私が生まれ育ったのは北海道札幌ですから冬のスポーツと言えばスキー。
スポーツというよりは遊びという感覚ですね。
でも、地元でもスキーと縁のない人は一杯いました。
私の実家が山に近かったせいかもしれません。
サッポロも当時は12月になるともう根雪が積もります。
離れには暖房用の石炭を保管する結構大きな物置小屋があってその屋根の雪下ろしをするとその雪で屋根と地面がつながりちょっとした坂が出来上がるのです。
その坂を利用して幼いころからそりやスキー遊びに興じたものでした。
毎年正月には雑煮を食べた後兄に連れられて近くのスキー場に行くのが恒例となっていました。
スキー場とは言えリフトもないような単なる山のふもとの斜面の畑に雪が積もったようなスキー場が札幌には至る所にあったんです。
現在は宅地化が進みほぼ全滅してます。
当時はスキーと言ってもスキー靴なるものは無くてみんな長靴にバンドでスキーをくくりつけるというのが主流でした。
ですから途中で転倒すると長靴ごと脱げてスキーと長靴が自力滑走しそれを殆ど素足で下まで追いかけるなんてことが小学校の3年生くらいまでの状況だったんです。
小学校4年頃までシーズン中2.3回ほど「スキー遠足」なるものがあってみんなで近くのスキー場まで行ってスキーをするのですが、その前日には全員にキャラメルやドロップなどが入った「おやつ」が配られそれが楽しみでもありました。
待ちきれなくてほとんどは前日に食べてしまうのです。
勿論その頃は「リフト」なるものはまだ珍しく、スキーを履いたまま登るか担いで上まで登るのです。
ですからどんなに寒くても暫くすると汗をかいて下着はびっしょりとなります。
数十分もかけて苦労して登ってはあっという間に滑り降りるという具合ですからスキーの技術そのものはあまり上達しません。
帰るときにはそのタオルを取り出すのですが、その時のすっきりとした感覚は言葉では言い表せないほどです。
抜き取ったタオルから白い湯気が立つのが何とも印象的でした。
小学生でも裕福な家庭やスキーに拘る親がいる子供は今様のスキー靴を履いており、その頃から我々とは全く次元の違うスキーをしており滑り出すと周りの大人も感心して眺めているほどでした。
友人の兄はオリンピック選手で(猪谷千春ではありません)家に行くと当時金メダル三冠で話題になったオーストリアのトニー・ザイラーとのツーショット写真なんかが飾られていました。
とにかく中学の頃までスキー靴はガブガブのゴム製で兄が買ったイタリア製のスキー靴を借りて滑った時にはこんなに違うものかとびっくりしたものでした。
それ以来この小さめのスキー靴を無理して履いていたのです。
高校の時には毎年スキー大会なるものがあって、スキー部の連中がどんなに必至で毎日練習しても私の友人に勝てなかったのですが、3年になって初めてスキー部員が優勝したのです。
雪辱を果たしたというわけではなく大会の日にその友人の家に集まって朝から麻雀大会を開催していたからです。
彼はまじめにその気でやっていればそこそこのところまで行ったのではないかと仲間内では言われていましたが本人は全くその気はなく、クラブにも入らず彼にとってはスキーは単なるお遊び。
いくら天才的な才能があってもその気が無けりゃあただの人ってわけです。
大学を卒業し東京の会社に就職しましたがちょうどその頃日本国中がスキーブームの全盛期。
何でスキー如きにこんな大騒ぎしているんだろうと不思議な感じがしてしまいましたが、早速影響を受けてすぐに初任給とほぼ同じ値段のスキーブーツを初任給の倍もする板と共に月賦で購入しました。
そうしてシーズン中はほぼ隔週でスキーに興じていましたが、結婚を機に辞めました。
何しろスキーはオカネがかかりますからね。
10年ほど前からまた再開しましたが、体力の衰え著しくさすがに今年はもう無理かなという感じです。
殆どスキーで転んだという記憶が無いのですが、昨年は不覚にも転倒してしまったのはまだいいとして、平地だったせいもあって自力で立ち上がることができず愕然としてしまいました。
せっかく一昨年新調したスキーブーツも10回も使用しないまま廃棄処分することになりそう。
昨年思い切ってゴーグルも新調したんだけど。
ここで怪我をして入院でもしたらそれこそ一生終わりだと思うと諦めもつくというものです。
そもそもスキー場は遠いし、寒いし、雪は降るし…・
準備するだけでも大変。
楽しみよりも次第に苦痛の方が比重が増すという感じかな。
いつも宿泊しているホテルの客を見ても、ゲレンデを見ても同世代の人は殆ど見かけませんものね。