ボブから学ぶ。 | キッカ。のブログ

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今日は久しぶりに、

 

 

機能不全家族、虐待、アダルトチルドレンについて語りたいと思います。

 

 

最近めっきりそんな話してなかったですね。

 

 

 

近日公開予定の「ボブという名の猫2~幸せのギフト~」、

 

 

原作の一つでもある「ボブが教えてくれたこと」をずっと読んでいました。

 

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この本は野良の茶トラ猫ボブと過ごした日々から、

 

 

麻薬中毒&ホームレスから脱却したジェームズさんの人生哲学をまとめている本です。

 

 

原書自体も洋書を取り扱っている書店に行けば並んでいますので英語で読みたい方はぜひ。

 

 

 

 

本の締めくくりには、

 

 

「誰にでもセカンドチャンスはめぐってくる」という言葉。

 

 

本をすべて読み終え改めてこの文章を読むと、

 

 

自分も込み上げてくる想いがあり思わず涙ぐみました。

 

 

ボブからたくさんの事を学び、

 

 

ジェームズさん自身が乗り越えてきたということ。

 

 

なによりも、

 

 

ジェームズさんも路頭に迷ったとき頼れる仲間がいなかったのだとも思う。

 

 

 

 

僕は決して依存症の人たちを擁護する気はありません。

 

 

いけないことはいけないからです。

 

 

かつて自分もそれに含まれる人間でしたから(僕は共依存だけど)そうなるメガニズムや辛さはよくわかります。

 

 

また自分で自分を上手くコントロールできないもどかしさもわかります。

 

 

ジェームズさんも同じように語られていますが、

 

 

依存症の人全員に共通することは、

 

 

師と言えるような人縁もなく、

 

 

心の落ち着く居場所がない(依存したいという意味ではなく)ということです。

 

 

ほとんどが機能不全家族で育ち、

 

 

自立を促される愛よりかは子どもに寄りかかろうとする大人がいる環境であるため、

 

 

コミュニケーションもうまく鍛えられないどころか、

 

 

世間がわからず困ったときや苦しいときのアドバイスももらえない。

 

 

だから自分の存在価値がわからないし、

 

 

自分でどう自律してい生きていくべきなのかわからなくなってしまう・・・。

 

 

僕は依存症、アダルトチルドレンの方に共通しているのはこういうところだと思っています。

 

 

再度言いますが、

 

 

依存症に陥って他人様に迷惑をかけることは極悪で許されるべきではありません。

 

 

けれども、

 

 

ジェームズさんはボブという猫が現れたことで、

 

 

初めて生きる意味を見出せたのではないかと思うのです。

 

 

ホームレスでお金がないのに、

 

 

ボブと初めて出会ったとき、

 

 

ひどくケガをしていたボブを治療するため、

 

 

自分の財産を彼の治療費に当てました。

 

 

ボブがなぜジェームズさんに目をつけたのかは今までもこれからも解明できない謎ですが、

 

 

ジェームズさんがおっしゃっているよう、

 

 

「ボブとつながれたことで初めて自分が透明人間ではないように思えた。」

 

 

「自分が透明人間ではないと知って、初めて自分が存在している気持ちになれた。」

 

 

これがすごく、

 

 

「切ないな・・・」

 

 

純粋にそう思いました。

 

 

 

 

僕も自分が透明人間に感じる場面はしょっちゅうでした。

 

 

それゆえにだんだん自分でも気づけないくらい共依存症へと進化してしまいました。

 

 

今でも僕はあの頃の自分をとても恥じています。

 

 

今も重い十字架です。

 

 

本当に自分は何をやっていたんだろう?

