いろいろあって、悶々とした気持ちを抑えきれず、

ブログを始めてみて、1か月が経ちました。


日々のことに追われて忘れかけていた「大学院に行く」という目標を思い出し、

いろいろ書き綴るうちに大学院で学びたいテーマも徐々にはっきりしてきて、

少しずつ気持ちもおさまってきました。


縁あって読んでくださっているみなさん、本当にありがとうございます。


かれこれ15年近く前のことになりますが、

高校の採用試験に合格した私に届いたのは、養護学校(現在は特別支援学校)の辞令。

しかも、かなり重度の学校のようで・・・。

かなり、戸惑いました。


3月末に、初めて学校に伺った折には、

校長室に飾ってある児童生徒たちのスナップ写真を見て、

「私って、この子たちを好きになれるのかなぁ」と正直思いました。


新学期が始まると、

たちまち私の不安は飛んでいき、

学校が、というか、仕事がすっかり楽しくなりました。

家庭科教師のはずが、

趣味できわめたかったはずの音楽もたっぷり授業する機会に恵まれ、

おまけに全校集会などで本格的な演奏活動を披露する機会にも恵まれました。

園芸したり、散歩したり、絵本を読んだり、

養護訓練(現在は自立活動)も、発達心理学専攻の私には、興味深くて。


楽しいだけでなく、子どもたちから、保護者の方から、周りのの先生方から学ぶことだらけの毎日でした。


しかし、そのような楽しい教師生活も、

一歩、学校の外に出ると、きびしい現実が待ち受けていました。


周囲が、世間が、社会が、あまりにも養護学校や障がいのある子どもに対して冷たかったのです。


教育委員会のお偉方(小・中・高担当)ですら、認識不足も甚だしくて、

研修で叱り飛ばしたことは一度や二度ではなかったような。

まだ私も20代前半でしたが、50代のおじさん相手にコンコンと説教し、謝罪させ反省させてきたつもり。


もちろん、ほかの人に対しては、いきなりそのような態度に出ることはありませんでした。


それは、高校の家庭科教師をしている友人の言葉がきっかけでした。


「くららちゃんが、その子のこと好きで、大切に思っているのが十分に伝わってくる・・・。

それでもう、私も十分」


なるほど と思いました。


障がいのある人にも人権を とか そんなのは差別だ とか

声高に叫ばなくても

(もちろん教育委員会の不見識なオヤジは叱り飛ばすしかないと今でも思いますが)

「私が、いま目の前にいる子どもたちを好きで、大切に思っている」

ということが伝わるような話を周囲の人にしていけばよいのだと思うと、

ものすごく気持ちが楽になりました。


道具を工夫して調理実習をしたとか被服製作をしたとか、

何回も何回もレポート発表したり、

教職以外の友達にも、周りの大人たちにも、

とにかく養護学校をしってもらおうと努力しました。


同期採用の教員には、養護学校経験を隠してしまう人もいて、何ともさびしい気がするのですが、

私は、養護学校の子どもたちや保護者のみなさん、先生方に出逢えたことは、

自分にとって一生の宝だと強く思っています。


だから、もちろん隠すはずもないし、

アメブロのプロフィールにも書いているし、

これからも、その姿勢は多分変わらないと思います。


私のブログにアクセスしてきてくださった方の中には、

発達がゆっくりな子どもをお育ての方や特別支援教育にかかわっておられる方も何人かおられます。
私も含め、それぞれのスタンスで日々のできごとや思いを発信していけたら、世間一般での理解も、支援の輪も広まると思います。


ここ2週間くらい、私は、

税金の使い方をめぐって、自分のブログでキレているのですが、

それは、養護学校時代の経験があるからだと思います。


事務長先生が、職員会議で何度となくおっしゃっていました。


「水を止めましょう。電気を消しましょう。それが子どもたちのペン一本、画用紙一枚につながるのですから」


まさに、今でいうことろの事業仕分けのハシリですね。


だから私は、今住んでいる自治体に腹が立つし、何とか改善したいさせたいのです。


発達がゆっくりな子どもが楽しく通える幼稚園ならともかく、その子の母親をみんなでいじめるのに何も対処しないような公立幼稚園には、一円も税金を使ってほしくありません。

