彼女のお母さんは「何もない村」に暮らしていました。彼女はふるさとを離れて都会のキーウで仕事する独身のキャリアウーマンでした。むかしコサックたちが彼女のふるさとに住もうと決めたとき、何もない野原だったので「何もない村」と名づけ、そのままそう呼ばれてきました。野原はきれいな草花がいっぱいなので、「かみつれ村」とか「矢車菊の村」と名づければよかったのに。田舎なのでパンの大好きなお母さんのためのパン屋さんももちろんありません。彼女はお母さんのために毎週末、キーウからふるさとへ、両手いっぱいのカバンにパンをつめて帰っていました。ところが彼女はその後、病で三十歳の若さで亡くなりました。誰もはっきりとは云わなかったけれども、「何もない村」には帰らない方がいいという噂が流れました。チェルノブイリから風が吹くから…
オリガ・ホメンコ氏著
『ウクライナから愛をこめて』(群像社)より
この本はウクライナに暮らす方々の様子が綴られたエッセイ集です。著者はキーウと東京の大学で学ばれたウクライナの作家であり、ジャーナリストの女性です。
ウクライナの方たちの暮らしが丁寧に伝わってきました。世界中に暮らしのディテールがさまざまにあり、そしてそのなかで、愛あり、悲しみあり… 懸命に日々を生きているのに、突然、奪われる暮らし。命。
お母さんに美味しいパンを届けていた、お母さん想いのやさしいむすめさんはワレンティナと云う美しいお名前です。お母さんがパンを頬ばる嬉しくてしょうのない笑顔までが泛びます。
物を書いていくわたしたちが識っておくべきことは、報道される地名や地図、死者数、武器提供国のみならず、どのように日々を懸命に生きている方たちなのかと云うことです。