闇からの声
猛烈に暑い日が続くので、ゾッとする話を。
10年ほど前に、湘南地方に住む女性から聞いた話である。
ある夜、彼女が眠りに就くと「寒い・・・寒い・・・」という性別不明の声が頭の中に響いてくる。
そしてそれ以来、毎晩のようにその現象が続いた。
とにかく薄気味が悪かったが、それを止めるすべもなく、ただ耐えている他なかった。
そんな怪現象が続いたある日、彼女の家の近くの海岸で、警察による発掘が行われた。
ある殺人事件の容疑者が、被害者の死体をその海岸に埋めたと自供したからだった。
そしてその場所から犯人の言葉通り、女性の死体が発見され、発掘は終了した。
そしてその晩からだった。
「寒い・・・」という不気味な声が彼女の頭に響かなくなったのは・・・・・・。
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これに似た話は時々耳にするが、当事者から直接話を聞くと、やはり印象に残る。
殺された女性の霊が自分の遺体を掘り出して欲しくて、魂の叫びを発していたのであろうか。
なお、イギリスの推理作家フィルポッツに「闇からの声」という作品がある。
今回のタイトルはそのパクリだが、死者の声が探偵の眠りを覚まして・・・という書出しである。
推理小説なので詳細は書けないが、上記のような心霊譚とはまた別の展開を見せてくれる。
のんびり書いているうちに涼しくなってしまったので、この辺で終わりにしようと思う。
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奥吉野のツチノコ
「幻の蛇」と呼ばれるツチノコについて初めて知ったのは、矢口高雄氏の漫画「バチヘビ」(「少年マガジン」1973年頃)でだった。
その後、少しずつ興味を失っていったのだが、30年程前に意外なところでツチノコの目撃情報に遭遇した。
その頃私は南北朝時代の南朝勢力に興味を持ち、いろいろな文献に目を通していた。
そうした中に、「後南朝史論集」(1956年)という論文集があった。
14世紀の南北朝の動乱は、足利義満の斡旋で南北両朝が交代で帝位に就く
こととなり、一応の終結を迎える。
しかし、義満はこの約束を反故にして、北朝の天皇を続けて帝位に就けたため、違約に激怒した南朝勢力は吉野に陣を構えて徹底抗戦の姿勢を示した。
こうした南北朝合一以後の南朝勢力を「後南朝」と呼び、上記の文献では様々な角度からこの勢力にアプローチしている。
その中の一つである「三ノ公紀行」(瀧川政次郎)に、ツチノコに関する記述があるのだ。(三ノ公(さんのこ)は、吉野郡川上村の地名)
まずその記事を以下に記す。
「くさむらの中をビール瓶ぐらいの太さの蛇が走ってゆく。
西浦氏に訊くと、あれはトックリ蛇という蛇で、毒はないという。」(338頁)
ツチノコ(トックリ蛇)について触れている箇所はたったこれだけであるが、この記事はツチノコを考える上で、重要な意味を持っている。
一つは、この紀行文が書かれたのが、ツチノコがブームになる70年代より20年以上も前である点である。
つまり、ブームに便乗して虚偽の目撃情報を捏造したとは考えにくいのである。
もう一つは、この紀行文が歴史研究の一環として書かれたものであり、ツチノコについての記述もホンのついでのような形で記されている点である。
これも虚偽情報の描かれ方としては不自然である。
また西浦氏(奥吉野在住の案内人)の言葉に、驚嘆のニュアンスが感じられないことも注目すべきことと思う。
これは、この地方ではツチノコが当たり前のようにして生息していたことを示しているからである。
さらに西浦氏の「毒はない」という言葉は、ツチノコに噛まれたとか捕獲して牙を確認したといった体験を伺わせるものであり、ただの目撃情報より深い内容を持っている点も重要であろう。
このように見てくると、この記事の信頼度はかなり高いと言えるだろう。
記事の書かれた1956年の時点で、奥吉野の三ノ公地区=吉野郡川上村にツチノコが生息していたのはほぼ確実だと思う。
20年ほど前に、後南朝の遺跡を見るためにこの地を訪問したことがあるが、残念ながらツチノコには遭遇出来なかった。
舗装された道路の隅に、小さな蛇が干からびて死んでいたのが印象に残った。