「人の悪口を聞くのに疲れてしまった・・・」と嘆く人、多数。

幼稚園って、そんなコトのためにあるのでしょうか。

特色のある、いわゆる「ブランド幼稚園」には、望んで通っている人も満足している人も多いようですが、

どうも公立幼稚園は事情が違うようで、「他に行くところがないから」「でも、どこかの園には入れてやりたいから」という意見の保護者が多いようです。

テレビドラマでも再三取り上げられているくらいですから、もっともっと就学前施設の在り方について考える必要がありそうです。

私が幼稚園に勤めていたら、何か行動に出ると思うけれど・・・どうなのでしょう。

同じ税金を使うなら、住民のニーズに応えるような園に使ってほしいと思います。

民間であれば、どのような業種であれ、ニーズをさぐって、それに応じて事業を展開していくわけですから、公務員も行政も、その姿勢を持つ必要があると思います。


いきなり、「すべての人に優しい社会へ」といっても難しいのが現実です。


しかし、極端に人権文化に逆行している公共事業は、さっさと止めてほしいのです。


新卒の頃の校長先生は、よく

「県民のみなさまの税金でお給料をもらっているのですから」

と職員朝礼でおっしゃっていました。


ママたちが弱いママをいじめたり、悪口を言い合ったりする時間、子どもを預かるのが公立幼稚園のセンセイのお仕事なのでしょうか。

その経費をうまくやりくりすれば、「車椅子何台分の補助金になるかなぁ」「待機児童の解消につながるのになぁ」と考えてしまうのが私のくせで、もう書き始めるとキリがないのでこのくらいにしておきますが、

ちょっと参考になったブログがあるの。


最近の歯医者さんって、優しい先生増えたかも


というくだり。


ランキングのサイトあたりは、どこまで参考になるのか???な気もしますが、

一般人のブログは、固有名詞が登場しなくても、

結構参考になる気がします。

歯医者さんも、患者さんも。

よその人は、こんなトコロを参考に歯医者さんを選んでいるのか垣間見ると、結構参考になるので。

私自身、子どものころから通っていた近くの歯医者さんがイヤで、

高校生になって、ちょっと遠くの歯医者さんに行ってみたら、脳性まひの患者さんが入って来られて、

「あ、ここの先生って、評判通り優しいのかも」と思ったらその通りで、

結婚して引っ越すまで、ず~っとそこで診てもらっていたり。

で、こんなことを書くと、またそれが一つの視点になったりするわけです。


だって今、車椅子優先駐車場に勝手にスポーツカーを停める人、見ませんからね。

以前は、養護学校の卒業生と一緒に「あれって、ズルやな」とよく怒っていましたが。


そんなこんなで、ブログがちょっとずつちょっとずつ世の中を変えていくということも

大いにありうると思うので、

支離滅裂で構わないから、いま思っていることを書いておきたいと思っています。


私の住んでいる自治体がやっているムチャクチャ産婦人科のことは、

税金の使い道としては、本当に論外もいいところで、「いい加減にして!」と叫びたいところですが、

まだまだ呆れるようなネタだらけで、これからもどんどん書いていこうと思うのですが、

ブログに書き続けることで、独占企業だという思い上がりを、ちょっと何とかできるかもしれません。

税金の無駄遣い解消をめざして。


それが、まわりまわって、

私がかつて養護学校でかかわった卒業生の車椅子の補助金に充てられたら嬉しいな。


めちゃ長くなりましたが、

お読みくださってありがとうございました。





お産のハナシになると、つい熱くなってしまうので、

ちょっと違うことを書いてみようと思います。


6年前の夏に結婚したのですが、その時、

自分のウエディングドレスを自分で縫いました。


デザインは、かれこれ10年以上、いろいろなドレスを実際に見たり、本で見たりして

「あの生地かわいい」とか「あのトップかわいい」などと、

ずっとずっと思い描いてきました。


絵を描くのは、かなり苦手なので、

当然デザイン画もさっぱりです。


ですから、最終的なデザイン画も結局描かず(描けず)

