先週の函館記念は、小林美駒起用で一変を期待した▲ファウストラーゼンが“ズルしてでも”の微妙な走りながら、復活の勝利を飾ってくれた。馬券は単勝の1400円がヒット。計15点買っていたのでトリガミだが、そんなことより持ち味を発揮して勝ってくれたことがとにかく嬉しい。いいレースだった。
明けて今週は月曜深夜2時に国民的行事のサッカーW杯ブラジル戦があり、勝ったら早朝に出社するため、夕飯後の9時から1時半まで寝て万全の態勢でテレビ観戦。前半0-0なら…という希望の上をいく先制点に、超希望的観測たっぷりに後半に臨んだが、攻撃面に変化を加え積極的に出たブラジルに対し、守備を厚くし攻め手を欠いた日本。90分で勝つことより延長・PK戦を狙ったのか…。
日本のレベル確かに上がった、確かに進化した。選手たちは最後まで頑張ったし、サポーターも声援を送り続けた。しかし、いい試合をしながら勝てないのは、日本の悪しきレガシーがまだ国民性に染み付いているからなのかも。いま必要なのは結果を出すこと。勝利だけを求め、負けたら叩かれるくらい国民が優勝を期待してこそ、本当の意味でトロフィーに手が届くところまで来たと言えるのだろう。今回、4年に一度の大きなチャンスを逃したのは、本当に悔しい。
さて、POGの話を書こうと思っていたところに、残念なニュースが飛び込んできた。
田村康仁調教師が、病気のためお亡くなりになった。まだ63歳。早すぎる死に胸が痛くなった。
今から29年前の1997年秋、ワタシたち夫婦は1年遅れの新婚旅行で「ラスベガス&ブリーダーズカップ観戦ツアー」に参加した。そこで出逢ったのが、田村調教師ファミリーだった。若くして調教師試験に合格し、厩舎開業までの期間に家族サービスでこのツアーを選んだそうで、競馬好きの単身者が多かったせいか夫婦と親子3人は同じグループになることが多く、レースも一緒に観戦した。
2001年秋には美浦の厩舎を訪ね、ツアーの時の話や開業からの話、そして何より、その年の春に青葉賞を勝ってダービーに出走した外国産馬ルゼルの話をたっぷり聞かせてもらった。また、別の機会には、トレンチコートにハンチング帽でカッコよく決めていた田村さんらしく、「男たる者」というテーマの自信と自慢たっぷりのダンディートークを1時間半も聞かされたこともある。
男なら欲を持って、それを実現していくー。仕事の関係で疎遠になってからも、いつか田村厩舎からダービー馬が誕生するのを、いちファンとしてずっと応援してきた。それだけに、志半ばで病に倒れたのは残念でならない。
長男を連れてのツアーの間、奥さんのことを「ママ」と呼ぶ田村さんの独特のかすれ声が、今でも頭から離れない。合掌。