![ニヤリ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/003.png)
綺麗な清流の軽部川に架かるたらちね橋
を渡ると軽部神社です
灯籠と鳥居
駐車場がどこかわからないので隣の製材
所で聴くと駐車場で3台ぐらい停めれます
駐車場的なところ
立派な石の鳥居があって石段が有ります
石の鳥居
右手の石垣のところに由来が書いてあります
軽部神社(王子の宮)の由来
由来記によると建武元年(1334年)福山
城主大江田氏経が紀州熊野から
速玉男命(はやたまおのみこと)
事解男命(ことさかのおのみこと)
伊奘諾尊(いざなぎのみこと)
の三神を招来して軽部山頂に祈願所
を築いたらしい
よりによって熊野三山から男神ばかりを
招請しましたね!
武士らしいと言えば武士らしい
石段
しかしすぐに
建武3年(1336年)には足利直義が大江田
氏経を打ち破った時に焼失しました
寛正3年(1462年)加藤正長が復興して
社号を若一権現と称しましたが天正3年
(1575年)にまたしても兵火により焼失
灯籠と小祠
軽部神社のあった軽部山頂は山陽道や
高梁川を見張れる軍事の要衝だった
ので戦火により破壊されやすい
安土桃山時代
天正4年(1576年)信徒と氏子が集まって
社殿を再興、天照大神と国常立命を
祭神に入れて五社王子権現として祭り
をしました
手水舎
とっても水量があるので山水が流れて
います
水源
綺麗な水が流れています
平和な江戸時代になると
延宝6年(1678年)神社から山陽道を見下
ろす位置にあることから参勤交代の諸侯
に神様の戒めがるかもという理由で
山の下の現在地に移転されたらしい
氏子も山頂まで行くのが大変ですからね
社務所
明治2年(1869年))社号を軽部神社と改め
るが氏子は王子の宮(王子様)という
らしい
拝殿本殿
御祭神
速玉男命(はやたまおのみこと)
事解男命(ことさかのおのみこと)
伊奘諾尊(いざなぎのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
国常立命(くにのとこたちのみこと)
御祭神を見ると女神は天照大神だけで後は
男神ばかりです
ところが
拝殿はおっぱいの絵馬がビッシリ!
これでもかとてんこ盛りに並んでいます
以前の境内には垂乳根(たらちね)の桜と
いうしだれ桜が植っていてとても見事な
桜でした
桜の季節には参道に露天が出るほどの
賑わいだったそうです
垂乳根の桜
*児島虎次郎 垂乳根の桜 軽部神社看板より
いつしか垂乳根の桜のある王子神社は
女性の乳一切の守り神となり信仰され
るようになりました
おっぱい絵馬
おっぱいをつけた絵馬を作り奉納すれば
乳の出ない人は乳が出るようになり、乳癌
などの乳の病を癒す霊験あらたかな乳神
様になったのです
垂乳根の桜はどうなったかというと昭和15
年(1940年)に枯れてしまったそうです
樹齢400年ぐらいだったそうで、社務所の
ところに切株だけが残っています
垂乳根の桜の切株
ただし、ここの神社無人です
乳の絵馬を作れない人は困りますね〜!
しかし、心配無用!
吉備路おもてなし館でキットが売って
います1セット2000円らしい
おっぱいの絵馬
最もおっぱい神社で全国区になったのは
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」
で紹介されたからだそうです
最初は武士の祈願所としてできた神社が
今ではおっぱい関係の祈願所と連綿と
680年以上続いて残っていますね
歯のメンテナンスも続けていると歯が
残ります
↓
たかぼん
吉備路おもてなし館
http://motenasi.ec-net.jp/facilities.html
吉備真備公園と吉備大臣宮
軽部神社 マップ