「このドレスのこの部分と、このドレスのこの部分と、このドレスのこの部分と・・・」

という具合に、本の写真数枚を夫に見せて


「こんなのが着たい!!」


と主張しました。


型紙は、本の製図を参考に、せっせと自分で作りました。


布地は、思うようなものがなかなか見つからず、

休みの度に服地屋に足を運び、

「私がイメージするようなものは、売っていないのかもしれない・・・」と落ち込みながらも、

最後の望みをかけて、はるばる江坂(大阪)まで行き、

「これ!」と思う布地に出逢いました。


それからのドレス製作は、トントン拍子。

5時半には起きて、仕事に出かけるまでの約1時間半、せっせと縫いました。


結局、5月上旬から8月上旬まで約3ヵ月間かかりましたが、

ローブデコルテとボレロが完成しました。


私がかかわってきた生徒の多くは家政系学科の高校生たちなので、

実は、生徒たちの方が、私よりも先に

自分のウエディングドレスやカラードレスを作ってファッションショーまで経験していたのでした。


以前に私も、友人のパーティードレスや自分の演奏会用ドレスを製作したことは何度もありましたが、

自分の結婚式本番となると、それはそれは、細部にわたってイロイロとこだわりました。


昨晩ブログを書きながら、初めて思ったのですが、

「こんなドレスが着たい!」と思うのと、「こんなお産がしたい!」と思うのとは、

結構似ているのではないでしょうか。


せっかく自分のところに赤ちゃんが生まれてきてくれるのですから、

「パパに立ち会ってほしい」とか「臍の緒は自分で切りたい」とか「カンガルーケアをしたい」とか、

花嫁のドレス張りに夢を思い描いて、前向きにお産に臨むことは、

それは妊婦の特権だと思うのです。


それが、公序良俗に反するような、ものすごいめちゃくちゃなプランだとしたら

(たとえば、草むらで産みたい、とか)

ともかく、常識的で、アリなことであれば、

なぜそれを行政が阻止しにかかるのかが、私には納得できないのです。

「最新のLDRにパパが入れない理由を説明しなさい!!」と叫びたいところです。


それは結局、「女子供は、どうなっても構わない!!」という

卑劣な古い人権文化が根強く残っているから、市民に対して自治体がわけのわからん規制をする

という説明に突き当たるのでしょう。

もちろん、そうは言わないでしょうが。



大震災があって、人々の価値観は大きく変わりつつあるように思います。

犠牲になられた方々のためにも、この大転換期の大波に、ちゃんとのって行きたい私です。



「おかあさんといっしょ」のうたのおにいさん 横山だいすけさん、本当にステキ恋の矢


でも、今日の浴衣姿は、着物好きの私としては、あんまりいただけなかったかも。


柄が大きすぎるような、色が微妙に合っていないような、

最も顔映りを左右する衿の柄行きがイマイチだったような、

ちょっと残念な気がしました。


モデルは最高なのに。


和裁や着付けをたしなむ者として、いろいろ勉強になりました。


体操のおにいさんの浴衣は、HANAMARUでした。

色も、柄も、よしおにいさんの雰囲気によく合っていたと思います。


あくまで私の主観ですが(*^▽^*)

