聰志日記
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

90分の出来事。

こんにちは。

先日行われたバルセロナダービー、バルサvsエスパニョールのカンプノウでの一戦。
日本では、どんな報道がされたのでしょう。

僕にとってバルセロナ生活最後のカンプノウでの観戦は、ただの90分ではありませんでした。
あの試合、僕と一緒に戦った仲間が3人、カンプノウでのデビューを果たしました。
センターバックの選手とボランチの選手。
イブラヒモビッチとチャビを彼らがマークしている姿に、なんとも言えない感動を覚えました。


2002年のワールドカップ、
僕はテレビにくぎ付けになって日本代表を応援していました。
その横に、涙を流しながら、自分の教え子がワールドカップで戦っている姿を見ていた父の姿がありました。
指導者として、これ以上ない感動に喜んでいた想いと負けてしまった日本に対する悔しい想いがいり混ざっていたかもしれません。


僕はエスパニョールの彼らに対して、監督という立場では一緒にいれませんでしたが、一緒にスタッフとして戦った仲間が、こうして世界一のクラブと世界一の選手を相手に戦っている姿を見て、涙が溢れそうになりました。
緊張と集中力の限界の中で戦っている彼らにとっては90分がどれだけ長く感じたかわかりません。
僕にとっての最高の90分はあっという間の出来事でした。
知らず知らずの内に言葉が出てしまい、一緒に見ていた人はうるさかったかもしれません。
ぼくは観客の1人の中に、指導者としてずっと彼らに声をかけてしまっていたようです。

8万人の観客からの強烈なブーイングの嵐も、彼らにはどう感じたんでしょう。
イブラヒモビッチに吹き飛ばされてもなお食らいついて、必死に守る姿に、
チャビの動きに着いていくことが精一杯で、ファールしてでも止めにかかるような戦っている姿に、
指導者としての最高の一瞬を過ごさせてもらいました。
彼らのブーイングは僕や仲間にとっては、戦っている証だったんです。

指導者はこれが一番の喜びなのかなと思いました。
だからやめられないんだろうなと。
世界のほんの一握りの人にしか知られていない選手かもしれません、
でも、彼らは紛れもなく誰かの下で育ってきたんです。
そんな彼らを親のような目で見ている人は必ず存在するんです。
それがサッカーの指導者なんです。

夢のカンプノウとお別れは僕にとっては名残惜しいですが、
最後の最後で、最高の試合を見ることが出来ました。
2年半、苦しくて苦しくて仕方ないときもありました。
日本に帰りたくてたまらないときもありました。
でも、あの90分のおかげで、すべてが”よかった”と思える2年半になりました。

でも、この感動の後にまっているのは、レギュラーを争う戦いです。
夢はあの一瞬で終わりです。
次は彼らの場所を不動のものに。
期待しながら、僕は新たなステージに向かいます。

いつも、これからは日本から、応援しています。


先を読む仕事。

エスパニョールでの仕事が終わって、自分が今まで見れなかったサッカーを見ている毎日に、やはり、FCバルセロナのサッカーは欠かせないものでした。

日本でも十分なだけのバルサの試合は放映されていると思いますが、
あのポゼッションのサッカー、ボールを持ちながら主導権を握るサッカーは現在のサッカー界の最先端を行くことは間違いないと思います。
しかし、あれだけのビルドアップへのこだわりは、その後に確実にボールを保持できるという自信のもとにプレーが実現されているものだと思います。
世界中の指導者が注目しているであろうこのサッカー、実現できるのはあれだけの選手が揃っているからという声は地元スペインでは少なくありません。
確かに彼らのプレーモデルは「理想」という枠にはまるだけのものかもしれません。
それを実現することは、決して簡単ではなく、逆に実現できるチームは世界の全てのカテゴリーに数えることができる程でしょう。

08-09のチャンピオンズリーグ、09-10チャンピオンズリーグ、間違いなくヨーロッパでは最高峰の戦いの中で、バルサと戦う大部分のチームの手段は「カウンター」でした。
ブロックの作り方、高さ、その後のプレスのかけ方に違いは見えたものの、そこからバルサの高いラインの背後を狙ったカウンターにはほとんどのチームに共通の意図が見られました。

今、強者はボールを保持し、主導権を握る。弱者はブロックを形成し、少ないチャンスをカウンターでものにするという組織はこのヨーロッパでは変わりません。
まさしく、この戦い方がヨーロッパの最先端でのおおまかなサッカーになっています。

やはり弱者にはブロックからのカウンターしかないのか?
バルサのようなチームにカウンター以外で戦う方法は存在しないのか?
答えがどうしても見つかりません。
バルサの試合を見れば見るほど、そのなぞは深くなっていきます。
でも、その答えが見つからなければ、このサッカーに勝るサッカーは生まれません。
必ずこの先に、その答えがでてくるはずなんです、そうしてサッカーは今日までの発展を遂げてきました。

日本でも多くの戦術に関する書籍が発刊されていました。
今まで日本で読むことが出来なかった種類の本に僕も必死に目を通しました。
その中に書かれているサッカーの戦術は、これまでの戦術の歴史と現在の戦術について。
その枠を超えるものはなかったと思います。

