怪談増上寺
以前、都内港区の公共施設で、派遣として働いていたことがある。
ある時、近所から通勤している同僚の女性に、
「港区に心霊スポットってありますか?」
と質問してみた。
すると、即座にこんな答えが返ってきた。
「増上寺です。私、なるべく近寄らないようにしています。」
この答えを聞いたとき、「あの有名な古寺が・・・」という意外感と同時に、
「やっぱり・・・」という納得の感情が湧いてきたのを憶えている。
では、なぜ「やっぱり」と思ったのか、以下にその理由を記してみようと思う。
一つ目の理由は、増上寺にまつわる怪奇小説が存在するからである。
その小説は、以前にこのブログでも紹介した橘外男の「蒲団」である。
そこで、「蒲団」のあらすじを以下に記してみることにする。
老舗のふとん店が、中古だが上質のふとんを買い入れる。
「これは高く売れる」と喜んだのも束の間で、店内では次々と不幸が訪れるようになり、経営も苦しくなる一方となった。
だがそれは、悲劇の幕開けに過ぎなかった。
やがて腰から下を血に濡らした女の幽霊が出現し、一家を恐怖のどん底に叩き落して行く。
「これはあのふとんが原因に違いない」
そう気づいた一家は、ふとんを増上寺に納め、供養を依頼する。
その増上寺が大火で焼け落ちたのは、それから間もなくのことだった・・・
この小説は、明治42年に実際に発生した増上寺の大火がヒントになっているらしいが、ふとん供養の顛末が本当かどうかは分からない。
しかし、増上寺の大火の原因に、何か得体の知れないものがあった可能性もある。
それ故、まだ調査の必要があるが、「増上寺が心霊スポット」と聞いてまず思い出したのがこの作品であったのは、上記のような理由からであった。
さて、「やっぱり」と思ったもう一つの理由は、私が実際に怪異現象に遭遇したからである。
今から15年ほど前だったと思うが、増上寺に参詣兼見学に行ったことがある。
そして、境内の各所で銀鉛式カメラで撮影をしたのだが、徳川家の墓所で不思議な出来事が起きた。
墓所の門から石塔が見える構図を決め、シャッターに指を置いて、さあ押そうとすると、手ごたえがない。
これは既にシャッターを切った後、フィルムを巻いていないときに起こる現象であるが、シャッターを切った覚えは全くなかった。
つまり、シャッターが自動的に切られたということになる。
”自分の錯覚かもしれない”と思い直してフィルムを巻き送り、もう一回シャッターを切ろうとすると、やはり手ごたえがない。
結局三度目くらいにやっと撮影に成功したが、狐につままれたような不思議な感じがしたのを今も憶えている。
そして写真店に現像と焼付けを依頼して、完成を待った。
やがて完成した写真を手にし、一枚一枚見て行くと、上記のシャッターが押せなかった2枚の写真にだけ白い靄のようなものが写っていた。
そのうちの1枚は、ゲゲゲの鬼太郎に登場する一反木綿のような形の靄だった。
なにか、徳川家の墓を写させまいとする執念のようなものを感じたことであった。
この靄は、写真の専門家が見れば、合理的な説明がつくのかもしれない。
しかし、自動的にシャッターが押されてことを考え合わせると、私には一種の心霊現象のように思われてならなかった。
増上寺については、もっとよく調べてみたいと思っているが、ネットで調べて行くと、東京タワーも心霊スポットであるという。
そうしてみると、この一帯には何か因縁めいたものが秘められている気がしてくる。
あるいは「増上寺以前」のこの土地に、何かがあったのかもしれない。
少し長くなったので、増上寺の怪異についてはこの辺で。
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採桑老奇談(さいそうろう・きだん)
その仮面を着けて舞うと必ず死ぬ・・・
そんな事件が映画「天河伝説殺人事件」で描かれているが、そのヒントになったと思われる実話がある。
その話を初めて知ったのは、10年ほど前に読んだ「風呂と湯の話」(武田勝蔵著)という本でだった。
温泉に興味を持っている時に、大井町の古本屋で購入した本であるが、日本の入浴史を紹介する中で余談として記されていたものである。
以下にその部分を引用する。
それは、今日宮内庁の楽部に伝存の舞楽の面「採桑老」のことである。