産婦人科のハナシとなると、つい熱くなる くらら=しゅーまんです。

お読みくださり、ありがとうございます。


産婦人科って、本当に特殊な科だと、つくづく思います。

パッコロリン(二男一女)のママとして、小児科にお世話になってばかりの日々ですが、

小児科問題よりも、産婦人科って、はるかに深いテーマだと思うのです。


もちろん、どちらが大事とか、そういうレベルの話ではありません。


私が、現在住んでいる自治体の産婦人科のあり方について、ものすごく憤りを覚えるのは、

「人権」という考え方がまったく感じられないからです。


「お産でヨメが死んだら、また次もらえばいい」

「赤ちゃんが助からなくても、またつくればいい」

といった感じで、女性や子どもを人格を持った一人の人間として扱っていない気がするのです。


少なくとも、直接利害関係がないはずの、つまり利用者ではない住民が、


腸(はらわた)が煮えくりかえる


と思うような産婦人科経営を公設公営の病院でやることは、

いくらなんでも21世紀には、まずいと思うのです。


お産は母子ともに命がけですから、万全を尽くしてくださっても、100%ということはないかと思います。

でも、ビデオ撮影を禁止したり、パパの立ち会いを頑なに拒んだりするくらいなら、

ぶっちゃけ、その程度の医療しか提供できないのであれば、

「やめる」という選択をするほうが無難なのではないでしょうか。


「それで満足している人もいるのだから・・・」

という考え方もあるかもしれません。

でも、それならば、自分に直接関係がなければ、

本人や家族がそれで良いと思っているならば、

何をしても構わないのでしょうか。


どうしても夫に見られたくないとか、パパが血を見るのが怖いとかいうことでなければ、

妊産婦も夫も出産立ち会いを希望した場合、立ち会ってもらうことで、多少なりともお産はラクになると思います。

分娩時間が短くなるとか、出血量が減るとか、産後の肥立ちが良いとか。

陣痛の最中にも、赤ちゃんにも酸素が届きやすいと思います。

出産後も、パパは育児により積極的になれるかと思います。

何も、帝王切開をさせてほしいとか、そのような無茶を言っているわけではないのです。

「パパがその瞬間にいる」「産声を記録する」ことが、医療の安全性を妨げたりはしないのです。


しかし、それでも希望するスタイルのお産に応じられないのであれば、

それは「理不尽」としかいいようがないと私は思います。


病院の看護師さんも自治体の職員さんも、

自身や身内のお産は、違うところでしているという話をよく聞きます。

「市民にどうぞ」「私も利用していますから」と言えないような行政サービスなら、いさぎよくやめるべきではないでしょうか。


それか、いっそのこと、

未熟なドクターにダメ出しを「めいっぱい」して、

「育成する」という方法もあります。

以前にTVでみました。

「ここの説明がわかりにくかったですよ」とか、市民ボランティアがダメ出しするという斬新な方法。

税金を投じるなら、それぐらいやるのも一つのテかと思います。

それか、民営化しちゃうか。


「よくもまあ、これで市民が何も怒らないものだなぁ」、と常々思ってきましたが、

石の上にも三年。

「妊婦さんから、こうしたい、こうしてほしいという声が上がっています」

とドクターに言ったら、上役に呼ばれて退職に追い込まれた

などという話を、最近ちょくちょく耳にするようになりました。

本人さんがおっしゃるケースも出てきました。

それって、エジプト や リビア と何が違うのでしょうか。

「地方の公立病院にはドクターのキテがないから」

というのであれば、そんなのやめちゃえばよいのです。


身分の高い武士なら通りすがりの人を斬ってもよかった、とか、

埴輪ができる以前は、家来も主君と一緒に墓に生き埋めになっていた とかいう時代ではないのですから。


これで私が攻撃を受けるようでは、自治体として社会としての発展は望めません。


中国人のパワーに負けず、どんどん書いていこうと思います。


うちの自治体も民主化できるように。








さきほどの産婦人科問題、

私はべつに、自分の意見だけを正当化したいわけではないのです。


確かに、私が子どもたちを産んだ産婦人科は、医療もその他のサービスも充実していて、しかも安く

至れり尽くせり です。

当然、大人気です。


もちろん、

その真逆の選択をする人には、その人なりの理屈があるわけで、

それはそれで、意見を尊重したいと思います。


ただ、

それでも、大きく分けて二つの視点で、私が納得がいかないのです。


ひとつは

「税金でやる事業なのか」

という視点です。


みんなのおカネでやる以上、ある程度妥当なことをしてほしいというのが、一市民としての願いです。

赤ちゃんを乱暴に扱うのがウリみたいになっていては、市民として恥ずかしいです。

(実際、乳児健診のときに、パックン落とされそうになりました。パラシュート反射とかではなくて、明らかに扱いがヘタ!って感じ。あれ、保健師さんがその場にいなかったら私、足蹴りしていたかも?)


