あっ、あまり元気(心身ともに)でない人が多いのもわかっているので愚問ですね。
食品を買いに行ったのですが、
DVが増えているんですよねー
コロナが関係ない時でもDVがどんどん増えていたのですが、
今は「コロナDV」みたいなものが。
元教師としましては、今のDVはニュースでしか(詳細や背景が正確にわからない)得られないのですが、
この「コロナDV」と今まで教育現場で体験した事案とは何か違う気がします。
でも、違うと思う反面、「根底は一緒」かとも。
私はDVに携わる専門家ではないので、
仕組みや事例をあげることは控えさせていただきま(私の思いを書かせていただきます)すが、
・コロナで家の中
・マスク買いたくてもない
・テレビも再放送やコロナばっかり
・店も開いてない
・みんなで飲めない
・テレワークなんてできない
・お金がない
・・・・。
もっともっとありますよね。
そりゃ、気持ちが落ちますよね。
この天然な私でも、どこに「光」があるんだろう?
って探している毎日。
いつもなら絶対にある!って拡声器を持って街を歩くわ!!
でも、その「光」のために命を削りながら働いてくださっている人がいらっしゃるのもわかってるし、感謝。
だから絶対に「光」はあるの。
そして、その「光」を私たちに取り戻してくれるために働いてくださっている人にも家族がいて、友達がいて、、、辿っていくと、日本人、いえ、世界中の人が繋がっていると思わない?
だから、世界が今、それぞれが それぞれの苦しさを我慢しながら、助け合いながら、乗り越えて「光」を手にしましょう。
でね、この我慢。
口では簡単に言えるのよね。
でも、我慢できない時、家の中にいなきゃいけない、さぁどうする?
「叩いてしまいました」
あんなに優しいお父さんが?!
となるのです。
きっと、「しつけで叩いた」とか言い訳をしないと思います。
「イライラしていた」とはっきりおっしゃると思います。
そして、残るのは叩かれた人の体の痛みと心の傷、、、、
そして、
叩いた人の心の傷です。
私が教師をしていた頃は、今ほど体罰が厳しく取り上げられていませんでした。(肯定しているのではないです)
でも、私は絶対に生徒を叩かないと決めていたし、他の先生が叩くのを見たときに嫌な気持ちになったこともあります。
ある日、それは体育会でした。
中学3年生の担任をしていたのですが、
今だから言えますが、相当その学年が荒れていて教師も疲弊していました。
あっ、疲弊は理由になりませんよ
ある男の子が通ってはいけない経路を通って移動しようとしていました。
当然、私は注意しました。
でも、「はい」という言葉もなく笑って歩き続けるので、
もう一度注意しました。
でも、笑って歩き続けました。
次の瞬間、私は「ビンタ」していました。
その子はその経路を通るのをやめました。。。私との信頼関係と引き換えに。
私に残ったのは、その子が経路を変えて規則を守ったということよりも、叩いたことです。
なぜなら、「衝動で、感情で」叩いたからです。
そこに何も「幸せ」はうまれませんでした。
今のコロナが少しでも関係しているDVもこの感情の部分では大きいのではないでしょうか?
まだ収束する目処がはっきりとわからない中、衝動で動いてしまうこともあると思うのです。
それを少しでも減らしたいです。
「光」
は くるから。
何か私にできることがあれば、、、、、、(探しています)