ぎかもしれませんが、

そのくらい、憤りを感じずにはいられない心持でした。(-_-;)

 

さらに、よく分からない合理化の波を感じてしまったのが、、、。

 

墓参りをした墓地でにずいぶんと造花が多かったこと。

 

でも、これはやっぱり「生花」なんじゃあないかしらねえ。

 

なんでも、聞けば、お寺や墓地側から生花はお供えした後の後始末が大変だからと

言うことで、生花をお供えした翌日には片づけに来るか、若しくは造花にするように

してくださいというお手紙が届いているとのこと。

 

ちょいと待っておくれ。

 

これって、そもそも「墓参り」という本来の趣旨から逸脱してはいないのだろうか?

 

そりゃあね、確かに後片付けは誰がするの? 檀家の人や墓参りをした家族がやらなければ

必然的にお寺の方や墓地の管理者なのかもしれない。

 

けどさ、何でもかんでも合理的至上主義に走ってしまってさ、、いわゆる永代供養料を

もらっている側のお寺の論理を檀家や墓参りピープルズに押し付けるというのは

いかがなものなのでしょうか?

 

確かに、お寺や墓地管理者の言い分もあるでしょう。

だけど、原点に立ち返って見れば、そこにはお互いの主義・主張を戦わせるのではなく、

日本特有の「暗黙の了解」という不文律が成り立ってくることで、バランスを保ってきていたのではないでしょうか? それが、「和をもって尊しとなす」日本という国だったのでは?

 

そんな寂寥感を感じてしまって今日という1日を終えるのかなあと思っていたところ、

墓参りに向かう道の途中に、このようなものを発見しました。

 

 

おぉ~、これは道祖神というやつではないですか!

 

しかも、左から「山神」、「天照皇大神」、「神武天皇」、「愛宕○○」(読めない)

まさに、ポーカーで言う4カードのような豪華な顔ぶれ!

(神武天皇というのは、珍しい)

 

思わず、写真に撮り、手を合わせずにはいられないすこっちさんでありました。

 

こういう「道祖神」に興味というか、目が行くようになったのも、仙台城ガイドや

仙台歴史探訪会など、文化的趣味にアンテナが向くようになったおかげなんです。

 

みなさんも、車で通過する時にはちょっと気にして、「道祖神」に手を合わせましょうね!

 

昔の人は、本物のところにはお参りには行けないけれど、こうした「道祖神」を

ところどころに祀り、手を合わせていたんです、信仰心が熱かったんでしょうね。

(こういうのを建てるのも、そうとうお金が無いと出来なかったんですよ)

 

そんなこんなで、すこっちの「墓参りロード」は無事終了したわけですが、

いやあーいろいろと考えさせられる「出入りの激しいゴルフ」のような1日でした。

 

時代の移り変わりは仕方のないことではあるけれど、日本人としてというか

人間として「魂」とか「御霊」とか目に見えないけれど、本来大切にしていかなきゃいけない

ことってあるんだと思います。

 

それを感じるセンサーの感度が鈍っていってしまわないように、私たちは

「心のモチベーション」というものを常に保っておく必要があるんじゃあないかな、と

思った「墓参り オンリーデイ」でありました。!(^^)!

 

最後に、仏壇や道祖神様にシャッターを向けて撮影をしてしまったこと、

本来からすれば、決して好ましい行為とは言えませんね。

 

その点に関しては、心からお詫びを申し上げたいです。m(__)m