はい、また新しい言葉が出てきましたね。(^○^)
(すこっちのブログを見てる人は、勉強になるね~)
私の敬愛する内館牧子さんのある本に、大変興味深い一説があった。
その中でも、ミョーに気になった二つの言葉。
それが、「シニシズム」と「シニカル」である。
(思わず、ノートに書き留めちゃいました)
「シニシズム」とは、日本語に訳すと「冷笑主義」というらしい。
例えば、皆さんは日常生活の中でこんな会話を
耳にしたことがありませんか?
「どうせ何をやったって、無駄だよ。」
「あいつ、まじめぶって良くやるよ。」
「汗水垂らして、ご苦労さんなこったね。」
これ、イコール「シニシズム」なんですね。
意味としては、社会風習や既存の価値・理念などに対して,
懐疑的で冷笑するような態度をとる傾向。
(まあ、冷めてるってやつね)
「シニカル」も形容動詞だけど、意味は同じような感じです。
(興味があったら、調べてみてください)
う~ん、そう言えば会社でも他のコミュニティの場においても
いつの頃からか、
「まじめはダサい」
「汗臭いより、クールな方がいい」
「頭いいやつはちょっと好きになれない」
「明るくひょうきん(今は死語か)なやつがモテる」
みたいな風潮がなぜか、ワガモノ顔で大手を振って歩くようになった気がする。
そして、「シニカル」になじまない人たちを陰でせせら笑う輩。
まあ、私もそちら(シニシズム)側の人間ではなかったので、
なんかとっつきにくいし、モテない青春時代を過ごしたなあ~と感じるけど。(-_-;)
確かに世間に対して斜に構えて、さも分かった風な意見を述べることは
ある時期カッコよく映るのかもしれない。
「シニシズム」の側にいることは楽しいし、居心地が良いのかもしれない。
だって、冷笑することで自分を正当化し、何もしないでいることを正当化するのには
これほど都合のいい場所は無い。
そして、「シニカル」に生きる人たちの方が無駄が無く、効率的であり、
生活も遊びもスマート、パソコンが普及した1995年以降は「シニカル派」が
急激に増えたとも推測できる。
だけど、見方を変えれば、それは日常的な現実や原則を放棄してしまっているわけだし、
生きながら人生を降りていることと同じではないだろうか?
まじめでなぜ悪い? 精一杯今を生きるのに誰に遠慮がいるのだろう?
「シニカル派」=「デジタル派」と置き換えてもいいだろう。
でも、「アナログ派」を舐めてはいけない!
「デジタル派」に染まれば染まるほど、あなたの大事な「人間としての能力」は
間違いなく低下していっている。(脳、思考能力、視力、体力などなど)
「シニカル」=「死に枯る」
「シニシズム」=「死に沈む」である。
不器用な人間や正直者が馬鹿を見る世の中であって欲しくは無い。
そう思う、不器用で正直なすこっちさんでありました。(^○^)