政宗の側近は小十郎?それとも成実?じゃあないの? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

たまたま、立ち寄ったスーパーで「Kappo9月号」が目に留まった。

 

な、なんと表紙にはあの伊達政宗の「黒漆五枚胴具足」が、そして題名には

「伊達政宗の人間力」との文字が、、、。これは私的には思わず、「買い」である。

 

さっそく読み進めてみると、政宗様に関する記事がとても細やかに書かれている。

しかも、興味深い写真もところどころに載っていて、非常によく取材がされているなあと

いう感じがしたのと、写真や掲載されている資料も素晴らしく、あらためて「Kappo」の

クオリティの高さと記者の方の熱を感じた。

 

そのなかで、私の興味を惹いたのが、伊達政宗の側近と言えば、大河ドラマ

「独眼竜政宗」のシーンでも大変印象深かった、言わずと知れた「片倉小十郎」と

「伊達成実」(役者は西郷輝彦と三浦友和ね)である。

 

大河ドラマの中でも幾度となく、軍議にせよ何にせよ二人が中心となって

激論を戦わせ、時には成実が小十郎に喰って掛かったりするシーンも記憶にある。

 

ところが、この「Kappo」の記事によると、片倉小十郎景綱は政宗が南奥羽制覇を

目指している時には、政宗とは別行動を取っていることが多く、政宗の傍らにいる

側近や参謀といいうような役回りではなかったようで、おもに対外的な「外務大臣」

としての役目を担っていたようなのです。

 

一方の伊達成実はというと、こちらも「武」のイメージが強いが、政宗と共に戦うことは

あるものの、命を受けて別働隊として軍を率いて遠征していることが多かったようです。

 

だから、二人が内政(まつりごと)に関与するということはほとんどなかったようなのです。

 

つまり、両人が揃って政宗の前に登場するということも実は、、超プレミアもの

だったということなんでしょうかね。

 

う~ん、なんか私の今までのイメージだと、二人が側近として「飛車、角」のように

政宗の露払いをするようなイメージだったんですけど、、、。(-_-;)

 

じゃあ、実際の政宗の側近って誰だったの?って言うと、

 

それは、鮎川日傾差斎や片倉意休斎、桑折点了斎、小梁川泥蟠斎

伊達鉄斎や増田我即斎とまあ、ずいぶんと「斎」の字が出てきましたが、

フツーの歴史マニアでも知らないようなお名前(当然、アタシも知らなかった)

の方々ばかり。

 

まあ、おそらく「太源雪斎」(今川義元の軍師ね)や大河ドラマの「真田丸」で

井上順が演じていた「織田有楽斎」のように出家した人たちなんでしょうね。

 

こうしたブレーンが政宗の手となり足となり、今までの経験や知識を存分に

発揮して助言をしたりして、「奥州王」としての階段を駆け上がっていったということ

になるんでしょうかね。

 

そして、関ヶ原の戦い以降、平和な世の中になってからは「茂庭石見綱元」が

今の官房長官として、辣腕を振い、側近としての重責を担っていったということのようです。

 

そうなんだね~。これだから、思い込みと言うのは恐ろしい。(-_-;)

そして、「Kappo」さんありがとう!やっぱり、新しい知識と言うのはこうした丹念な

取材をした記者の方の記事に目を通すことから吸収できるものです。

ホント、「目からウロコの宝石箱やゎ~。」!(^^)!

 

私はプレスアートの回し者ではありませんが、コンビニや書店に立ち寄る機会があったら、

ぜひ「Kappo9月号」をお手に取ってご覧になってみていただきたい。

 

あー、そうそう、伊達政宗関連の記事だけではなく、センスのいいお店なんかも

けっこう紹介されておりますので、そうした記事を読んでの情報収集にも一役買います。

 

あーそうそう、それともう一つ。私、8/16(水)の「支倉ないと」に申し込みました。

お盆休みだから、平日夕の開催でも参加できるよね~、そういうの。

 

そうだ、もう一つありましたね。私、8/13(日)ガイドで登城します。

良かったら、仙台城でお待ちしておりま~す。!(^^)!