今日は、義母の実母、つまり子どもたちからみて「ひいおばあちゃん」の一周忌で、
義父母が法事に出かけていました。
私も、少しだけお邪魔しました。
去年の9月に亡くなった、ひいおばあちゃん。
結婚してから5年間、私もいろいろとよくしていただきました。
インドで夫がお腹を壊した新婚旅行から帰ってきて、
お土産を持って行こうとしたその日(私たちの帰国後わずか4日)
義母の実父がくも膜下出血で亡くなりました。
そのお葬式や法事のお手伝いで、ひいおばあちゃんと私はすっかり仲良くなりました。
米寿のお祝いには、単衣の着物を縫ってプレゼントしたら、ものすご~く喜んでくださいました。
敬老の日やお誕生日が近付くと、パックンやリンを連れてお邪魔したし、
夫だけでなく、私まで孫のように可愛がってくださいました。
そんなひいおばあちゃんが体調を崩したのは、昨年8月。
至れり尽くせりで格安の産婦人科でコロンを産んで、退院した翌週のことでした。
かかりつけのドクターの紹介で、かの悪名高き公立病院に入院することになってしまい、
私も夫も義父も「大丈夫」と心配しまくりだったのですが、
義母は「選択肢が他にないから・・・」と割り切りモード。
90歳というお年もあってか、入院するや否や検査予定の朝に意識を失ってしまったのですが、
義母が「また、意識は回復しますかね」と尋ねると
ドクターは「年やから、アカンのと違いますか」と言ったとか。
それでも数日後、ひいおばあちゃんは意識を取り戻し、身内がみんな喜んでいるのを見て
そのドクター「戻りましたなぁ」と言っただけで、「よかったですね」の一言もない
さらに義母が、ひいおばあちゃんの病状を尋ねたら
「さぁ、ガンちゃいますか」って。
検査できないまま日が過ぎているのに、何を根拠に
ひいおばあちゃんの家族(息子さん夫婦、内孫たち)も、義母も、
夜、交代で病室に泊まり、昼間もできるだけ誰かがそばにいるようにして、
ただ、ひいおばあちゃんの最期が穏やかであってほしいと願っていました。
ひいおばあちゃんの体調も、回復は見込めないものの急変しなさそうとのことで、
9月、コロンを連れて初めての里帰り。
突然、夫のケータイがなりました。
雰囲気で、わかりました。
ひいおばあちゃん
まさか 何で
亡くなったこと以上に悲しかったのは、
ひいおばあちゃんの家族も、義母のきょうだいも、誰もいないときに
看護助手の人が体を拭いていて
「あれっ 息してはらへんのと違う
」
とひいおばあちゃんの異変に気づいて詰め所に連絡。
モニターを確認するも心拍も呼吸もすでに停止していて、
あわてて家族や娘たちを呼び寄せ、それからドクターの死亡確認があったのだとか。
それって、おかしくないですか
何かありそうだったら、濃い身内は病院を病室を離れなかったはず。
「モニターで把握していますから」と言っていたはずだったのでは
しかも、詰所の真ん前の部屋だったのに
悶々としたまま一年が過ぎました。
ひいおばあちゃんが、あの状態から元気に退院するとか、何年も生き延びるとか、
それが難しいことくらい、誰もがわかっていたはず。
でも、せめて、「人間としての尊厳」を考慮した最期を迎えてほしかったと私は思います。
あの病院の人たち、医療関係者として、人間として、罪悪感はないのでしょうか
税金でお給料をもらっていながら、もう少し市民の役に立ちたいという姿勢はないのでしょうか
お年寄りを蔑視したり、患者が亡くなったのを放っておいたりすることが通用するのでしょうか
もし、
ひいおばあちゃんの死が、誰かの何らかのプラスになったのなら、
少なくとも私は納得できるのかもしれませんが、
ひいおばあちゃん本人や家族、身内にとっても、
病院や医療関係者にとっても、
地域社会にとっても、
なぁんにもプラスにならなかったのではないでしょうか。
いくらなんでも「三方よし」から外れすぎ。
私のブログを読んでくださっている方は、もうお気づきでしょうけれど、
これって、赤ちゃんの臍の緒を流しちゃった、LDRにパパも入れなかった産婦人科もある
公立病院だったりする・・・。
市民の考えが古いというか、完成が鈍いというか、
いつまでも「民主主義」には程遠いような後衛的なウチの自治体。
活力ある周囲の自治体にドンドン引き離されていく今日この頃です。
この地の将来は厳しい
だから、動き出すのです。