もうひとつは、

「そこで働いている人々が、本当にそれで幸せなのか」

という視点です。


まるで、童話「はだかの王様」にでてくる仕立て屋さんみたいではありませんか。

やりがいとかあるのかなぁ。

罪悪感はないのかなぁ。

と冷静に考えてしまいます。

「産道から出てきたばかりの赤ちゃんを両脇で抱っこして、首がグラ~ンってなった」という話も直接きいたぐらいですから。


お産には当然かなりのリスクが伴うとは思いますが、もちろんそれ以前の問題ばかり。

でも、それを無視してフツーに生活する市民。


中国のパワーに、やはり反省してしまいます。



中国の脱線事故車両を埋めたのに、それをまた掘り返した とエライ盛り上がっていますね。


犠牲になった方には申し訳ないのですが、私はこの事故・事件を通して、「民衆のパワーの偉大さ」 を実感しました。


やっぱり、泣き寝入りは良くないなあ、と。


被害者家族だったらもちろん許せないでしょうが、もし直接関係ないにしても、

「許せないものは許せない」

「納得できないものは納得できない」

「おかしいものはおかしい」


と主張することが、やはり大事だということなのでしょうね。


私たち日本人も見習わなければ!と強く思いました。


「それができる社会にするには」、「それが出来る市民をいかに育てるか」を大学院で学びたいと思っている私にとっては、今回の事故・事件は、まるで水をぶっかけられたような、目の覚める、気合いの入るできごとでした。


だって、

公設公営の、新築の総合病院で、

「パパは出産に立ち会えません」って言われても怒らないヒトもいるし、

沐浴で臍の緒を流しちゃったのに「ハハハ」って助産師さんが笑っても、またそこで産むヒトもいるし、

LDR内のビデオ撮影も、もちろん禁止だし、

そんな話だらけ。


どう考えても、自分の出産場所として、我が子の誕生場所としてふさわしくない方針を打ち出しているところで

(他の科も散々。泣きやまない赤ちゃんを連れた母親に「何の薬がほしいですか?」と聞いたとか)

わざわざ出産しているヒトがいっぱいいて、

ビックリしてしまいます。


話を聞くだけでも、一市民として、ものすごく腹が立つのに、

なぜ、それがわからないのか、それが不思議でなりません。


おまけに、以前ブログに書いた至れり尽くせりのクリニックもあって、それがまた格安なわけで。。。


となると、社会の中で孤立しているか否か、情報を収集できているか否か

というあたりで、どこで産むかという選択が違ってくることは明白で、

でも、そんな「とんでもない」ところをわざわざ支持するヒトがいる限り、

行政も、人権文化も、いつまでたっても進まないわけで。


そこを、いかに打破していくか!が私にかかっているのです。


ビラまきも署名活動も、街宣活動もしませんが、その代わりに、エネルギーの健全な使い方の一つとして、

大学院に行きたいのです。


またまた、暑い日なのに熱くなってしまいました。

お読みくださり、ありがとうございました。


パッコロリンの授乳に夢中になっているうちに、体重が減ってしまい、

せっかくの婚約指輪がボソボソで、関節をスルリと通って落ちそうだから、

ここ5年ほど引き出しにしまったままで、

 

いよいよサイズ直しをしよう!


というところまで先週書きました。


が、台風接近中で、行けなかったのです。


今日は水曜日。唯一レッスンがお休みの日です。

だから、今日こそはサイズ直しに出かけようと指輪を出してはめてみたら・・・


何と、しっくりくるではありませんか。


むくみ?

それとも、太ったのかしら?


