木を見て森を見ず | 目覚めへ

目覚めへ

生まれてきてよかったという生き方は、自分が大好きになることからです。
「自分が好き」は一つになること。それは覚者への道です。

こんにちわ、潜在能力開発教室公認インストラクターの堀口です。

 

情報はたくさんあふれていて、どれが本物なのか迷うことも多いです。

意図的な嘘情報もあれば、本人も騙されている嘘情報もありますね。

そんな情報の中から感じたことです。

 

 

ニュースを見ていたら現代医療を強烈に擁護する人の記事を見ました。

この記事を見ていて、筆者の意見にものすごく違和感を感じました。

データーや科学的な証拠が何よりも大事で、そういったものがないのは偽物だと断定しています。

著者は「データー」「科学的」「証拠」といったものが揺るぎないものだと信じ込んでいるようでした。

これも執着かなと・・・

 

「データーという証拠を大事にするのはいいけれど、

データーってそれを提出した人の意思で、

わりと簡単にねじ曲げられてしまうと言うのをしっているのかな?」

 

そんなことを思いましたが、自分の違和感の原因を、なぜそう思うのかを考えてみました。

 

そして気がついたのが、この著者がより高い位置でものごとを俯瞰しようとしていないとわかったのです。

まさに「木を見て森を見ず」だと思いました。

 

 

より高い意識を持つ人(もしくは高い意識を持とうと常に意識を向けている人)は、ときとして非常識な答えを導き出します。

それは普通の人から見ると、常識とは真逆のバカげた答えだったりするわけです。

でも高い意識を持つ人にとってその答えは根拠のない荒唐無稽な答えではないと思うのです。

 

それはなぜでしょうか。

 

高い意識を持つ人は、意識の低い人に比べて、より多くの疑問を持っています。

そしてその疑問にたちむかってあきらめず、より合理的な答えを導き出そうと努力しています。

その全ての疑問に対しての一番合理的なものが答えです。

だからその答えは常識には左右されません。

全ての疑問に対しての一番合理的な答えは「宇宙の真理」につながっているからです。

だからその答えには説得力があります。

そして結果が伴うと思います。

 

例えば

現代医療の話にしても、

医療への疑問はもちろんのこと

医療に関してのデーターだけでなく

政治への疑問

飲食物への疑問

お金への疑問

歴史への疑問

など

一見すると医療とは関係のないものにまで疑問をもち、その総合的な答えを導き出しています。

これが全体から出た答えだと思います。

疑問が多い人ほど、全体のバランスを見た答えが出せると思います。

 

高い意識を持とうとしない人は、

この疑問を途中で投げ出して諦めたり、

疑問をなかったことにしたり、

常識という概念をもって疑問そのものが見えなかったり(実はこれが一番おおいかも)、

そういった邪魔が入ったりすると、

全体が見えていない答えになったり、

俯瞰できていない答えになっていくのだろうと思うのです。

もしくは俯瞰できるところまで意識が成長できていないということができるかもしれません。

俯瞰して考えることで、見えなかったことが見えてくることに気がついていないのかもしれません。

 

「それがそうなると、その先どうなるのか?」

 

マスターの答えはたくさんの疑問から成り立っているものばかりで、とても驚かされます。

そんなに深いところにまで疑問を持ったのか!といつも驚かされます。

より深い調和を目指すための疑問質問力です。

だからこそマスターの答えには深い納得が得られるのだと思うのです。