皆様、こんにちは。
ライフフューチャー・コンシェルジュの佐野公美です。
私は、わたくしの全てで、
あなたがあなたらしく生きることができるようになるための講座、
「あなたの魂に愛と夢を届け、豊かに生きるための8ステップアップ講座」
を開催していますが、そこでお伝えすることの一つは「愛する」ということ。
そして、そのためには自分と向き合う、ということが大切だと思っています。
私は今でこそ、こうやって色んな方々にいろんなことをお伝えする立場にいますが
最初からそうだったわけではありません。
ということで、ここで、改めて私自身、自分の原点に返って
私がどういう人生を歩んできたのか、それをお伝えしてみたいと思います。
私、佐野公美は
京都生まれ京都育ち。
京都の中京区あたり富田病院というところで生まれました。
氏神様が下鴨神社。
とはいっても、氏神様が下鴨神社だと知ったのはほんの数年前。
ただ、潜在意識が覚えていたのか、19歳のときから下鴨神社に行くようになっていました。
今思えば、これも必然だったんですね。
話は遡りまして幼少期。
私は2歳まで京都に住んでおりました。
父は普通の会社員。
その父の仕事の都合で
滋賀県の蒲生郡日野町に2歳の頃に引っ越します。
日野ダムのすぐ近くの、社宅に住んでいました。
物凄い田舎だったんです。
普通に動物がいるような。
ウサギとか狸とか、野生の孔雀とかも飛んできてました。
人の足の幅くらいもある青大将とかもいてました。
※イメージです^^
父の勤めていた会社は婦人物のハンドバックなど袋物を作っていた会社です。
父は仕事人間で、中のことを知っておきたい、という責任感のある人でしたので
デザインから縫製までもすべてやれる人でした。勉強でヨーロッパまで行っていたようです。
母は、流行りの先駆けのようなものを
よくやっていました。
また、作ってくれる料理は洋食で。
(今でこそ、洋食が家庭に並ぶのは当たり前ですが
私が幼い頃は洋食はまだ珍しかったのです。)
そんな料理も取り入れる母でした。
とにかく流行りもの好きで、家電の三種の神器と呼ばれる
テレビ電子レンジ冷蔵庫もありましたね。
そんな環境にいましたので、私、本当に健康優良児で。
今とはかけ離れて丸々と太ってました(笑)
また、大事に?過保護に?育てられておりました。
(寒かったら物凄い衣服の量を着せてもらったりしもして(笑)
いつもにこにこにこにこしていて
笑うとえくぼが出て
「さーちゃん。さーちゃん」と呼ばれて
周りの人々からも愛されていました。
滋賀県へ移ることになったのは、父が工場を任されたからでした。
***
母は「外に出たい・仕事をしたい」という人で
私は保育園から入れられました。
当時の仕事は化粧品の訪問販売の先駆け。
これも流行る前に始めていました。
私としては保育園に入れられて若干さみしい思いはしてましたが
工場で働いているおばちゃんが迎えに来てくれたりして
常に誰かといるような環境で、私の田舎生活はとても充実していました。
そのような生活が小学校の1年生の秋まで続きました。
時は学芸会の練習真っただ中の時期。
そんな時期に、私は京都に引っ越しすることになりました。
それは母親の勝手な都合で。
家を京都に建てることにして、そのために引っ越しをする、ということでした。
学芸会にとても出たかった子どもの私には全く配慮のない、
身勝手な引っ越しでした。
(当然学芸会には参加できず…泣)
家が建つ間は、母と2人で母の実家である
左京区の岡崎というところに居候させてもらうことになりました。
そこで祖父と祖母の厳しい教育が始まったのです。
≪次回に続きます≫
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