英国のインド植民地支配 | 狭山与太郎のどですかでん

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先日NHKのバタフライエフェクトでは宗主国英国の圧政に対するガンジーの無抵抗運動について放映していました。

イスラエルの極悪非道なガザ攻撃に対し、国連での非難決議や停戦決議では米国は拒否権を行使して常にイスラエル支持を表明しています。

その陰で英国は決議に棄権するなど目立たぬように常にイスラエル支持側に回っています。

そもそもパレスチナ問題は場当たり的でご都合主義的な英国の外交政策の結果。

英国の植民地主義、大英帝国体質は今もなお変わっていず、それはそのまま現在のアメリカに受け継がれていると言っていいでしょう。

 

英国がかつて中国やインド、アフリカでどれぐらい酷いことをしてきたか、インドを例にとって振り返ってみます。

5月にチャールズ国王の戴冠式が行われましたが、この時使用した王冠はインドからの略奪品であることがネットなどで話題になりました。

英国王室は値が付けられないほどの貴重な宝飾品の数々を所有していますが、その殆どは植民地にされたインドから略奪したものでその額は何と現在の価値で40兆ドル(約6000兆円)と言われています。

インドからの略奪品だった!?英王室の豪華な宝石コレクションに関する新事実 (cosmopolitan.com)

 

そうして英国が植民地時代にインドから奪ったものはこれら金銀財宝だけではありません。

イギリスの植民地になる前のインドは世界経済の23%ものシェアを占めていましたが、独立した時にはそれはわずか4%に低下していました。

イギリスの植民地支配の終わりには、インドの人口の90%が貧困ライン以下で生活し、平均寿命はわずか27歳でした。

植民地時代の識字率は17%未満であり、幼稚園から大学までのインドの全教育費の支出はニューヨーク州の小学校の予算の半分にも満たない状態でした。

さらに、1880年代から植民地政権が実施した人口調査によると、この期間に死亡率は大幅に増加し、1880年代の1,000人あたり37.2人から1910年代には44.2人に増加しました。

『World Development』誌に掲載された論文によれば、1891年から1920年の間に、インドでは約5000万人の超過死亡が発生しています。

しかも、この5000万人という数は控えめであり、植民地時代以前のインドの死亡率を16世紀から17世紀のイギリスの死亡率(1,000人当たり27.18人)と同程度であったと仮定すると、1881年から1920年の間にインドで1億6,500万人の超過死亡が発生していたと試算されています。

これはソビエト連邦、毛沢東主義の中国、北朝鮮、ポル・ポトのカンボジア、エチオピアにおけるすべての飢饉で発生した死者数の合計よりも多い数となっています。

この要因の一つはイギリスがインドの製造業を事実上破壊したことでした。

植民地になる前インドは世界最大の工業生産国の1つであり、高品質の繊維製品を世界の隅々に輸出していました。

イギリスで生産された繊維製品は品質や価格でインドに太刀打ちできませんでした。

しかし、1757年にイギリス東インド会社がベンガルの支配権を握ったときからこの状況は変わり始めました。

植民地政権は実質的にインドの関税を撤廃しイギリス製品がインド国内にあふれることを許し、法外な税金と国内関税のシステムを作りインド人が自国内で布を売ることはおろか輸出することもできなくしたのです。

東インド会社は、インドを製造業国から農産物を輸出する国に変えることに成功し、イギリスの製造業者は莫大な利益を得ましたが、インドは貧困に陥り人々は飢餓や病気に襲われるようになります。

イギリスはインド国民に重税を課しその収入で逆にインドから穀物、綿花、アヘンなどのインド製品をほぼ無料で入手しました。

これらの商品は、イギリス国内で消費されるか、海外に再輸出され、その収入はイギリス国家の収入となりイギリスとその入植者植民地であるアメリカ、カナダ、オーストラリアの産業発展の資金に充てられたのです。

インドで干ばつや洪水が発生し食料を確保できなかったときでさえ、インドに食料の輸出を強制し19世紀後半の政策による飢饉で何千万人ものインド人が餓死したことは殆ど知られていません。

最近スターリン時代のソ連がウクライナから農産物を根こそぎ収奪し、数百万もの餓死者を生んだことが度々報道されていますが、その数十倍もの規模で英国も同じようなことをしていたというわけです。

現在、英国のスナク首相はインド系の富豪の出身ですがこのような英国とインドの歴史についてどのように感じているのでしょう。

歴史家のマイク・デイヴィスは、イギリスの帝国主義的政策は「しばしば18,000フィートから投下された爆弾(原子爆弾)とまったく同じ道徳的であった」と論じています。

 

英国の大英博物館は嘗て大英帝国時代に植民地から収奪した美術工芸品や歴史上重要な文化財や幾多の戦争によって得られた戦利品で埋め尽くされており、その収蔵数は800万点と言われています。

 

現在、このような露骨な植民地からの収奪は影を潜めていますが、代わりにIMFや世界銀行などを使った金融資本やグローバル企業がその役割を担っています。

日本は果たして収奪している側なのか収奪されている側なのか?

 

一人当たりGDP(USドル換算)