U2のボノ氏、来日。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080529-00000985-san-ent
「何のためにこのような活動を?」の質問に対して、
「正義のために」との答え。
「アフリカのため」「子供たちのために」などなどの答えを
想定してので、ちょっとびっくり。
“正義”とは、恐ろしいもので、それを貫くことで、
暴力化したりといったケースもある。
例えば、どんなに正しいことであろうとも、大上段から振り下ろせば、
受ける側は、心の痛みも伴う。
もちろん、それを感じれば、いち早く危険回避の行動を…となり、
実弾が飛び交うことにも。
それほど、この“正義”たるモノの取り扱いは危険だ。
会社経営においては、更に難解な代物となってくる。
例えば、社員間のトラブルが発覚し、プライベートのレベルを
はるかに超え、職場全体を巻き込む問題となってしまう
ようなケースでは、最終決断へと追い込まれることも。
となれば、解雇する社員と解雇しない社員の
区別をすることに。それらの判断は、極めて難しい。
本来の原因からはかけ離れ、日ごろの態度や言動、
を思い返し、自らの感情に重きを置いた判断に走りがち。
更には、派閥におけるパワーバランスなども入り乱れてくれば、
ますます混沌とした状態になってしまう。
経営者として、“組織の維持”を第一優先にと判断した
内容でさえ、自らの正義からは、かけ離れてしまうことも。
リーダーたるもの、何をもって決断をすべきか?
こういった場合、これまでの経験をベースにクライアントへ伝えることは、
「感情(私情)捨てて、冷静かつ客観的な決断をすること。」
「自らが犠牲となる覚悟で、汚れ役を買って出ること。」
「一度公表した決断は、どんなことがあっても変えないこと。」
「決着後は、個人を恨むことなく、再発防止のシステムづくりを
必ず行うこと。」
などである。
どんなに熟考した決断であっても
その価値基準に置いたものが、“自らの正義感”であったならば、
“社会における正義”とまでは言い切れない。
もちろん、時として完全一致することはあろうが。。。
多くの決断が時間とともに風化していく。
そこで、以後の過程において、微調整をかけながら、
正義と考えた当時の決断の整合性を求めていく作業に入るのであろう。
まずは、全力で決断をすること。そして、以後の仕組みづくりを
進めながら、正義と想定する方向を目指すこと。
つまり、理想の未来へと向かおうとするプロセスこそが、
正義への道なのかもしれない。
瞬間の正義にこだわり過ぎない。
長い時間をかけて、理想の正義を追う。
経営者たるもの、そんな正義に向かいたい―。