駐車場から見ると段々のある山ですが
正面から見ると凄いです
昭和28年(1953年)の石柱があります
史跡土塔碑
駐車場もあり10台は停められそうですが
入口は狭く急峻なので注意です
駐車場
神亀4年(727年)堺市出身の行基が大野寺の
土塔の周りは綺麗に整備されて土塔町公園
になっています
土塔町公園入口
公園には立派な門がありここから土塔を見る
と瓦で覆われた山のようです
土塔正面(西側)
一辺53.1mで高さは8.6m以上あり十三層の
塔で水平面と垂直面を瓦葺きにして風雨に
よる盛土の崩壊を防いだようです
土塔南西角
瓦は6万枚も使われてようで北西160mには
土塔の瓦を焼く窯跡が2つ発見されています
昭和10年(1935年)の土塔
*土塔町公園の看板より
発掘前は麦畑(二毛作だから田圃)にある
小山でしたが
発掘後平成21年(2009年)に完成した
ようです
発掘当時の遺構の再現
一部に遺構の再現しているところがあります
茶色のセメントに割れた瓦が並んでいる所
です
遺構の再現の看板
*土塔町公園の看板より
しかも出てきた瓦には文字が書かれていて
「知識」や「神亀4年」文字が書かれている
ものや
出土した瓦のレプリカ
ヘラ書きで文字が書かれた瓦1000点以上あり
大半が僧侶や尼僧、優婆塞(出家してない
信者)、矢田部連達麻呂(やたべむらじたつまろ)
などの豪族、刀自古(とじこ)などの一般民衆
と様々な階層の名前が書いてあります
皆んな瓦供養で喜捨したようです
土塔復元模型
12段の瓦でできた基壇に八角堂が建って
いたことがわかっています
もちろん行基さんが塔を作るためだけに
土塔を作るわけがない
隣を見ると大門池があります
大門池
この大門池を造る時出てきた粘土を利用して
土塔を作ったに違いない
北700mにあるもっと大きな菰池も行基さん
が造った池です
この辺りの豪族と組んで土木工事をして
作物の収穫量が増えたのは想像がつきます
領民も作物が多く取れ、豪族も年貢が増え
仏教は実力を認めらる三方良しの仕組みです
現在の大野寺
現在の大野寺は奈良時代に行基さんが創建
してから平安時代には衰微して、江戸時代の
元和七年(1621年)長悦坊が再興したらしい
御本尊十一面観音立像
堺市博物館蔵 行基菩薩像
近鉄奈良駅前の行基菩薩銅像