なお川上村の南に隣接した上北山村でも、ツチノコが出没していたようで、村おこしのシンボル的な存在として扱われていた。
私は、小動物を呑み込んだ蛇が、新種の蛇=ツチノコとして扱われてしまったのだろうという説に共感を覚えるが、実際にトックリ体型の蛇が存在していたのかもしれない。
あるいは、今もどこかの山奥で、静かに暮らしているのかもしれない。
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「小坪まで行って下さい」
異常に暑いので、ゾッとする話を。
先日、お盆の墓参りのためにタクシーに乗った。
場所が場所なので幽霊を連想し、運転手さんにこんな質問をしてみた。
「こういう仕事をしていると、幽霊を見ることなんかあるんですか?」
すると、こんな答えが返ってきた。
「何度かありますよ」
そして、これまでに遭遇した霊現象についていろいろ語ってくれた。
これから記すのは、その話の中で一番印象に残ったものである。
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今から25年前の1989年、横浜は横浜博覧会で賑わっていた。
その年のある夜、博覧会場の近くで彼は「その女」に遭遇した。
彼女は大勢の人群れの中からスッと飛び出してくると、彼のタクシーに向かって手を上げた。
後部ドアを開けると女が乗ってきたが、
言いようのない変な雰囲気を漂わせていたという。
「どちらまで行きましょうか?」
「逗子までお願いします。」
「逗子のどの辺ですか?」
「逗子の小坪までお願いします。」
こんな会話の後、タクシーは逗子に向かって出発した・・・・・・
と、ここまで読んだとき、心霊現象や怪奇談に詳しい方は、
「ああ、あの話か」
と思われたことと思う。
だが、世間に流布している「あの話」にはないゾッとするオチがついているので、もうしばらく我慢してお読み頂けたらと思う。
さて、タクシーは夜の街を南へと進んでいった。
女はどこかしら妙な雰囲気を持っていたが、それを除けばごく普通の客だった。
やがてタクシーは逗子の小坪へ到着し、車中の女は「そこです」とつぶやいた。
そこには鉄の柵に囲まれた洋館が建っていた。
女は運転手に料金を払い、車から出て行った。
横浜と逗子はかなり距離があるので、料金も高額だった。
運転手は車首を北に向け、横浜へと帰って行った・・・・・・
ここで話が終われば、怪談でも事件でもない単なるタクシー業務の一コマに過ぎない。
だが、彼を慄然とさせたのは、横浜に帰り着いてからだった。
一日の走行距離から売上高を割り出して、現金を数えてみたのだが、どうしても合致しない。
明らかに現金が、しかもかなりの額が、不足しているのだ。
そこで更に詳細に調べたところ、不足額は横浜-逗子間の金額と一致していたのである。
彼は途方にくれた。
一日の業務を振り返っても、運賃のもらい忘れはないと確信が持てる。
それにもかかわらず、売上げが足りないのだ。
だが不足額から考えて、逗子の小坪まで乗った「あの女」が運賃を払わなかったと考えるしかないのではないか?
しかし彼は確かに運賃を受け取っていた。
一体これはどういうことだろう?
ただ気になるのは、女がなんともいいようのない不気味なムードを漂わせていたことと、心霊スポットとして有名な小坪トンネルの近くで下車したことだ。
女がもし幽霊で、金銭も霊の世界のものだったとしたら、いつの間にか消えてしまっても不思議ではない。
「おれは幽霊を乗せたのだろうか?」
そう思うと心の底から恐怖が湧いてくるのを禁じ得なかった。
彼は家族の待つ自宅へと車首を向け、アクセルを踏んだ。
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小坪トンネルに関連する怪奇談は何度も聞いているが、当事者に直接聞くのは初めてだったので、迫力十分だった。
幽霊なら逗子から横浜、横浜から逗子と、簡単に移動出来そうな気がするが、
幽霊の能力にも限界があるのかもしれないし、車での移動を楽しみたかったのかもしれない。
なんにせよ、逗子の小坪周辺には得体の知れない何かがありそうだ。
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橘外男の「逗子物語」は逗子を舞台にした怪談で、怖くて哀しい名作です。