この面をつけた人は必ず、間もなく死んでいることから、この面をつける所役に当たった舞人は、その時に位を一級すすめられる慣例となっている。
かのいわくつきのためによる舞人の精神的ショック死か、またはその面を長時間にわたってつけているので、その面の材料となった木か塗料に毒質が含まれていて、その毒に犯されたためかも知れぬ。
今日はその面は飾ってあって使用せぬこととなっている。
この話に興味を持ってネットで調べたところ、「アンビリーバボー」という番組で紹介されていたことが分かった。
再現ドラマもあったらしく、見逃したことが後悔されてならなかった。
その後、この「呪われた仮面」に興味を持ち続けていたが、ある時にその謎の解明につながるような話を聞くことが出来た。
それは、ある神社でアルバイトをした時のことだった。
そこはかなり大きな神社のため、雅楽や巫女舞などが行われる。
担当の神主さんとそれらについて話をしていた時に、ずっと気になっていた採桑老の謎について質問してみたのである。
それに対して神主さんから、こんな答えが返ってきた。
「採桑老というのは、かなりの高齢者でないと舞うことを許されない曲です。
だから、仮に採桑老を舞わなくても、いつ死んでもおかしくない人が舞うわけ
です。
とすれば、採桑老を舞った直後に亡くなったとしても、それ程不思議ではな
いことになる。」
この説を聞いたとき、(なるほど、そういうことだったのか・・・)と視界が晴れて行くような気がした。
高齢によって心身の衰えた舞人が重要な曲を舞うというだけでも相当な負担だろうし、「風呂と湯の話」にあるように、いわくつきの仮面を着けねばならないという不安感がそれに加われば、死につながるようなストレスになったとしても不思議ではないだろう。
だが、この怪談については更に検討を要する点が多い。
数例を挙げれば、
・死去した舞人たちの死因は何か
・特定の仮面を着けたときに死ぬのか、採桑老の面が全て該当するのか
・「風呂と湯の話」にあるように、仮面に毒質が含まれていたか否か
・過去に何人くらい亡くなっているのか
などである。
これらについて考えるためには、舞楽の知識が不可欠だと思うので、概略だけでも勉強してからこの続きを書きたいと思う。
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挫折
子供の頃から根気がなくて、最後までやり遂げられないことが多かった。
このブログでも、途中でやめてしまった記事がたくさんあり、情けないと思いつつ続きを書けずにいる。
読書でもその傾向は変わらず、少し長めの本だと途中で放り出したのがかなりある。
以下にどんな本を中断したか、その理由とともに書いてみようと思う。
・帝都物語・・・なかなか面白くならないのですぐに中断。
・家畜人ヤプー・・・気持ち悪すぎてほんの少しでやめ。
・平家物語・・・漢文訓読調に憧れて読むが、それほどキビキビしていないのに
幻滅して挫折。
・ドグラマグラ・・・本筋と無関係のことを長々と書いてあるので呆れて中断。
(ネットで調べると、そういう人は多いらしいが)
他にも山ほどそういう本がある。
その全てとは思わないが、挫折した本のうちの何冊かは死ぬまでに再チャレンジしてみたいと思っている。
上記の中では、ドグラマグラだけでも読了したい。
またあまりに長かったり難解そうだったりして、読みたいと思いつつ、手に取ることさえ出来ない本もある。
どんな本かというと、
・カラマーゾフの兄弟・・・推理小説的なストーリーなので読んでみたい
のだが、長くて難しそうで敬遠。
・罪と罰・・・これも推理ものの要素があるが、長くて退屈そうで敬遠。
・風と共に去りぬ・・・母親に勧められたが、恋愛ものは苦手なのでパス。
・源氏物語・・・長い上に敬語がゴチャゴチャしているのでダメ。
上記のうち、カラマーゾフと罪と罰は、「まんがで読破!」のシリーズで読んだが、やはり小説版を読んでみたい。
こうして振り返ってみると、人間の性格というものは読書傾向にも表れるのだなと思う。
従って、今の性格を改造しない限り、ドグラマグラもカラマーゾフも読了出来ないのかもしれない。
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