わたしは今も悲しいあこがれに悩む、
ただひたすらに、あなたを慕う――
思い出の薄暮のなかで、
わたしは今もあなたの姿をとらえる……
忘れ得ぬあなたのやさしい姿、
それはいつでも、どこでも私の前にある、
手にとることもなく、変わることもなく、
あたかも夜空の星のように……。
彼の詩集なしには生きることはできないとトルストイに云われた詩人フョードル・チュッチェフの詩です。たいせつな人を失ったあとに、とめどなく押し寄せてくる悲しみをこの詩は抱きしめてくれます。
『月と不死』の著者、ニコライ・ネフスキーは少年のころからチュッチェフの詩を好み暗記していたそうです。ネフスキーは生後すぐに母と死別し、四歳のときに父と死別。祖父母とも十代で死別しました。ヴォルガ河の河面を照らし瞬く月や星を、顔もしらない母を慕いつつ、みあげていたのでしょう。彼は勉強がよくできてユーモアのある少年でした。伯母や神父様や従姉にかわいがられ、従姉は文学に造詣が深く彼に文学を導きました。青年に成長したネフスキーはペテルブルグ大学東洋語学部の卒業論文の冒頭にチュッチェフの詩を引用しています。
自然はあなたの考えとはちがって、
盲目でもなく、魂のないものでもない。
そこには魂があり、そこには自由がある、
またそこには愛があり、
そこには言葉があるのだ。
坂本龍一氏は遺稿となった『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』にネフスキーを記されました。月のように去るけれど、また会える、満月となり君を照らす―― 愛が聴こえてきます。