奈良の頭塔は遣唐使で留学した玄昉が左遷されて怨霊になって飛んできた頭の供養の場所!奇妙に違った | 誰も行かない観光地をめぐる奇妙なトラベラーたかぼんブログ

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奈良のピラミッドとも奈良のボロブドゥール
とも呼ばれる頭塔(ずとう)を見に奈良市
高畑町に行きましたニヤリ
 
この辺なんだけどね~
と思っているとこの『史跡頭塔』の
看板がありました照れ
 
史跡頭塔の妖しい看板

 

 
50m次の辻右折』を信じて右に曲がると
仲村太寶堂という表具屋さんがあり
 
そこに史跡頭塔保存顕彰会事務局
書いてありましたおねがい
 
仲村太寶堂(仲村表具店)
 
 
サントリーのリボンオレンジの自販機が
とってもレトロですニヤリ
 
 
頭塔保存顕彰会事務局の前を通って
お地蔵さんが横にある門があります
ここが頭塔の入口のようなのに!えー
 
頭塔入口らしき門と子安地蔵
 
 
入口の横には子安地蔵があります
 
ところが入口には南京錠がかかってますショボーン
 
そこに
 
頭塔公開についての掲示がありました
 
頭塔公開の掲示
 
 
事前予約仲村表具店に連絡、当日見学
ホテルウェルネス飛鳥路のフロントまでと
いう事でしたショボーン
 
もう少し行くと民間の駐車場の崖の上に森が
あるのでここだと思うのですが…えー
 
民間の月極駐車場
 
 
見えるのに入口が無いショボーン
 
そうこうしているうちに元の道に戻って
来て一周しただけでしたガーン
 
しかし
 
ホテルウェルネス飛鳥路の看板を発見し
ました照れ
 
ホテルウェルネス飛鳥路の看板
 
 
覗くと頭塔がありますねー!アレです!ラブ
 
こんなに迷うとは頭塔という名前と言い
怨霊の仕業があるかも知れない えー
 
ホテルウェルネス飛鳥路と頭塔
 

ホテルウェルネス飛鳥路は営業中止中です
 
ホテルウェルネス飛鳥路入口
 
 
書いてあったホテルのフロントの番号に電話
するとホテルの人が鍵を持って来てくれ
ましたウインク
 
*令和2年7月1日からは仲村表具店だけに
なり前日までの予約が必要です by奈良県HP
 
頭塔東側
 
 
入場料300円
 
入口から入ると頭塔の北側に当たります
 
 
七段の石垣にところどころに石仏があり
石仏の所は瓦屋根がありますニコニコ
 
 
全体をみると頭塔北面案内図のようになって
います
 
神護景雲元(767年)東大寺の僧実忠土塔
築いたという記録があります
 
頭塔北面案内図
 
*頭塔の看板より
 
実忠良弁僧正華厳宗を学び東大寺二月堂
のお水取り(十一面悔過)を創始者ですびっくり
 
実忠天保宝字4年(760年)東大寺の目代
なって東大寺の実務を切り盛りした高僧です
 
もちろん皇室がスポンサーだったようです
 ニヤリ
浮彫如来及一侍者像
 
 
瓦屋根の紋章は奈良時代の複弁蓮華紋
なっていますね!ラブ
 
石仏は素朴でおおらかで癒されます照れ
 
頭塔の作られる3年前に孝謙太上天皇道鏡
の政治に反対する藤原仲麻呂の乱が起こり
 
孝謙太上天皇が鎮圧した後、戦没者の鎮魂
国家鎮護のために作った仏舎利塔だったよう
ですガーンガーンガーン
 
浮彫如来及両脇侍二侍者像
 
 
頭塔(ずとう)とい名前は土塔(どとう)が
なまってずとうとなったと言われていますえー
 
東大寺が作ったこの頭塔は平安時代には
東大寺のライバル興福寺の支配下になり
ましたニヤリ
 
 
興福寺の伝説
 
興福寺法相宗の大先輩で遣唐使で唐に
留学した玄昉というお坊さんがいました
 
唐の玄宗皇帝にも才能を認められたほどの
天才日本に帰って天皇の寵愛を受け大出世
しましたがえー
 
藤原仲麻呂に疎まれて大宰府の観世音寺
に左遷され翌年亡くなりましたガーン
 
その後
怨霊になった玄昉の体は空を飛んで5か所に
落ちたそうでガーン
 
興福寺南大門に落ちそれを供養した所
なので頭塔と名前がついたと言われ信じられ
ていましたガーンガーンガーン
 
しかし
 
発掘調査し頭蓋骨が出てこなくて仏舎利塔
であることがわかりましたウインク
 
浮彫如来及両脇侍二脇侍像
 
 
中には像の上の場所のように瓦屋根がある
けれど像の無い所もあります
 
本当はこんな風に瓦屋根は続いていたらしい
 
頭塔復元案図
 
*頭塔の看板より
 
今は石仏のあった所だけ瓦屋根がついてあり
その方がデザイン的には面白いですウインク
 
南側は史跡頭塔の石碑解説木板があります
 
丁度子安地蔵があったところから登る道沿
いの場所です
 
史跡頭塔碑と案内木板
 
 
後ろにはたぶん興福寺の坊さんのお墓が
あります
 
奈良時代の超天才で法相宗の高僧玄昉と一緒
に祀ってもらいたいと思ったのでしょうえー
 
お墓
 
 
発掘調査の結果では頭塔は下に初期の頭塔
上にまた頭塔を作ったらしい事も解っています

 

*頭塔の看板より
 
大きさは基壇が一辺32m高さは10mです
 
パンフレットには頭塔の上空からの写真が
掲載されていますびっくり
 
史跡頭塔パンフレット
 
 
頭塔南東の角から見ると南側と東側1/3は
まだ石垣で修復されていません
 
頭塔南西角
 
 
周りに回廊があり見学に便利ですおねがい
 
できれば階段があって登れれば一番上
の五輪塔にお詣りできるのですが・・・
 
浮彫如来及両脇侍二侍者像
 
 
日頃道の横にある石仏をみるよりもほのぼの
しますね照れ
 
修復前の写真
 
*頭塔の看板より
 
以前は木が生えていて下の方に石垣が少し
残っているだけだったようです
 
石仏の置き場は44ヶ所あって今は23体
残っているようですウインク
 
頭塔北東角
 
 
中には郡山城の石垣になっているのが一体
あるそうですびっくり
 
郡山城の石垣にもここの石仏も見つけるし
頭塔が玄昉の首塚でないこともわかって
 
玄昉が左遷後死んで怨霊になって頭が
ここまで飛んでこなかったようですが・・・
 
玄昉を左遷した藤原仲麻呂の乱がこの塔の
建立動機とはねニヤリ
 
発掘調査恐るべしですね!
 
虫歯を発掘調査してほしい人はこちら
 
たかぼん
 
史跡頭塔/奈良県公式ホームページ
http://www.pref.nara.jp/6709.htm
 
頭塔 マップ