「タガの柵ツアー」に参加して来ました! | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

本日は、国の特別史跡「多賀城」のガイドツアーに参加して来ました。

 

「タガの柵」さんhttp://taganoki.wixsite.com/home というところが

このツアーを企画・主催・ガイド説明を行ってくれているのですが、

いやあ~大変面白かったです。(^○^)

 

仙台歴史探訪会のコンセプトは「仙台に住んでいるのに、地元のことを

知らない自分から脱却しましょう!」でしたね。

 

なのに、私恥ずかしながら、仙台城のことについてはずいぶんと

インプットして来たのですが、自分の住んでいる「多賀城」については

「灯台下暗し」本当におざなりにしてきました。

 

実は、多賀城と言えば日本百名城にも入っている由緒正しき場所。

 

いずれはお勉強をせにゃいかんなあとは思っていました。

これをいつまでも棚上げしていたのでは、いつなんどき、誰かに

「じゃあ、君の住んでいる多賀城の歴史について聞かせてよ!。」

とか言われたら、、、。かなり、ヤバいですからね。(>_<)

 

今回、ようやくそれを実現することが出来ました。

 

多賀城と言うと、奈良時代から平安時代にかけて大和朝廷が陸奥の国を統治する

城というよりも、政庁(お役所)があった場所なんですね。

 

だから、石垣や土塁が出来る前なので、高い塀(高さ5m)でそのお役所の周りを

囲っていたのが築地塀と呼ばれるもの。

 

当時、奈良の平城京などは平地に作られていたのだけど、「多賀城」は標高50mぐらいの

丘陵地に建てられていたそうです。さぞ、蝦夷(えみし)を警戒していたんでしょうかね。

 

そんでもって、この「多賀城」の一番の看板ともいうべき建物が、「南門」と呼ばれる

多賀城のユルキャラ「たがもん」http://www.tagakan.jp/info/の元ネタにあたるもの。

 

今でこそ、東北の中心都市と言えば、文句なく百万都市の「仙台市」ですが、

実は、奈良・平安の陸奥の国の中心都市は「多賀城」だったのです。

(当時の多賀城には1万人くらいの人が住んでいたのだそうです。)

 

松尾芭蕉も尋ねたと言う、多賀城碑(壺の碑)を見学。途中、とあるお店で大変美味しい

ランチ(写真)を賞味し、多賀城廃寺跡などを見学してツアーは終了しました。

 

 

ここで、皆さんに超プレミア情報です!

 

な、なんとこの多賀城跡の多賀城政庁跡には建物の柱を載せていた礎石が36個

あるのですが、そのうちの11個はな、なんと平安時代から残る本物!なのです。

 

       

 

そ、そしてこの本物の11個には、いにしえからの未知なるパワーが秘められているんだとか。

(ちなみに、私はその11個がどれなのか全部メモって来ましたよ!)

 

果たして、それは「都市伝説」?それとも、、、。!?

 

他にもフツーの人は絶対に気付かない陸奥総社宮のパワースポットなんかも

教えてもらっちゃいました。!(^^)!

 

いやあー多賀城なかなかやるじゃんか~!

 

っていうかパワースポット効果のほどは判明次第、皆さまに報告しますので。

 

興味のある方は定期的に開催しているそうなので、タガの柵さんのHPを

ご覧になってみてください。