 

 

時間が経った今でも夢に出てきて魘されることもあります。

 

 

そして思い出すたび、

 

 

ひたすら心の中で今も謝罪をします。

 

 

もう何度謝罪したことか。

 

 

自分がノコノコ生きててもいいのか?と思ってしまう時も正直あります。

 

 

当時はまったく自覚がないどころか、

 

 

自分としては当たり前のように振舞っていました。

 

 

今思うと、

 

 

周りの人間はすごく不愉快に感じていただろうなと推測できる場面が多々あります。

 

 

でもあの時は気づきもしないどころかそれが普通のように思っていました。

 

 

 

 

 

僕にはボブのようなパートナーは現れなかったけど、

 

 

この作品が世界で愛されている理由は、

 

 

ジェームズさんが麻薬中毒者だったからとか、

 

 

彼がホームレスで挽回したからとかそういうことじゃなくて、

 

 

純粋に生き物同士で触れ合う大切を教えてくれているからなんだと思う。

 

 

ジャームズさんもボブを大切にし、

 

 

ボブも言語はなくともしっかり忠誠心を魅せるアクションを大切にする。

 

 

誰もが憧れる場面なのではないでしょうか?

 

 

それさえあれば貧困であろうが未来がなかろうが、

 

 

誰でも立ち向かえていけるんだよ。

 

 

愛と勇気さえしっかり持っていれば、

 

 

必ず人生はやり直せるんだということなんだと思う。

 

 

その根本を教えてくれてるんだと思う。

 

 

 

 

僕がこの作品に出逢ったキッカケは、

 

 

正に自分が虐待のPTSDと向き合うため、

 

 

本格的にセラピーの作業に取り掛かったときです。

 

 

社会で属することをお休みし、

 

 

自分の感性を磨くために映画鑑賞を選びました。

 

 

今ではそれは習慣化となり、

 

 

語学学習まで幅が広がっていますが、

 

 

丁度行きつけのTSUTAYAでこの表紙に目を奪われました。

 

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僕は断然犬派なので猫系のものは全然興味がなかったのですが、

 

 

どういうわけかこの映画には惹かれました。

 

 

理由は3つあります。

 

 

ひとつは実話を基にしているということ、

 

 

ふたつめは僕の好きなイギリスが舞台であること、

 

 

三つ目はあらすじを読むとどうやら訳あり青年の物語であるということでした。

 

 

ボブという存在すらも知らなかったのですが、

 

 

迷わずに借りて家ですぐさま観た時、

 

 

とても感動したのと同時に、

 

 

「この映画、また観たい。」

 

 

そう思わせてくれました。

 

 

しかもほとんどのシーンがボブ本人が演じているのも驚きです(もちろん代役の時もある)。

 

 

 

それをキッカケに原作であるこの本を買い、

 

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原書も手にしました(画像暗くてごめんなさいw)。

 

 

本では映画でも描かれていないこともたくさん赤裸々に語られています。

 

 

なぜホームレスになってしまったのか、

 

 

ホームレス生活中も偏見どころか悪質な嫌がらせ、

 

 

ジェームズさんボブの命も危なくなりそうな危険な事象、

 

 

他にも落ちぶれては亡くなってしまう仲間のエピソード、

 

 

ジェームズさん自身の家族問題、

 

 

もともと動物を愛する青年であったことなど、

 

 

映画以上に重い話もたくさんありました。

 

 

一冊では書ききれないので、

 

 

こうやって続編がたくさん出ています↓、

 

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ちなみに↓は去年ボブが亡くなってから出版された本なので新しいですが、

 

 

内容はボブが亡くなる前のお話です。

 

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今こうやってコロナ禍になったり、

 

 

色んな場面で「破滅」を迎えているような時代だと思います。

 

 

僕ですらも「破滅」を感じます。

 

 

ツイッターでも対立や炎上も目立ち、

 

 

みんなが苛立ちストレスの鬱憤を晴らしている様を感じます。

 

 

ここで僕たちは個々に分裂して孤独になる道を選ぶのか、

 

 

それともこういう時だからこそジェームズさんとボブのような育みを大切にするのか、

 

 

まさに岐路に立たされているのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

ちょっと僕の私情となるので読者の皆さんには心から申し訳ないのですが、

 

 

先日、友人とやりとりをしていました。

 

 

その友人の発言にとても驚き、今距離をあけています。

 

 

別に喧嘩でもないです(というか喧嘩したことは一度もない関係なので)。

 

 

なにげない雑談のなかから発信したその子の反応に愕然としました。

 

 

もちろん向こうはまったく悪気もなく発した言葉であり、

 

 

別に僕の気分を害するつもりじゃない発言なのはわかっています。

 

