映画「モリコーネ」を観る | 狭山与太郎のどですかでん

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もう半年も前に封切られた映画ではありますが、今日は恒例の川越スカラ座で「モリコーネ」を見てきたのであります。

観客は20人ほど。殆どが中高年の女性でした。

さすがに監督がジュゼッペ・トルナトーレだけあって何とも素晴らしいドキュメンタリー映画に仕上がっています。

我々の世代の映画ファン映画音楽ファンにとっては絶対に見逃せない映画です。まさに懐かしい映画のオンパレードです。

彼は元はと言えば坂本龍一 久石譲やモーリス・ジャールと同じく現代音楽の作曲家ですが、映画音楽を手掛ける前は現代音楽だけではなく様々な分野の音楽を作曲していたことが紹介されています。

(現代音楽だけ作曲していたのでは食ってけませんからね)

その中には昔懐かし聞き覚えのある曲もいくつかありました。

ツイストブームの頃はジャニー・モランディーの曲などを作っていました。

 

その他にも彼はシャルル・アズナヴール、ポール・アンカ、ミルヴァ、ジョーン・バエズ、マリオ・ランツァ、アンナ・モッフォといったポピュラー界、オペラ界の名歌手たちのために500曲以上のヒット・ソングを書いています。(若い人たちにはなじみのない名前ばかりですが…)

モリコーネ (fc2.com)

ジョーン・バエズが歌ってヒットした「死刑台のメロディー」の主題歌「勝利への参加」も彼の作曲だとは知りませんでしたがその時のいきさつも映画の中で語られています。

(16) ジョーン・バエズJoan Baez/勝利への讃歌Here's To You (1970年) - YouTube

因みに、インタビューに応じた最近のジョーン・バエズの映像も出てきますが殆ど昔活躍していた頃の面影はありません。

このブログでも何回か紹介している「ウエスタン」という映画のバックに流れる超高音のハミングを歌っている歌手の映像も出てきました。

エッダ・デッロルソというイタリアのソプラノ歌手であることがわかりましした。

因みに、この映画の冒頭20分ほど、3人の殺し屋がチャールズ・ブロンソンの列車が到着するのを待つシーンが延々と映し出されますが実はこれはモリコーネの現代音楽のためのシーンだということを初めて知りました。

そういえば確かに、電信機がカチカチ鳴ったりハエがブンブン飛び回ったりこの場面は映像よりもむしろ音がポイント。

これが現代音楽だったとは気が付きませんでした。

 

映画音楽の作曲家と言えば旧いところでは「エデンの東」や「黒い牡牛」のビクター・ヤングや「十戒」「荒野の7人」「大脱走」などのエルマー・バンスティン、史劇物のミクロス・ローザ、「アラモ」や「北京の55日」のディミトリー・ティオムキン、「西部開拓史」のライオネル・ニューマン、「太陽がいっぱい」のニーノ・ロータなどなど。

その後は007のジョン・バリーやらスターウオーズシリーズのジョン・ウイリアムス、最近ではこの映画でもたびたび登場するハンス・ジマーなど多くの有名作曲家がいますがその量にしても質にしてもモリコーネの右に出る人はいないでしょう。

1969年には1年で21本の映画音楽を手掛け、生涯400本以上の映画音楽を作曲したとのことですが、基本的な作曲技法は勿論のことその発想やアイデアの豊富さには感嘆せざるを得ません。

基本的には彼はシューベルトやドボルザークのようなメロディーメーカーです。

特にバックグラウンドで聞こえる雑音や騒音まで取り込んだ音楽づくり、楽器の使用。

例えば荒野の用心棒の口笛やワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカの草笛、鞭や鐘の音など非常に効果的に音楽に取り込んで使っています。

映画音楽という独自の分野を成熟させた天才と言っていいでしょう。

そして「ミッション」や「ニューシネマパラダイス」などのテーマ曲も独立した楽曲として数多くカヴァー演奏されるなど感動的な名曲ばかりで映画そのものの価値を高めています。

弦楽器の奏でる和音の音色にも独特なやさしさや柔らかさがあって、鳴りだした途端に彼の曲であることがすぐに分かると映画の中でも誰かが語っています。

まさに彼が述べるように映画音楽を単なる映画の付随物としてではなく現代音楽として確固たる地位を築いた功績は大きいのではないでしょうか。

彼は6回もアカデミー作曲賞にノミネートされていながらその都度受章を逃しています。

そうして2016年になってやっと「ヘイトフル・エイト}でアカデミー作曲賞を受賞します。(「ラストエンペラー」の坂本龍一の方が早い)

あまりにも遅すぎる受賞。何故なのでしょうか?

 

彼が作曲するときはピアノなどの楽器は弾かずに直接五線譜に音符を書き入れています。想像力が豊かなのでしょう。ピアノは鍵盤を見るだけ。

確かにピアノはあまり得意ではないようです。

彼の父親はトランペット奏者でジャズ楽団や歌劇場、さらには初期トーキー映画の録音セッションと、至る所で演奏していました。
エンニオは小さい頃から父親のバンドに出入りして6歳で作曲を始め多才ぶりを発揮しています。

そうして父親の勧めでトランペットを習うため、1938年、わずか10歳でローマのサンタ・チェチーリア音楽院に入学します。

因みに、彼と西部劇映画でコンビを組んだセルジオ・レオーネ監督はローマの「キリスト兄弟団  」学校で同級生でした。

 

彼の父が晩年トランペットの演奏技術も衰え演奏する機会がなくなったことを気遣ってエンリオは父親が生存中はトランペットを演奏することもトランペットを使用する曲を作ることも控えるようになったと述べています。彼は有名な愛妻家でもありました。

 

この映画を見て彼が音楽を手掛けた映画をもう一度見直したくなりました。

見直したい映画は山ほどあります。