敗戦の日のNHKスぺシャル「開戦 太平洋戦争 ~日中米英 知られざる攻防~」、何となく観てました。
十五年戦争のうち日中戦争と太平洋戦争を繋ぐ中国・蒋介石のいかにも孫子的な外交戦略、個人的に何となくこうだったんじゃなかろうか?とぼんやり思ってた線に色々裏が取れて、おもろかったです…
それにしても、日中戦争と太平洋戦争をわざわざ切り離そうとする昨今の傾向って、第一には言い訳のしようがない侵略戦争の日中を切り分けて先の大戦を大東亜なんたらの正義の戦争風を装う、って動機が一番なんでしょうが、中国の戦略にまんまとしてやられたという事実を受け入れがたい、という感情的側面もあるんだろうなぁ…なんて思いました、改めて。
こと中国ネタになると勇ましい事言いたがる輩が出てきがちですが、日中戦争当時の圧倒的国力&戦力差があった情勢下ですら負けたんですから、今の強大化した中国に勝てる訳ないですよね、現実的に。
やった所で、せいぜいアメリカさまの盾になって核弾頭撃ち込まれて終わるのが関の山です、戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり、敵の戦略に学ぶべきだと思います。
【戦争体験談、聞いたことある?】
オレら世代だと、第二次世界大戦時、祖父母世代はバリバリ現役世代でしたので、色々聞いたことがあります。
祖父は出兵して支那(中国という意味の支那なのか、もっと南のインドシナの事なのかは不明)に派遣されていたそうなんですが、やはり辛い思い出だったようで、自分からはあまり戦争の話はしませんでしたね。
補給部隊だったんで戦闘というよりほぼほぼ銃を捨てて逃げ続けており(銃はすごく重いのでとてもじゃないが持っていけなかったとの事)、ジャングルで食べるものが無いんで仕方なくヘビを獲って食べてたのだとか。
補給部隊がヘビ捕まえて喰ってんですからね、当時の戦況が伺えますね…(汗
ふと「じいちゃんは人殺した事あるのか?」と思った事もありましたが、子供心にもさすがに怖くて聞けませんでした。でも、戦争ってそういう事なんですよね…
祖母には残された方の銃後の戦争話をよく聞きましたが、大阪で普通に地下鉄を降りて地上に出てみると、空襲で街がごうごうと燃えさかっていた、という話が子供心にも凄く強烈で印象的でしたね。
母などは完全に戦後の生まれだったんですが、瀬戸内海の田舎だったのもあってか、上空に飛行機がやってくると林の中に隠れてた記憶がある、と聞きました。
■今日は終戦記念日 【平和のために必要なことって何だと思う?】
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