恭仁京(くにきょう)は右京、左京が離れている奇妙な都 | 誰も行かない観光地をめぐる奇妙なトラベラーたかぼんブログ

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奇妙な物、奇妙な出来事に会わずして旅行といえない!!人は旅に行くことによって、自分と違う土地、違う食事、違う習慣、違う考えを見て、それらを認め合うようになるのです。あるいは、自分を発見するのかもしれません。人類の平和のためにLet's go トラベル

恭仁京(くにきょう)はとっても奇妙な都です。

740年(天平12年)にあの奈良の大仏を作った聖武天皇が作ったのですが、3年ほどで廃止されて、紫香楽宮、難波宮を経て、平城京に戻った

恭仁京の推定地がまたおもしろい
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*足利健亮著「地図から読む歴史」より

大極殿は左京(東側)にあり木津川の北側はほぼ、大極殿だけ

真ん中に狛山鹿背山があって、左京(西側)があるという奇妙さ

都が2つに分かれている!!

木津川

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伊賀の青山高原に発し、三重県から京都府に入り、宇治川桂川と合流して淀川になり、大阪に流れる

奈良時代から、奈良の都の外港で、物流拠点。新興勢力の橘諸兄の本拠地でした

右京(東側)にはJR木津駅から、泉橋を渡ります

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奈良時代には木津川が泉河と呼ばれていたので、泉橋となったらしい。

手前には、平安後期の源平合戦の頃、平重衡(たいらのしげひら:平清盛の五男)は源氏に味方する東大寺、興福寺を焼き討ちした。

その為、恨みを買い、頼朝に捕まってから南都衆に引渡され、此処で1185年(元暦2年)処刑されて、首を洗った池があります

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この木の生えているあたりの窪地が池だった

恨みをかっては行けませんね

奈良時代、行基740年に泉橋をもう少し西側に建設し、橋の管理のため、泉橋寺というお寺を建てた

行基さんの噴水

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近鉄奈良駅で、噴水になっているあの行基上人ですよ

今の泉橋から少し西側にある

泉橋寺

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手前に地蔵尊がある

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なんとなくアンバランスでしょう
応仁の乱の影響で1471年にこの石の地蔵堂は燃えて首と手が落ちたらしい。江戸時代に頭部と両手が補修されたらしい

この寺の西側の道は恭仁京の左京の中心の道で、

今は

上狛問屋街に続く道

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室町時代から始まった茶の栽培

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江戸時代末期の神戸港開港によって、茶を輸出するようになり、いまでも茶問屋が並んでいる

製茶の工場

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山城茶業之碑

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京都茶農業共同組合

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茶ロードになっている

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上狛駅の付近を見ると、「大将軍」やら、「藤原」とかの地名が残っていて、恭仁京の一部が残っているようだ

高麗寺跡

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恭仁京の右京の東端にあった仏教寺院跡です

一方
左京
大極殿跡は何処、こちらはJR関西線の加茂駅から、コミューターバスで行けます

恭仁京跡
山城国国分寺跡
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都大路の跡

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大極殿の敷石

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近くの集落の掲示板

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集落の名前に「登大路」とは凄いでしょう!

幻の奇妙な都です

しかし、隠れていても地名には残りますね

たかぼん