「すみません、それ・・」

ぼそぼそと小さな声だった。

「え?」
「これ」

剛は眼鏡に手を伸ばした。

「あ、こ・・」

眼鏡をさしだす。
剛は眼鏡を取ると、軽く頭を下げてその場を離れた。


「梨英?」

真子が呼んでいる。それでも、頭はほかのこと。


剛が見た時変な顔をしていなかっただろうか、前髪はひどくなかっただろうか。

鏡を取りだして、見る。

剛は、どう思ったのだろうか。


八組のホームルームが終わる。さらに廊下は騒がしさを増した。
けれどどこかその人波に接する体の内側で、思いはぐるぐると行きつく場所を探していた。









真子の掃除の間、少し時間をつぶしてから八組に向かった。
そこでは応援団と思われる人たちが数人、八組のホームルーム終了を待ってわらわらとしていた。

「あ、梨英!」

呼びかけたのはアミだった。

「アミー! アミも応援団?」

「そうそう。がんばろっ」

アミとは中一の時からの仲で、恋愛のことを相談したり遊びに行ったり、真子と同じくらい仲がいい。

今ではクラスが別れてしまっているが、朝一緒に駅で待ち合わせて学校に行くこともあった。

かばんを廊下の隅において、真子と話していた。周りでは男子たちが、廊下ではしゃぎまわっている。

ふと、鏡を見ようとかばんに近づくと、すぐそばに眼鏡が落ちていた。

「あれ?」

眼鏡を拾ってみると、左側のねじがはずれていた。

「あ・・・・」

真子に「これ誰のだろう」と言おうとした時、すぐ目の前に人影が現れた。

「すみません」


聞いたことのある声。
決して高いとは言えない身長。


目をあげる。
次第に視界に顔が映りだす。


剛だ。









桜は枝に、緑の葉をつけ始めていた。
四月ももう終わる。


その日の朝のホームルームで、応援団の立候補のことを先生が口にした。

「誰かいるか?」

真子とさりげなく目を合わせ、少し控え目に手を挙げた。しかしふたり以外、立候補者はいないようだ。

「じゃあそのふたりで・・いいかな?」

先生はクラスを一通り見渡した後、手元のノートに書き込んでいた。

「じゃあ、梨英と真子に決定だ」


放課後、先生は「応援団のふたりは、放課後1-8に集まるように」と言った。









その日のホームルームで、こんなことを言われた。

「六月の体育祭の応援団、したい人は考えておくように」

応援団は中二の時に経験がある。
しかし高校ではとくに演目を用意するわけでもなく、ただポンポンでも振り回して必死に応援する、まさに応援団になる。


外部入学の友達も増えるし、やってもいいけど、どうしようかな。

希望者が多ければやめようと思っていた。
しかし休み時間真子と話していると、真子は言った。

「あたしやろうかなあ。前からやりたいとは思ってたし」

「そう? じゃあ真子がやるなら私もやるー」

そう返して、結局ふたりで立候補することにした。


実際先生がその立候補に誰がいるのかを確認するのは、もっとあとの話だろうけれど、意外とすんなり、ふたりの間では話がまとまった。









駅に着いてからとぼとぼと歩いた。
剛のいる集団が後ろにいるのがわかる。

抜かされれば、後姿も見える。
とにかく前を歩いているのははずかしかった。


音がすりぬける。
電車の中で聞いた、高すぎない剛の声。

まだ、笑ってる。

横目に見た笑顔。
これが剛かと思う。
こんなにも顔をくしゃくしゃにして笑うんだと思った。


一日の始まりが楽しくなる。

朝が、これからきっと待ち遠しくなる。