天守閣と仙台城。そもそも天守閣ってなあに? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

初めて仙台城に来た方が、まず発するがっかり発言が、

「仙台城ってお城というか天守閣って無いんですね。」と言う発言。

 

まあ、普通の人はお城と言えば姫路城みたいなお城を想像するからね。(>_<)

 

実は、仙台城に天守閣は無かったが、政宗に造る気はあった。

それが証拠に明治初年まで今の騎馬像付近にある建物があり、

そこに江戸城の天守閣によく似た天守閣の模型があったそうです。

(高さが3.6mで10分の1だから、実物だと36m)

 

建てなかった理由は、.德川家康(幕府)を警戒したからとか

.莫大な費用が掛かるからと言われている。

 

そもそも、天守閣って何のために建てたのでしょう?

 

もともとは矢倉(矢などの武器を保管しておく倉なのでやぐら)として櫓があり、

そこを見張り、警戒、迎撃の拠点として重要視していた。

 

それを信長が天正4(1576)年に七重の櫓の安土城を建て、その中の一番の

高櫓を天守と呼んだのが始まりだそうです。(松永久秀の信貴山上城という説もある)

 

じゃあ、なぜ「天守」と呼ぶの?

 

皆さんもご存じの通り、信長はキリスト教を保護していた。

(いろんな思惑があってのことだろうけど)宣教師の教えを聞き、そのあかしとして

櫓に「天主」=キリストの像を飾り、屋上に魚(シャチ)の像を飾ったわけです。

 

魚はギリシャ語で「イクスト」。これは「イエス・キリスト・神の子・救い主」の

頭文字を組み合わせると「イクスト」になるそうで、何でもローマ皇帝ネロの時代に

迫害された隠れキリシタンが十字架だと露骨で罰せられるので、祭壇に十字架の

代わりに魚を祭ったという由来によるのものだそうです。

 

これで、天守閣の上になぜシャチが?という疑問も解消ですね!!(^^)!

(まあ、鯱の方が断然カッコいいよね!)

 

ちなみに、天守閣と呼んだのは明治時代以降のことで、当時は「天守」って呼んでました。

そして、なぜか普通のお城は「天守」なんだけど、織田信長の安土城は「天主」と呼ぶんだとか。

 

この「天主」に住んでいたことがあるのは、後にも先にも織田信長ただ一人、なんだって。