9月5日発売されたフレディ・マーキュリーの娘Bの証言を基に
レスリー・アン・ジョーンズ氏が4年間に渡り取材し執筆された
著書が発売されてから関係者やファンの間で物議を醸している。
彼女が34年の時を経て、今、フレディの娘であると名乗った理由は、
多くの映画や出版物などが矛盾だらけで、彼を実在の人物とは
異なる形で描く本、記事、ドキュメンタリーが沢山あるために
黙っているのが辛くなった。ただ真実を伝えたいためだけに
自分の存在を公表したという。
動画は、著者レスリー・アン氏が、なぜBを娘と信じて
執筆するに至ったのかを詳しく説明している動画で、
Bが娘であると断定したいくつかの根拠について述べていた。
●金銭的な要求や名誉などはまったく求めなかった点、
●実際にBと会うと、髪も瞳も鼻もフレディと似ていた点など
疑いようがなかったということを動画で話していた。
●誰も知り得ない事実を知っている点、
具体的には、フレディが生まれたザンジバルでの少年時代の話を
誰にも語ったことがなかった。何度もフレディを取材をしてきた
レスリー・アン氏すら、それを聞いたことがないのに彼女は知っていた。
「フレディは、ザンジバルでジェノサイドに見舞われた時に
フレディを運び出した船の名前を、彼女は知っていた。
ザンジバルの路上で一緒に過ごした幼なじみの
親友3人の名前も知っていた。」
「そして彼女は、ビーマン・ショー・ラスト・ギという
名前を口にしたので、『誰のことですか?』と尋ねると
「フレディの父親です」と答えた」
「これまでフレディについての多くの出版物があるが、
全て、フレディの父親は「ボミーバルサラ」とされてきた。
ところが、娘のBはビーマンという名前を出したので、
レスリー・アン氏はそれが正しいかを確認してみたところ、
帰化記録を調べると、『ビーマン・ショー・ラスト・ギ』という
名前の人物のところに、ボミー・バルサラ グラッドストン
アベニュー22番地フェルトン・ミドルセックスとあった。
これは、彼らがロンドンに移住した後の最終的に定住した家である。
フレディの父親のフルネームは、フレディの出生証明書にも
記載されていないことを、娘Bは知っていた。」
いつもフレディと一緒にいる身近な関係者にまったく知られずに、
どこでどのようにして親子が対面していたのかといえば、
スイスのモントルーのホテルや隠れ家などが
用意されていたという。
その手配は、秘密裏に全て隠し子の乳母が行っていた。
また1987年~1991年頃まではイギリスに転居して
フレディと娘が近い場所で会えるようにしていた。
ただ、フレディ・マーキュリーの身近にいた人達側からすれば、
フレディは家族を持ちたがっていたし、子供好きなので、
隠す必要がないため、認知しなかったのは考えられないという。
これまでのフレディ・マーキュリーに関して言われてきたことが
覆ってしまう恐れもあり、突然、フレディの娘だと主張する人に、
なぜ、今、名乗るのか?という疑問ばかりが湧いてしまい、
信じがたいという声の方が多い。
フレディが本名から「マーキュリー」という性に変えたことも
1960年NASAが計画したマーキュリー計画から来ていると
娘のBは語っていたという。Bの証言は正しいようだった。
またフレディは、ゲイではなくバイセクシャルであったと
断言している点で、女優バーバラ・バレンタインが愛人で
あったことも名言していた。
長年の恋人ジム・ハットンについては、実のところ
うんざりしていたが、別れると外で何を話されるか
わからないので、庭師として家に置いていただけで
世間で言われているような関係は解消していたという。
インドでの生活が嫌いだったというのは、
生前からフレディが公言して知られた事実であり、
その学校では成績が悪かったとも言われてきたが、
それは、その学校の教師から長い間性加害を受けてきて
そこから逃れるために、落第点を取って退学する以外に
その学校から逃げ出す道がなかったため、そういう手段を
使ったことを隠すため、「成績が悪すぎた」と言ってきたと
娘Bは語った。
17冊の日記には、そういったことが書き綴られてきて
これまで語られてきた、また身近に見てきた人達にとっても
フレディ・マーキュリーの違った面を知らされることになり
娘Bの話すことは作り事ではないかと疑われている。
著書について、多くの人から「こんなのは嘘だ」
フレディの娘と証明できるまで信じない
という人が大半だけれども、、、
私は、真実のような気がしている。
娘のBが身元を明かしたくない理由
娘のBは物語の中心となるノートを法的に所有していない
可能性があると説明した。
フレディはメアリー・オースティンに全財産を残しただけでなく、
クイーンの過去の全作品と創作物もソニーミュージックが所有しており、
その中にはフレディの楽曲だけでなく作詞作曲も含まれている可能性がある。
フレディの遺言書には死亡時に銀行やその他の第三者が保有している
可能性のあるものは、フレディの財産すべてを
メアリー・オースティンに遺贈するという条項がある。
フレディは娘のBにノートを渡したが、遺言書やそのほかの
公式な方法でそれを宣言していなかった。
そのため、Bが身元を明かせば、34年間大切にしてきた
ノートを失うかもしれないと不安を語る。
メアリーは物理的なノートブックの所有権を主張でき、
ソニーミュージックは所有権を主張できる。
こうした可能性を防ぐために、Bは匿名性を維持することを
選んだと述べている。