コロンは以前にも増して離乳食(というか殆ど一緒)パクパク食べるから、

たいしてカロリーを供給していないのかもしれません。


ちょっと体重計にのるのが久々に怖いような・・・。


とりあえず、今日のところは百貨店にサイズ直しに行くのは見合わせて、

院試用の卒業証明書と成績証明書をもらいに行くつもり。


もちろん結婚指輪をはめて。


先日、情報関係の仕事をしている夫が、受けてきた研修の内容を話してくれました。

私と違って寡黙なヒトなので、自分からしゃべりだしたことに、そもそも驚きました(*^▽^*)。


で、その中身とは


「マスコミが世論をつくる時代は終わった」


ということが主だったとか。なるほど。


これだけネットが普及して、個人の意見を発信も受信も手軽にできるようになると、

マスコミがせっせと民意誘導しようとしても、もうそのテにはのらない!ということなのでしょう。


それなら、後出しジャンケンにならないよう、さっさと書いておきましょう。


ここ10年以上、ずっと思っていることがあるのです。


「小学校って4年制ぐらいでいいのでは?」と。


あまりに唐突な見解で、初めて聞いた人は 「はぁ???」と思うしかないようなリアクションばかりですが、

語れば語るほど、みなさん納得してくださいます。


理由は大きくわけて5つぐらいあるので、また少しずつ書き留めておこうと思います。


「私が生きている間には、さすがにこれ(小学校4年制)の実施だけは無理かなぁ」

と思ってきましたが、ブログを始めてみて、

「いやいや、夢でもない」

と思えるようになってきました。


制度として6年制から4年制への変更は難しくても、実質的な教科担任制の導入は夢ではないと思いますし、すでに実施例もあります。


思えば、遠い学生時代、「公立幼稚園は解体に向かうのでは?」と熱く語っており、周囲を驚かせた私でしたが、

今年初めには、「幼保一体化で公立幼稚園は消滅する見通し」とはっきり報道され、

ちょっと自分の前衛ぶりに背筋が凍りました。

ちなみに「ブランド幼稚園は残る見通し」と明記されていました。

この度の震災の影響で、新制度への移行には時間がかかりそうですが、

少子化の折、保護者の目がシビアなことは事実のようです。


当該職種の方にしてみたら、私は天敵のような存在かもしれません。

でも、時代の流れには逆らえないのだと思う今日この頃です。






ここ最近、5日間連続で、赤い朝顔が一輪ずつ咲く朝顔 という状態が続いています。


咲かない日があったら、私や息子たちが悲しむかもしれないから・・・と

責任を持って「私が!」とまるで当番制で咲いてくれているかのようです朝顔


なぜか白い朝顔は、ここ数日ご無沙汰で・・・。


今月始めに追加で蒔いた種からも何本かは伸びてくれそうで、今後請うご期待朝顔


それよりも私、画像の処理がテキパキできるようになると良いのですが。

昨夏、記録的な猛暑のさなかに長女コロンを出産し、厳しい残暑を経て、ようやく涼しくなりかけた頃、

義父が提案しました。


「太陽光晴れ 始めようか?」と。


あまりに突然のことで、私は「はぁ???」という感じのリアクションだったかと思います。


よくよく話を聞いてみると、

業者さんの見積もりでは、義父母の部屋がある棟ではソーラーパネルの設置費用が割高なので、

私たち親子の部屋がある方の棟の屋根につけるというハナシなのです。


工事の方に見られてもはずかしくない程度に家の中を片付けなければならず、

コロンの授乳や沐浴の合間に少しでも横になって産後の体を休めたい私としては、

「勘弁してぇ~」

と言いたいところでした。


いや、それ以上に言いたかったことがあります。

「なぜ、今、太陽光なのですか?」と。


私たち夫婦の結婚直後、建て増しの際には一切話題にもならなかったのに。

暑い暑い夏も終わりかけているのに。


「なぜ、今?」

何度もそう思いました。


しかし、このご時世です。

被災地の方々や原発被害で苦しんでおられる方々のご苦労は察して余りあるでしょうから、

軽々しい言葉で申し訳ないのですが、

いま、自然エネルギーというかたちで、きわめて微力ながら我が家も社会貢献できるのは光栄です。


そして、突然の義父の提案に、私は、ただ脱帽です。