次の日も、昨日と同じ車両に乗った。
偶然でそうなることなんて、何度でもある。

まさか剛に会いたくてここに乗るわけじゃない。
そういう建前を心に刻み込んだ。


鏡を取り出して自分を見る。
前髪を直して、なにげなく窓の外を見る。

来る? 来ない?

ドアのほうは見なかった。
ただ電車の外を眺める。
行きかう人。金色の日差し。


その時男の子の声がいくつも、唐突に近づいた。

ふつうを装ってその声のするほうを見た。
あのグループだった。剛だった。

なんとなく気まずい、という風を装って顔をそむけた。
同じ学校の人とここまで近くになるのは、たとえ誰であろうといやなことには変わりない。


どれが剛の声かもわからない。
ただ耳をすませていた。
いつもと同じように、首筋ににじむ汗を気にしていた。


「昨日のあれ、見た? 剛」

肌にふれるすべてに敏感に反応した。
その声にも、その音が震わす空気にも。

「ああ、あれ。見た見た。すっげーおもしろかった」

そうやって笑い出す彼の声を。
ただ、聞いていた。
初めて聞く彼の声を。

これが剛の声。
顔をそむけたまま、笑顔も何も、まだ知らないけれど。

彼の声。
ただそれを、知ってしまった。

肌はさらに敏感さを増した。
体が、熱い。









帰宅すると、中学の卒業アルバムを取り出した。剛を探す。

見つけた剛は、確かにほかの生徒よりも綺麗に見えた。


中学にいる間の三年間、剛がかっこいいとか、強いとか、そういう話はたくさん聞いたが、浮いた話は一度も聞かなかった。
彼女がいたかどうかさえも知らない。

しかしこんな剛を、周囲がほっておくのだろうか。


校内ではサッカー部やバスケ部の人間が女子からの人気を集めている。
弓道部ではあまり騒がれなかったかもしれない。そういう、所属している部活で人間性をはかる目は、いつの時代も必ずあるものだ。


なぜだろう。

知り合いでもないのに。
今日の朝偶然に車両が一緒になっただけのこと。

それなのに。


なぜだろう、頭の中には剛しかいない。









今日は部活の入部手続きが行われる日だった。

中高一貫、といっても、一度中学を卒業し、部活も籍が抜かれるのでもう一度入部することになる。
活動は春休み中も続いていたけれど、また改めて高校生になったという感じがした。


放課後の部活動ミーティングの最中、顧問が真剣に厳格な話をしている間、なぜか頭の中は剛のことだった。

中学の時、冬にウィンタースポーツ体験旅行というのがあり、その時同じランクのクラスで剛とゲレンデを滑ったことを思い出した。

しかしその時話すことはただの一度もなく、確かバスの中で真子と騒いでいて、「うるさい」と言われた気がする。
それを思い出すと、とても優しいいい人というイメージがあったが、あながちそうでもないかもしれないという気がしてきた。


話をする顧問の目を焦点を合わせずに見て、ただ聞いていた。

ぼやけた視界はすべての思考をごちゃまぜにする。









剛のことは中学一年生の時から知っている。

兄も同じ、この中高一貫教育の学校に通っているみっつ上でついこの間卒業した。中学の時は弓道部だった。そして剛はその兄の後輩だったのだ。

それだけでなぜ知っているかというと、実は、剛は弓道にかけては部内では群を抜いて強かった。
兄が高一の時、中一だった彼も、同じように兄と肩を並べて試合で活躍していたのだ。

そして母から、よく「剛くんは強い」という話を聞かされていた。

加えて剛は、この学校の中でも顔立ちの整ったほうで、母もそれをまるで女子高生のように騒いでいた。


間近に見る剛の顔。

あまり熱心には見つめなかったが、ちらりと見ただけで整っている、と言われるのはよくわかった。


夏の空気も見えてきそうな蒸し暑い春の日。

首には自転車を必死にこいだために、うっすらと汗が浮かんだ。









次の日からは、中学の時とほとんど何も変わらない生活が流れていった。

変わったのは朝着る制服だけ。

この服は近隣一帯の私立学校の中でも、ある意味「評判の」さえなさだった。
街を歩けばある意味目立つ、というよりも浮くし、かわいさというものはかけらもない。
学校帰りに運命的な恋をするというのも、この制服では絶望的だ。


朝は学校の最寄り駅を通る路線の始発点に行くため、自転車をとばす。

何回か事故もあったが、命に特にかかわることもなく、ただ夏の日は暑く、冬の日は寒くといったことにだけ悩まされる。


駅はそれなりに繁華街の空気を醸す街にあるため大きく、乗り換えも多数。

朝も自分のような学生からサラリーマン、小学生までもたくさんの人が、発車ベルにせかされながら駅を行きかっている。


いつも乗る七時三十七分の電車。電光掲示板でその文字を確認する。

「よしっ。間に合った」

なにというわけでもないがつぶやき、階段を昇る。


学校の最寄り駅で真子と待ち合わせ。だから電車の中ではひとり。


この路線で嬉しいのは痴漢が少ないことだった。
確かに制服のこともあり痴漢にはただでさえ狙われにくかったが、同時にその手のマニアにはたまらないものでもあった。


中学の時とは少し違って、電車進行方向前方の車両に乗った。
意外と以前乗っていた車両よりも、なんとなく居心地がよかった。

これからはここにしよう。

高校生になったこともあるし心機一転、と思っていると、そこに同じ学校の男子生徒が数人乗りこんできた。
直接の知り合いはいないが、同学年の人だということは知っている。


その中にいたのが、剛(つよし)だった。