奈良時代の天才政治家で文学者の吉備真備
(きびのまきび)の生まれた所が岡山県倉敷市
真備町(まびちょう)です
2018年7月6日に近くを流れる小田川の堤防
が決壊して大水害になったあの真備町です
Google Mapsで「真備公産湯の井戸」を
発見し潜入調査しました
真備公産湯の井戸
朱塗りのとっても古代唐風なたおやかな屋根
がある所が吉備真備(きびのまきび)の産湯の水
を汲んだ井戸です
駐車場もあって4台ぐらい停められます
駐車場
↑
地元のおっちゃんが軽トラを駐めていました
駐車場から一段下がった所に井戸があります
駐車場の段差の壁には日本地図と遣唐使船が
デザインされていて、日本地図の真備町には
赤い丸印🔴があります
駐車場の段差の壁
吉備真備は奈良時代の地方貴族ですが遣唐使
で唐に渡り、当時最新の学問を修め玄宗皇帝
にも認められる才能を持ち
官位は従八位下から正二位・右大臣まで
チョー出世しました
会社でいうと網走支店の社員が副社長
になったようなものです
産湯の井戸
日本に帰ると唐のような国造りをしていた
聖武天皇に才能を見出され大出世し
朝廷の実力者が橘諸兄になると出世して
藤原仲麻呂が実力者になると左遷され
罰ゲームのようなもう一度遣唐使として唐に
行かされますが
何回も日本行きを失敗した鑑真和尚を
見事日本に連れてくる離れ業をして
藤原仲麻呂の乱の時には追悼軍で見事に
鎮圧し孝謙上皇に目をかけられ
孝謙上皇が称徳天皇と重祚すると右大臣に
まで登り詰めるのです
半沢直樹のような逆行も跳ね返す脅威の
働きぶり
この井戸は吉備真備が生まれる前夜に
星が落ちたといわれています☆彡
井戸の入口
↑
何にも見えません!星も見えませんね~!
吉備真備は良い時も悪い時も淡々と仕事を
して成功するという偉人です
新羅が強くなってくると左遷先の太宰府で
筑前国に怡土城(いとじょう)などを築き
防衛線を強化し新羅の侵略を防ぎ
淡々と日本為に仕事をするのです
向こうの木のそばに何か石碑が有りますね!
木と石碑
よく見て見ると大きな石碑と木に隠れた石碑
があります
吉備公館址
木に隠れた石碑は吉備公館址の石碑です
吉備公館址石碑
では大きな石碑は何かと言うと上はラテン語
のようで下が日本語の訳のようです
まきび)さんは元ドイツ人のカトリックの
司祭なのです!
しかも、昭和20年8月6日に広島の爆心地
から1.2kmの幟町天主公教会で被曝した被爆者
でもあります
そして破壊された幟町天主公教会を再建して
世界平和記念聖堂を作った神父さんです
日本文化に造詣が深くキリスト教関係者にも
坐禅を勧め、カトリック禅という境地を
切り開きました
ドイツ人で元フーゴ・ラッサールという名前
から昭和23年には日本に帰化し愛宮真備と
いう帰化名に変わります
愛宮真備の吉備真備顕彰碑
不滅の遺徳を仰がん
この碑石は、この地に生をうけた文学者
として、また政治家として、多くの功績を
のこされた先賢吉備真備公をたたえるため
に建てられたものである。
願わくは、この偉人のけ高い理想と貴徳が、
祖国日本の青少年の永遠の模範となり不滅の
指標とならんことを。
昭和三十八年十月一日
愛宮真備
吉備真備顕彰碑 日本語文部分
洗練された文章でなく文字もうまいと
いえない自筆ですが
淡々と仕事をこなして日本に政治面や文化面
で大きく良い影響を与えた吉備真備を
本当に尊敬している気持ちが伝わってきます
自分の帰化名に「真備」をつけたことで
世界平和記念聖堂を作るような大きな仕事
が上手く行ってる時もそうでない時も
頑張れる気持ちを思い出させたかも知れ
ません
淡々と歯のメンテナンス行くと歯が良く
なります
↓
たかぼん
吉備真備産湯の井戸HP
https://www.city.kurashiki.okayama.jp/8164.htm
カトリック幟町教会世界平和記念聖堂HP
http://noboricho.catholic.hiroshima.jp/
まきび公園ブログ
https://ameblo.jp/sbi39/entry-12616477697.html
真備公産湯の井戸 マップ
吉備公館址 マップ