「ハレとケ」ってなあに? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

「ハレとケ」これだけ読むとまったく、ちんぷんかんぷんである。

 

ところが、これはちゃんとウィキペディアにも載っている。(以下引用)

 

「ハレとケ」とは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な

世界観のひとつ。 民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、

ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の

生活である「日常」を表している 。

 

つまり昔の日本人は、代わり映えのしない日常をコツコツとアリさんのように

生活し、1年の内に数回あるフェスティバル&カーニバルを非日常として

キリギリス的に楽しむというメリハリをきちんとわきまえていた、ということ。

 

まあ、なぜこの言葉を知ったのかと言うと、最近買った文庫本、内館牧子さんの

「愛し続けるのは無理である。」という作品の中に出てきたからです。

 

たしかに、そう言われると私が子供の頃ぐらいには「ハレとケ」がギリギリ

存在していたような気がします。

 

大晦日やお正月になると、決まってワクワクしていたし、家族がそろって同じ行動を

取っていた。(お年玉も楽しみのひとつでしたね、五百円札ってのもあったし)

 

外食なんかもそんなにはしなかったしな~。

 

お祝い事があった時に、出前のお寿司をとったりするくらい。

 

それだけ、誕生日やこどもの日、お正月のプレミア感はハンパない位置づけだった。

 

逆にそれを楽しみにしていたから、つまらない毎日を頑張れたようなところもあった。

 

ところが、である。今の日本は「ハレ」ばっかり。

 

美味しいものはいつでも食べられる。

外食は別に特別な意味が薄れてしまった。

やりたいことはお金さえ出せば何でも手に入る。

スマホやネットに満たされる=それが満足感になってしまった。

 

「ハレとケ」のない時代。これは不幸なことでもあるような、、、。(-_-;)

 

でも、これはある意味自分で「ハレとケ」を作る必要があるのかもしれないです。

 

「ご褒美」のために頑張るって、意外と力がでますからね、、、。!(^^)!