 

もともと少し天然ボケがある子かつ、

 

 

あまり小さいことは気にしない子でもあるから余計にそう思います。

 

 

けれども、

 

 

とても綺麗な心を持っている友人なだけにその言葉はとてもショックで、

 

 

壊れてしまったのか?と思うほど様変わりしているような言葉でした。

 

 

その子には色々な借りがあるので感謝でいっぱいです。

 

 

いくら御礼を言っても足りないくらいです。

 

 

僕はいつも申し訳なく思ってるくらいだから・・・。

 

 

だからこそショックです。

 

 

ここ1、2年、

 

 

その子の発する話に少しずつ違和感を覚える瞬間はあったけど、

 

 

ときどき感性が正常に感じない時があって怖くなるときがある。

 

 

本当にどうしちゃったのかな?

 

 

今読んでるかどうかはわからないけど、

 

 

本当にどうしちゃったの?

 

 

僕は不快とか怒りとかじゃなくて、

 

 

君のことが心配です。

 

 

心配でしょうがないです。

 

 

あれで君の周りに人は集まってくれるような会話なのかな?って思う。

 

 

あれ以降いくつかメッセージ送ってくれてるのは知ってるけど、

 

 

今一切僕は見ていません。

 

 

僕が今受け入れられないからです。

 

 

先日それが顕著に出た瞬間でもある。

 

 

別に嫌いになったわけではないし、

 

 

意見は他人それぞれ自由であるべきなので僕は尊重している構えです。

 

 

でもあの意見はまるでAIロボットと同化したような発言で正直引いてしまったし、

 

 

思いやりもなにも感じないその場凌ぎの発言で、

 

 

僕はそんな君を見たくないと思う。

 

 

あの時伝えなかったけど、

 

 

一日中モヤモヤしていました。

 

 

だから今返事を控えています。

 

 

そして再度言いますが、

 

 

心から心配しています。

 

 

それだけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色々本当に思うんだけど、

 

 

みんなロボット化していて怖いです。

 

 

感性大丈夫?って本当に思う。

 

 

今はロボットが大量生産できる時代なんだから、

 

 

これ以上ロボットみたいな人が増えてもガチで困るし、

 

 

普通に気持ち悪い現象だと正直思う。

 

 

僕の身近でもそうなので皆さんの周りもそうなのかな?

 

 

ただただみんなが意見をして揚げ足を取ればいいような風潮、

 

 

そしてそれを面白がっているような流れが極めて不快です。

 

 

それでお互いの心や社会が動くようならば好きにやればいいけど、

 

 

どう見ても派閥になってるだけで無益だし、

 

 

一番損するのは自分だと思うんですよ。

 

 

 

 

今の時代大事なのって、

 

 

他人の心を視ることではないのでしょうか?

 

 

どういう意見をするのも自由だと思いますが、

 

 

今、それが正解?

 

 

という疑問点は常にあってもいいのではないかと個人的に思うところばかりです。

 

 

 

 

 

これからますます心が凍りつき、

 

 

閉ざしてしまう人も増えるように思います。

 

 

自分もどうなるかはわかりませんが、

 

 

そういった時に僕らは一致団結できるのかさえ疑問で、

 

 

どんどん生きづらい世の中になるのかなって思う。

 

 

むしろ僕は早くお迎えが来てくれないかと思ってしまうほどです(自殺する気はないですw)。

 

 

 

 

 

生きていくという意味、

 

 

今みんなが基盤に立ち還るべきなのかな?とも思う。

 

 

原始的に還るべきだと本当に思う。

 

 

意見をするのは簡単ですが、

 

 

世の中を動かすのは愛と行動。

 

 

他人と触れ合うこと。

 

 

SNSで鬱憤晴らしとか、

 

 

あらゆる時事問題の揚げ足取り、

 

 

他人の意見の揚げ足なんかしてても何も世の中動かないと思います。

 

 

あなたが動けって話です。

 

 

人が幽霊を飛び越えるくらい怖くなってて、

 

 

この先が心配だ・・・。

 

 

 

 

なんてことも最近ちょっと感じます。

 

 

ジェームズさんとボブから学びたいですね。