僕のような指導者が考えなくてはいけないことは、そのような歴史を紐解いてサッカーがどう発展したかを知ることも1つながら、まだ見えない先のサッカーをいかに予測して最先端の先を考えることでもあるんです。
誰かの真似をしていたら、おそらくどのチームもその真似に近いサッカーは出来るでしょう。
しかし、いつの日かそのサッカーは誰もがふさぐ事の出来るオーソドックスなものになるんです。
それを超えるものがなければ、その先にある勝利には手が届かなくなるんです。
サッキがゾーンプレスを編み出した時、誰もがそのサッカーを信じられないながらも、ACミランは素晴らしいシーズンを過ごし、いまや世界中がゾーンプレスを実践しています。
その後そのゾーンプレスに対抗すべく、クライフがポゼッションサッカーを実践しました。
こうしてスタンダードから何かを起こすことが、サッカーを新しいものに変えてきたのです。
今のスタンダードは少なくとも、この2つの歴史的な変化が発展したものになります。

何か新しいものが生まれるには、何かこれらを超えるものが必要になるのでしょう。
ひょっとしたら、コンパクトが原則の守備が、ワイドからスタートするものになるのかもしれない、
あえてコンパクトにアタックすることが何かのきっかけになるのかもしれない。
僕たちは現在の最先端のサッカーを見ながら、日々何か新しいものを追求していかなくてはなりません。
ボールを持つことを放棄してしまったら、ブロックを作らざるを得なくなる。
ボールを持とうとしたら、守備に掛かるリスクは大きくなる。
この戦いの中に、新たな答えがどうすれば見出せるのか、バルセロナでの生活の最後の僕の課題になりそうです。
バルセロナにいても、日本にいても、ひょっとしたらこの答えは拾えないかもしれませんが。。。

それでも僕たちは、何か先を予測して、何かを掴んで、新たなものを追求しなくてはいけません。
それは指導者という選手を育成し、チームをあるべき方法で勝利へ導く者たちに与えられた問題でもあるでしょう。
もう少しで僕のバルセロナは終わります。
日本にいても、どこにいても、サッカーは追及していきたいと思っています。
もちろん過去に起こった何かを拾うのではなくて、何か目に見えないものを掴むために考えて行きたいと思っています。
選手の経験がない僕の大きな課題になることでしょう。
僕が指導者と自分で言い続けるんであれば、それは欠かしてはいけない1つの勉強になるでしょう。




攻守は1つ。

こんにちは。

実は少しの間、ドイツのミュンヘンにヨーロッパ最後の旅行ということでバイエルンミュンヘンのブンデス・リーガの試合を見に行っていたために、UPがおろそかになっていました(いつものように)。

今回は前回の講習会の内容でもあったことに重なることも多いと思うんですが、スペインに来て大きくサッカーの見かたを変えてくれた1つのファクターである「攻守の在り方」について書こうと思います。

攻守は1つ。
攻守に切れ目はない。

僕は日本で指導しているとき、いつもどんなシチュエーションで、どんな状況で、いつの場面を想定してトレーニングしようかなと考えることが普通でした。
つまり、僕の中では攻撃の練習、守備の練習、切り替えの練習といった感じで、各時間、各状況に合わせてトレーニングを考えていました。
そこでバルセロナに来て新たに受けた印象の1つにこのファクターがあったんです。

「どうして攻撃と守備の分かれた練習をするの?」

攻撃中の本当に全員が攻撃だけ考えているの?
トレーニングとは言っても、人数が減ってスペースがなくなっても、次に守備が起こるのはサッカーにおいては当然のことで、そこで終わるのはゴールを決めた時だけでしょ。

そんな話を何度も何度も言われて、僕の中で完全に固定観念になっていたトレーニングの構築法も徐々に変わっていきました。

実際にジョセップのトレーニングでもそういったシチュエーションを含んだトレーニングがほとんどでしたし、よく彼が言っていた言葉に、
「いい守備ができるけど、いい攻撃ができない。いい攻撃ができるのに、いい守備ができない。そんなことは普通に考えたらあり得ない。攻撃と守備は1つなんだから、いい攻撃をしているからこそ、いい守備ができて、いい守備があるから、いい攻撃に入れるんだよ。」
といったものがありました。

昨年、僕たちがリーグ優勝した時、
僕らのサッカーの信念は「ポゼッション」でした。
ただのボール回しではなく、「ボール支配」でした。
チームがボールをビルドアップし、保持しながら前線に向かって攻撃することで、最終ラインも自然と高くなって、コンパクトな攻撃をすることになります。
コンパクトな状況で失った瞬間、相手に対するプレッシングの距離は大幅に近くなるわけです。
ワイドに、そしてコンパクトにポジションされたプレッシングから逃げることは、非常に難しい。
ピンチクリアに走れば、自然とセカンドボールを拾う確率は僕たちが高くなるわけです。
言いかえれば、相手に意図的に蹴らせて、奪う。
目的通りの奪い方になるわけです。
攻撃がいい形で終わるからこそ、守備が意図的な形で動けるという攻守のつながりが現れてるんですよね。

そういった考えが頭の中になかった僕としては、よく考えると当然のように思いながら、それがうまく説明できなかったり、それが理論として頭に出てくることはものすごく難しいことで、そういった違いが僕のような指導者には大事なのかなとも思う出来事でした。

サッカーはあくまでサッカーというゲームの中で動くもので、それを限りなく刻んでしまってトレーニングを行うことは、ひょっとしたらサッカーではなくなってしまう可能性もあるのかなと思うきっかけでもありました。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>