あの日 | サックスぷれーやーな日々

サックスぷれーやーな日々

北海道旭川市で演奏活動をしている
クラシカルサクソフォニスト伊藤嘉彦のBlogです☆

シャワーを浴びて
俺はえびせん食ってた

(北海道の実家)

地震起きた

旭川はね?地震こないの。普通。

だからね?
電気の線がプラプラ揺れて、

その日俺だけしか家にいなくて
母さんに電話した。

近く親戚の結婚式があるから服買ってて
気づかなかった。と。

父さんは仕事中

まだ生きてたじーさんは
もちろん無反応。

そーだったか??
って。


で、災害が起きたらNHKでしょ?


すごい場面を垣間見て
ハッキリ言って俺の地方からは関係ない土地。


だけど
ハリウッド映画を見てるような。
失礼だけど。


そこから24時間以上俺はテレビにかじりついた。


自分は無力だ


そう思った。


テレビで状況を見続けるだけ。


どんどんすごい展開になっていく東北。


ずーーーっと
見てた。


何もできない俺の歯がゆさ。


東北の友達は連絡取れない。


東京の友達は帰宅難民だから
電話のバッテリー使いたくないからって切られた。


当たり前のことだけどね。


俺は、
おれ、
何かできることない?
テレビ見てえびせん食ってる場合??

何かできないの?

勝手に1人でワタワタしてたんだけど、


気づいたこと。


おれ楽器吹けるじゃん!!

えびせん食ってる場合じゃねーよ!!



チャリティーコンサート



やろ。



おれ1人だとコンサートとして成り立たない。



仲間見つけなきゃ!!



おれ、すぐ行動に移した。
このダラダラだるだるなおれが
この時ばかりは動いた。



だって何かしなきゃ!!



コンサート企画した。

なるべく早く!早い段階で!すぐ!!
音楽の仲間たちが集まってくれた。

いざこざが無かったとは言い切れないけど、

それからおれは馬車馬のように動いた。

こんな動いて動いて!!
なんておれの音楽の歴史でなかったんじゃないかな。


会場おさえて、
そしたらありがたいことに
メディアの方々がどんどん力を貸してくれて、

ラジオにも何度か出て人を集めた。

新聞にも掲載していただいた。

紙モノ
おれの尊敬する
いつもおれの紙モノ作ってくれてた彼女、
印刷その他色々頼りになった会社の皆様。
ここでもインタビューしていただけたんだっけか。

事務的、広報全ておれは頑張ってて
肝心の音楽がもう手つけれなくて、
練習もできなくて。

初めておれの伴奏者に
「下手くそ」
言われて、
やべー色々やらなきゃいけないことあるけど
おれ音楽で本番乗らなきゃなのにこれはやべー。

時間作って頑張って
とりあえず人前で演奏できるくらいまで仕上げて


もう
おれの中で、早く早く!!
だから、
色々な歯車回すの大変だった。

ほんっっっと色々な方々にお世話になり
ありがたいことに
全てノーギャラ
でやって頂いた会社の方々、

もちろんノーギャラの音楽家の方々、


おれは1ヶ月にやることに意味を感じなかった。


とりあえず早く早く!!!


なぜかって
北海道の人たちは
危機感が無い。
大きな天変地異が無いから。

だからおれは早く早く!!
みんなのお客様となってくれている
「仲間」たちの気持ちの新鮮さというか
感情がまだ東日本に向いている
そこで打たないと意味がないと思ったから。


お陰で1ヶ月しないでコンサート開催でき、
ある程度の義援金を集められ、
赤十字に送った。


こんなことでしか何もできないおれだけど。
最後までこれで良かったのかな?
とか思ったけど

おれすごい動いたと思う。


ホントは慰問演奏に行こうかとも考えてたけど、
被災者の方々に迷惑かけると本末転倒だから

遠い北海道から

気持ち、届けばいいな。

なんて思って過ごした




8年前










おしまい