悟りとは その112 『お家(うち)』 | 岐鑑の悟りブログ

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悟りとは その112 『お家(うち)』


薄暗い検査室で、機会の音がカチャカチャと鳴っている

時々ブーンブーンと言う音が混じり合い

ちょっぴり幻想的だが心もとない思いである


側で検査している看護婦さんは

コンピュータのスクリーンを見ていて

忙しくデーターを入れ込んでおり

私の方には一切目を向かない


この薄暗い検査室の中で私は想いに耽った

思えば、私の母も私の父も病院の床で死んだ

あれほど『お家に帰りたい』と

願っていた事が叶わなかった

今となれば、母と父とがどれほど悲しい

想いであったかは知る余地がない

ただ残るのは後悔だけである


母が死んだ時

私はあと1分でも、1秒でも

生きていて欲しかったと願った


この時母が教えてくれた事は

生きていると言う時間が

いかに尊く貴重なものかであったかであった


父を最後に見たのは

父が病床で腕を上げて

唸っていた時であった

私は知っていた

病人が腕を上げ空中にて

何かを掴むような動作はすでに死が近い事を


ある日

医者から胃に小さな穴を開け

管によって栄養を取る事を

提案されたが

それは父が生きがいを失くす事を

私には予知出来た

それだったら、よっぽど家にて

治療した方が良かったとあとで後悔した


私は、今、私の両親と同じく病床に寝ていて

看護婦さんの言いなりになっている

母と父と同じである

私の命を他人に託すしかない


その一抹の寂しさと

部屋の薄暗さとが混ざり合い

今、私は私の『お家』を探している


これから私はどのような運命に出会い

どこでどのような死を向かえるのであろうか

私は瞑想した


色々な知名人とか親戚の人達が

どこでどのように死んだかを思い出していた

しかし

いくら思考しても未来の事はやはり分からない


私は思った

私の今までの人生は

これと言ったものではなかったが

特別な目標とか計画を立てずに

それなりにうまく行っていて

それなりに自分の好きな事をして来ている

私は若い頃、よく自分に言い聞かせていた、

辛い事も楽しい事も『起こるべき事が起こる、

それでいいんだ』と

私はもう一度それに託そうと念じた


機会の音が止まり

部屋が静かになった


時間が無くなったような静かさ

私はゆっくりと目を開けてみて

部屋の中を見渡してみると

少しだがさっきまで薄暗く寂しさを伴っていた

この部屋が何だか違うように思えた

何か清浄で神聖な雰囲気が漂っている


その時

気が付いたのは

一粒の涙が私の目から流れていた事だった


検査が終わり看護婦さんが

こちらに振り向いた

私はちょっと恥ずかしく思い涙を手で拭った


それを見ていた看護婦さんが

清らかな目で、私を見つめて

こう言った

『検査の結果、貴方は健康です』

『何も心配する事はありません』

『ですから

貴方が一切の悲しみを

捨てる事が出来れば

明日の朝は

貴方の「お家」で

新しい命として始められますね』

『お命をお大切に』


私は礼拝した


後書き

碧巌録第41則  『趙州大死底の人』

『不許夜行、投明須到』

(夜中に行くのは禁じる、しかし夜明けまでには到達していなければならない)