シニシズムとシニカルが支配する世界って、どうなの? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

はい、また新しい言葉が出てきましたね。(^○^)

(すこっちのブログを見てる人は、勉強になるね~)

 

私の敬愛する内館牧子さんのある本に、大変興味深い一説があった。

その中でも、ミョーに気になった二つの言葉。

それが、「シニシズム」と「シニカル」である。

(思わず、ノートに書き留めちゃいました)

 

「シニシズム」とは、日本語に訳すと「冷笑主義」というらしい。

 

例えば、皆さんは日常生活の中でこんな会話を

耳にしたことがありませんか?

 

「どうせ何をやったって、無駄だよ。」

 

「あいつ、まじめぶって良くやるよ。」

 

「汗水垂らして、ご苦労さんなこったね。」

 

これ、イコール「シニシズム」なんですね。

 

意味としては、社会風習や既存の価値・理念などに対して,

懐疑的で冷笑するような態度をとる傾向。

(まあ、冷めてるってやつね)

 

「シニカル」も形容動詞だけど、意味は同じような感じです。

(興味があったら、調べてみてください)

 

う~ん、そう言えば会社でも他のコミュニティの場においても

いつの頃からか、

 

「まじめはダサい」

 

「汗臭いより、クールな方がいい」

 

「頭いいやつはちょっと好きになれない」

 

「明るくひょうきん(今は死語か)なやつがモテる」

 

みたいな風潮がなぜか、ワガモノ顔で大手を振って歩くようになった気がする。

 

そして、「シニカル」になじまない人たちを陰でせせら笑う輩。

 

まあ、私もそちら(シニシズム)側の人間ではなかったので、

なんかとっつきにくいし、モテない青春時代を過ごしたなあ~と感じるけど。(-_-;)

 

確かに世間に対して斜に構えて、さも分かった風な意見を述べることは

ある時期カッコよく映るのかもしれない。

 

「シニシズム」の側にいることは楽しいし、居心地が良いのかもしれない。

 

だって、冷笑することで自分を正当化し、何もしないでいることを正当化するのには

これほど都合のいい場所は無い。

 

そして、「シニカル」に生きる人たちの方が無駄が無く、効率的であり、

生活も遊びもスマート、パソコンが普及した1995年以降は「シニカル派」が

急激に増えたとも推測できる。

 

だけど、見方を変えれば、それは日常的な現実や原則を放棄してしまっているわけだし、

生きながら人生を降りていることと同じではないだろうか?

 

まじめでなぜ悪い? 精一杯今を生きるのに誰に遠慮がいるのだろう?

 

「シニカル派」=「デジタル派」と置き換えてもいいだろう。

 

でも、「アナログ派」を舐めてはいけない!

 

「デジタル派」に染まれば染まるほど、あなたの大事な「人間としての能力」は

間違いなく低下していっている。(脳、思考能力、視力、体力などなど)

 

「シニカル」=「死に枯る」

「シニシズム」=「死に沈む」である。

 

不器用な人間や正直者が馬鹿を見る世の中であって欲しくは無い。

そう思う、不器用で正直なすこっちさんでありました。(^○^)