人の皮膚、細胞、臓器、血液から様々なことをリーディングする。
人の身体の状態、食生活などを読むときは、
「皮膚、細胞、臓器、血液」をメインに観ます。
血中のいろんな成分から、ここ最近のその人の食生活や、普段よく飲んでるものの種類なんかも分かります。
この時、対象者の体の外側のある一定範囲の領域、「オーラ」と呼ばれるもの、も一緒に観ています。
※リーディングでは、常にその人の「全体」を把握しつつ、気になるところ、必要な情報のありそうなところにフォーカスする感じです。
「全体」とは、その人のリアルの身体だけでなくて、その人に関するすべて、現在、過去、過去世、別の次元、あらゆるところに、時間も距離も超えてアクセスします。
「オーラ」というのは、この世界の物理的には、
「その人の体、細胞などから発する電気的な何か」
ではないかなと、私は推測しています。
(あと、体温とか、身体から出る水蒸気的なもの、そこに含まれる物質、におい、他の様々な成分なんかとの複合かなと)
「オーラを読む」も、「身体、細胞や臓器をリーディングする」も、
やっていることは、そこから読み取れる「その人に関するあらゆる情報」の中から、私がその時に必要とするものを「スキャン」するように探して、
そうして見つけた「データたち」は、私も自身の身体、細胞を通して受け取り、それが私の脳に伝わり、
私の脳は、それらを、私にわかるようなイメージや感覚に変換していき、
さらにそこに、日本語での解釈や説明を加えて、受け取ったデーたちがどういう内容だったのか、私が理解できるようにする、
というのが、リーディングの仕組みなんだと、私は考えています。
※ちなみにこの後、それを相手に伝える時には、相手が分かる言葉、観念などに翻訳して伝えます。
その時にも、「あ、この人はこの言葉なら伝わるな(伝わらないな)」というのも、リーディングで把握します。
※ヒーリング、セミナー中は、そうやって、あらゆることを全方向で視たり感じたりしながら、かなりの速度で膨大な情報を処理しまくってます。
普段と全く違う脳の使い方で、さらに、セッションとセミナーではまた使う脳の方向性が違う部分もあるし、その状態で集中しながら長時間脳を使い続けるので、やった後は頭がすごく疲れてます。
特にセミナーは、都度都度の説明が必要で、どういう言葉や表現で話すかとか時間配分とか、リアルに意識を向けて思考しないといけないし、
同時に、相手の理解を探るとか、伝わる言葉や表現に翻訳するときなんかにはリーディングが必要で、リアルな意識とは逆の、深く潜っていく瞑想状態にならないといけなくて、
その両極端の意識の繰り返しをしまくる長時間なので、脳の疲れがもう本当に半端ないです。
ヒーリング他、スピリチュアル系の能力に差が出る理由のひとつは、「感じる才能の差」ももちろんあるけれど、
でもそれって、「ごくごく一部のめちゃくちゃ才能があふれる人」以外の「その他大勢」は能力的違いってそれほど大きくなくて、
それよりも、
自身が感じたことに対する理解・解釈をする脳のレベル=知識や経験量がかなり関係するんですよね。
だから、学んで、自主練習して、他人相手に実地訓練して、常に仮説と検証を繰り返して、というコツコツ研鑽がやっぱりものすごく大事です。
また、リーディングって、入り口が血液や細胞のような体情報であっても、オーラであっても、
そこから、
心の状態、
普段周囲にいる人(こんな感じの人、みたいな、人物像)、
過去、
過去世、
親兄弟をたどれば彼らのそれ、みたいに、
「その意図で辿りさえすれば」、いろんなことが見れます。
やろうとすれば、ですけど。
基本的に私は、仕事とか、自分のため(安全とか安心)に必要がないとやらないです。
リーディングって、私自身がなんていうか、純粋な意図、「きれいな状態」でないと、やった後すっごく気分が悪いというか、キモチワルクなるから。
あと、私はリーディングする時、人や生き物、食べ物、その他、「見る対象」と同化、エネルギー的にとはいえ一体化します。
その人の内面、心みたいなものにべったりダイレクトに触れて、なおかつ、一時的とはいえ本当に「混じる」感じになります。
その影響が、特に「対象」が人の場合はめちゃ大きいんです。同種族だからなのか。
例えば、
法的にアウト、
またはグレー、
または、
「一応法的にはダメじゃないけど人として、ていうか私的にこういうことする人はナイわ」
でもなんでも、
「そういう心の人」をリーディングするのはものすごくものすごく、キモチワルイです。
ツライ。
しんどい。
無理無理の無理。
なので、私みたいな人たちから「覗かれる」とか、「暴かれる」ことは、心配いらないです。
何らかの必要、理由がなければ基本やらないだろうから。
あとは、こういう理由からも心配ないです。
最後に、
「リーディングというものは全部を完璧に当てないなら本物じゃない」
みたいな、荒行苦行な修行僧的思い込みしてる人って結構いるんだけど、
現実の様々なデータという「確実な情報」がすでにあるなら、まずそれを使うのは当たり前。
でも、それだけじゃ足りない、「欠ける部分」、「繋がりづらい箇所」って必ずあるから、その部分で、リーディングが活きるんです。
「見える(触れる)部分」と「見えない(触れない)部分」の両方のデータを正しく揃えながら、「より完全な情報」に近づける。
そのために「見える・触れる情報」も「リーディング」も、どっちも必要に応じて上手に組み合わせながら使えばいいんです。
「当てる」ことにこだわる意味はないので、そういう意識は早めに手放した方がリーディングの上達は早いですよ。