岐阜県 関ケ原山中の若宮八幡神社には大谷吉継のお墓と陣跡があり奇妙に誠実な香りがする | 誰も行かない観光地をめぐる奇妙なトラベラーたかぼんブログ

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奇妙な物、奇妙な出来事に会わずして旅行といえない!!人は旅に行くことによって、自分と違う土地、違う食事、違う習慣、違う考えを見て、それらを認め合うようになるのです。あるいは、自分を発見するのかもしれません。人類の平和のためにLet's go トラベル

現代では「大谷」といえば大谷翔平ですが

安土桃山時代だと大谷吉継ですグラサン
 
あの関ケ原の戦いで討死した大谷吉継です
その墓がこの神社の上に有ります
 
若宮八幡神社
 
 
向かい側には立派な駐車場もあります
 
 
階段を登って行くと石の鳥居の向こうに
線路がありますポーン
 
石の鳥居
 
 
JR東海道本線びっくり
 
 
度々電車が走ります爆  笑
 
石燈籠のある石段を登れば拝殿本殿です
 
 
山の中の怪しい感じの古さが凄いですニヤリ
 
手水舎
 
 
小さな手水舎ですがいい清水が流れています
お掃除も行き届いて清々しいウインク
 
拝殿
 
 
御祭神
第三十九代 弘文天皇(大友皇子)
普通「若宮八幡神社」の祭神は仁徳天皇
決まっていますが
 
大友皇子(弘文天皇)であるところが
この神社の奇妙で凄いところですニヤリ
 
天智天皇の死後壬申の乱(672年)が没発
 
天智天皇の息子大友皇子は叔父の天武天皇
皇位を争って大友皇子はこの近辺で
で討ち死にしますえー
 
その後、大友皇子を1300年以上
お祀りしていたんです凄いでしょう
負けた方ですよ!ゲッソリ
 
「弘文天皇」は明治3年に追号されたのです
 
宮上大谷吉隆陣地四十間の石碑
 
 
山を登って行くと松尾山眺望地があります
 
松尾山ビューポイント 眺望案内板
 
 
見える一番高い山が松尾山
関ケ原の合戦の時に小早川秀秋が布陣し
立派に裏切って東軍勝利の原因となった
 
新幹線が通るときはヒューと凄い音がします
びっくり

青が名神高速
白が東海道新幹線
黄が国道21号線
赤が東海道本線
 
関ヶ原が交通の要衝だと良くわかります
壬申の乱も関ケ原の合戦も起こるわけです
ウインク
大谷吉継陣跡
 
image
 ↑
大谷吉継の顔だしもあります
 
越前敦賀5万石の大名で
政治と戦略の才能があったニコニコ
 
らい病をわずらい顔が崩れて行くので
頭巾をしていました
 
 
元々色々な紛争の仲裁が得意の武将
 
西軍の石田三成とは固い友情で結ばれており
徳川家康と戦っても負けると思っていたが
 
西軍で戦かった誠実な人ですびっくり
誠実でないと仲裁は出来ないですからね
 
同じ敷地内に湯浅五助の墓があります
 
湯浅五助貞隆之墓
 

湯浅五助は主君大谷吉継に「醜いすがたを
見せたくない。首を切って隠してくれ」と
頼まれますゲッソリ
 
主君の首を切って隠します
 
その時、東軍藤堂高虎の家来
東堂高刑(とうどうたかのり)に見つかる
 
五助
私の首の代わりに、主君の首をここに
埋めたことを秘して欲しい」と懇願した
えーん
高虎高刑家康本陣五助の首を持って行き
家康大喜びで吉継の側近中の側近の五助なら
大谷吉継の首の場所を知ってたであろうと
 
家康は高刑に吉継の首のありかを詰問する
ゲッソリ
高刑は
知らない事はないが、五助と他弁をしない
と誓って首を取ったので、このことは
どなた様にも言えませぬ!
どうぞ、私を御処分くだされ」と答えた
プンプン
吉継の首のありかをいえば
大手柄になるのに一切言わなかった
 
家康は感心して高刑に自分の槍と刀を
与えたという
ポーン
大谷刑部少輔吉隆碑
 
*昭和15年の顕彰碑です
「吉継」は「吉隆」と呼ばれることもある
 
関ヶ原には騙し騙された戦いがあったが
ニヤリ
大谷吉継のように友情誠実で
湯浅五助のように主君誠実で
東堂高刑のように約束に誠実な
 
人々が
 
この神社の近辺で戦った事を忘れないで欲しい
プンプン
 
だってそうでしょう
1300年以上前の大友皇子を
誠実にお祀りして来たのですから
ポーン
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若宮八幡神社 マップ