【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】月夜のスナフキン | シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you 島ちゑ

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シナリオ・センター大阪校代表取締役 小島与志絵 ペンネーム 島ちゑのブログです。

 月夜の夜汽車がバイカル湖を過ぎたあたりの駅でプラットホームに降りたったロシア人の男は日本人の男から声をかけられました。

「このような月を眺めてゐると著しく湧きでてくる感情で、たましひは独り、満たされるものです。貴方も感ぜないわけにはゆきますまい。私達日本人は非常に月を愛します。今日の様な景色に接すると、詩が自然に口に浮びます。かうして、此処に私は既に半時間佇んでゐますが、どうしても離れて行くことができないのです。かうしている間に、二三の詩を作りました。お聞かせ申しませうか」
 と二三の日本の短歌を吟じました。 

 この出だしから始まるニコライ・ネフスキーの論文『月と不死』。坂本龍一氏が連載されていた『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』にネフスキーのことが紹介されていました。柳田國男を師と仰ぎ、アイヌ語や宮古島方言を研究され、特に宮古島群島の伝説をもとに月と不死の関わりを探求されました。

 なにより出だしのプラットホームでの日本の吟遊詩人とのやりとり。ネフスキーが感性あふれるロマンティストであることが伺えます。

 のちに北海道の漁師の娘さんであり琵琶奏者であられた女性と結婚され、お嬢様に恵まれました。しかし時の政権から奥さまにスパイの容疑がかかり、ご夫婦ともに命を奪われました。 

 書籍のなかに、暑い日だったのでしょう、ふんどし一枚で文机に和坐りし研究されているお写真が。日本を愛してくださった一人のロシア人がいらしたことに感謝の気持ちが充ちました。

 大阪校の記念祭短篇映画の取材に仲間とむかった西表島。海辺のカヌーと月光に三線の音がひびき…月信仰の心がそのまま今も伝わります。海辺の三線ライブはすばらしかったです。ネフスキーは三線の代わりに、愛する人の琵琶の音につつまれて月をみつめていたのでしょうね。