「捨てる神あれば拾う神あり」これは、今でもまあ大抵の人が知っていることわざで、
世の中には役に立たない、捨てるに値すると思って捨てる人もいれば、
まだまだ利用価値がある、拾うに値するなと思って自分の役に立てる人もいる、
と言う意味です。
どちらかと言うと、モノというより人の場合に使われることが多いのかな?
例えば、プロ野球で球団からお払い箱になった選手が別の球団に入団して活躍した
場合なんかがそれに該当するのでしょうか、、「野村再生工場」と言う言葉もありましたね。
私、たまたま野村克也さんの講演会に行ったときに、「めくら仙人、目明き仙人」という
言葉を使われておりました。
つまり、世の中には自分の価値を分かってくれない人が千人いれば、逆に価値を理解してくれる人も千人いるという意味なんだそうです。(なるほどね~)
今日は、今年で450歳を迎えるあの伊達政宗様にまつわるそんな話を紹介しましょう。
皆さんは「毘沙門天」ってご存知でしょうか?
毘沙門天と言えば、「戦闘の神」、「武神」として有名なんですね。
南北朝時代の楠正成は、自分のことを「毘沙門天の申し子」と称していたし、
何より有名なのはあの上杉謙信は自分のことを「毘沙門天の生まれ変わり」と
言って、丸に「毘」の文字をかたどった戦旗を使用していたほどの愛着神だった。
伊達政宗様が北目城を攻めあぐねていた時、祈祷を乞うたところ毘沙門天の守護による
との託宣あった。そこで、遠くからこの毘沙門天像を拝して、政宗様は次のようにお祈りした。
「毘沙門天様、政宗一生のお願いです!北目城を落とすことが出来たら、立派なお堂を
作りまして、篤(あつ)く祀(まつ)りますので。」
その効力があったからかどうかは定かではないが、政宗様は無事北目城を落とすことが
出来た。ところが、である。政宗様よくよく考えて、こう結論付けた。
「誰の願いでも聞き届けてくれるような神様じゃあ、後になっても役には立たない」であろうと、
あろうことか、な、なぁんとその毘沙門天の像を運んでくる途中で捨ててしまわれたのです。
えぇ~!? 神様の使い捨てって、あり得るの? カイロじゃないんだよ!(>_<)
まあ、でも伊達政宗様だからしょうがないか。(-_-;)
この像を見つけた子供たちが格好の遊び相手としていたところを、見ていた大人たちが
もったいないとお堂を建てて、納めたのが現在の仙台市若林区荒町にある毘沙門堂
なのです。
今やこの「毘沙門堂」は仙台七福神の一つに数えられていたりする。
まさに「捨てる政宗あれば、拾う子供達あり」とでも申しましょうか。
謙信様がこのことを知ったら、烈火のごとくお怒りになったことでしょうねえ。
(でも、政宗様は上杉大嫌いだったからね~、とくに直江兼続は、、、。(-_-;)
さて、機会があったらこの「毘沙門堂」行ってみる価値あるかもです。!(^^)!
ついでに、「仙台七福神巡り」をされてみてはいかがでしょうか?