私達の痛みの病気に対する今の痛み医療を、住宅と例えるなら、震度4で全壊する欠陥住宅と言えます。


倒れないための具体的な耐震補強 つまり、痛みを根本から改善するための原因追究と治療法確立の動きが全くありません。震度12(超軽度の痛み)に耐え得る簡略な対策のみで、震度4以上(重度の痛み)は手付かず。


私達の痛みの苦しみと現状は、震度7と言えます。それを患者自身、体ひとつて耐え忍んでいるのです。家の倒壊=自決。しかし、地震と同じで起こってからでないど、恐ろしさや辛さは実感できないのでしょうね


自分が住んでる所は巨大地震がまだない=自分は病気でないからわからない、関係ない。


私達の痛みの病気を地震に例えると、病気は主観的、地震は外的なものでいつ何処でくるかわからない その時の状況によりけりなので、分かりにくいところもあるかもしれませんが、共通するのは認識の低さによる招く被害の拡大です。


限度に達していることがわかっていない、またはわかっていながらも、認識が及んでなかったり手付かずでは、個人で補うにはあまりに残酷です。


私達、震度7レベルの体の痛みに対しての痛み対策(耐震)は、震度7が来て、童話の三匹の子豚の わらや木の家と言えます。例え話をして、話にならない状況下に置かれているのは察してもらえるのかな…。

各メディアや医療機関、研究所宛、その他いたるところに取材・研究対象の手紙やメールを、ここ10年間で何百通と送っていますが、吉報が返ってきたことは一度もありません。向こうの都合があるのは承知しています。

しかしながら、体の痛み病態の深刻性や患者の現状が、私達当事者が思う以上に社会に全く浸透していないんだな…と幾度となく痛感させられます。何度、こんなやるせない思いをするばいいのか…何度、谷底に突き落とされ這い上がればいいのか…。事態改善のために何をするも、空を切るだけで…。

病名未確定の会の患者会設立や、バルセロナに行って署名活動してきたことも、今まで発言してきたことも、何もかも、もうどうあっても報われることはないのかな。あまりの世間とのギャップで気持ちがこれ以上もちません…。

社会に認知されるキッカケがつかめれば…。その思いで活動を続けできましたが、何をしても返事が来ないなら、さすがに活動意義を見出せません。この体の痛みを何とかしたい、知ってもらいたい、その一心にも限度がきそうです。

何度経験したかわからないし、狼少年と捉えられるとこれまた辛いのだが、もう死ぬしかないと追い込まれた時、痛みの病気の事で医療者をはじめその他様々なものから受けてきた人外被害が、思い返したくないのに半自然的に念が込み上げてくる。


もう死ぬしかないという焦燥感とこれまでの憎悪が、水と油みたいに決して混合しないように反発し合う。想像を絶する痛み辛苦の中、それに対し更に負荷を負わせられ どうする事もできない現実に対し、あまりの非人道に訳の分からないパニック状態になる。その念が自制できなくなると、突発的に発狂したり物を壊したり、全気力が底をつき何も食べれない 動こうと思っても体が全く動かなくなる。


それのどちらか。今日は後者でした。空腹でも食べ物も喉を通りません。体も動かそうと思っても気力が皆無で動きません。ただベッドに横になるだけ…。


病気の辛苦とそれに対する人外被害。人事移動で痛みが悪化し退職し無職。何をしても報われる気配がもうさすがにしなくなった。


性根尽き果てると、生きてる心地が全くしません。それは、宇宙空間に放り出された感じで、どっちが上か下か、前か後ろか左か右か動いているのかいないのか全く感じ取れない。そうなると、息をすること自体が苦しくなってくる。