山仕事




山仕事
晴れたので思いつきでチェーンソーを持って山に行くことにしました。
お昼に近かったのでおにぎりを持って行こうとしたのですが、あいにく朝ごはんの残りでは一個分のおにぎりしかできません。
そこで、丸山商店で特売のお稲荷を買って持って行くことにしました。ところが、作業服を着て出かけたのでポケットに200円の小銭さえありません。若奥さんに「伴十郎ですが、付けでもらっていきます。」といってお稲荷を買い求めて山に登りました。
山城跡に続く斜面は、弁当やカメラの入ったリュックを背負って、さらに片手にチェーンソーを持って登るには程よい負荷となります。
現場に着いて、リュックを下ろすと背中はうっすらと汗ばんでいました。汗を拭いた後、「腹が減っては戦はできぬ」とばかり、リュックから取り出したのがこのお昼ご飯です。
この前に来た時よりもカタクリの花がいっぱい咲いているので踏みつけて座るしかありません。座った辺りのカタクリは、帰り際に摘んで持ち帰り、お浸しにして今夜の夕食に一品供するつもりです。
家から持参した缶ビールは、一仕事した休憩時間に飲むことにします。
この山城跡のすぐ下の休耕畑は、昔、桑畑だったので桑が大木になり、それにアケビの弦が絡まってジャングル状態です。
とにかく、人が一人通れるだけの道を通すのが先決です。チェーンソーの使い方もかなり慣れてきて、10日ほど前の筋肉痛がまだ回復していないことなどいつのまにか忘れています。
畑の一角には、植えたのか実生で生えたのか定かではありませんが、苔むして巨木の風格を備えた一本杉が生えています。今日はその枝下ろしまでは手が回りませんが、その脇に道をつけることだけはできました。
池島信平のこと-7 池島カタ子の寄附


池島信平のこと-7 池島カタ子の寄附
大正十五年十一月 鯖石神社再築記念誌(佐藤忠雄氏提供)に大正七年の天変地異の模様が次のように記述されています。
「思い起こせば大正七年五月二十五、六日、平穏な山あいの部落に何の前触れもなく襲い来たった地滑りは、身も心も宙に飛び、大地は波濤のようにせり上がり、村人達の心の只一つの拠り所である神社(みやしろ)は見るも無残に倒壊し、一千年を経た周囲二丈余りの御神木も真っ二つに炸裂し、正に地獄絵図と化し、見るに忍びぬ惨状となったのでありました。
落胆する振り起こし振り立たし、皆心を一にし、昔からの鎮守さんを中心とした強い郷土愛と氏神への信仰は、各人共多額の寄附と悔いのない人海戦術をも駆使、また郷土出身の方々を始め多くの他村からの御寄附と応援は、地元民の心々を涙するほどゆさぶり、力量を倍化させ遂に大正十五年九月、現在のこの立派な御社殿を造営することが出来ました。(鯖石神社 宮司 宮澤益二郎)」
そして、寄付者芳名の最初のページに
一金 弐拾円也 東京市本郷春木町 池島カタ子
と記されている。
すでに東京に出て「北星舎」という牛乳屋を営み、村で随一の成功者であったとしても、大正十二年の九月一日に関東大震災により住居を消失しているから、この弐拾円也という金額は決して楽なものだったとは思えない。
「本郷春木町」の中で信平(震災当時14歳)は次のように書いている。
「震災では私の家は一日の午後四時頃焼けた。午後の配達に出る前だったので、元気の良い若い衆が二十人余りも居り、牛乳車で荷物を東大構内へ運んだ。壮観であった。最後に、
『旦那、畳が残りましたが、こいつも運びますか』
というのに、父が、
『もういいだろう、そんなに運ぶとあとで保険がとれなくなる』
といっていたのを覚えている。火災保険をマルマル貰えると思っていたのだ。いい時代であった。」
関連資料
大正七年の天変地異:http://blogs.yahoo.co.jp/jkchp386/48591935.html
「テムジンの小屋」に雪降りつるよ

「テムジンの小屋」に雪降りつるよ
9日(月)は晴れていたので、もう雪が降ることもないだろうと午後になってから「テムジンの小屋」の滑雪シートを外しました。
天窓から光が入って明るくなった小屋の囲炉裏に火を燃して取り合えず紅茶を入れてささやかな開所式?を行いました。
ところが、予想に反して11日の朝は雪が降ってこんな風景に逆戻りしてしまいました。
雪の予報が出ていたのに早まったと妻に責められますが、たかが10センチもない積雪なので潰れる心配はないだろうと楽観しています。
関連資料
映画「蕨野行(わらびのこう)」:http://www.catvy.ne.jp/~warabi/index.html
花便り カタクリ

2009年3月21日記
花便り カタクリ
山城跡の南側の斜面に吾の家に伝わる畑がありますが、数十年の休耕畑になっているので、桑の木にアケビの弦が絡まってジャングル状態であったり、実生の鬼胡桃が巨木になって生い茂っていたりで、雪が融けて草が生い茂るまでの春のわずかな期間しか立ち入ることができません。
夏でも人が入れるように斜面に最短距離の道を切り開くことにしました。斜面の傾斜はかなりの急勾配で、ところどころ雑木や蔓草で覆われています(添付写真)。
それを、鋸やチェーンソーで切り倒しながら一直線に上に進んで行きます。適当な距離を登った所の道端に太目の木を見つけてロープを結び、下に垂らします。階段の工事が完成するまでは、軍手を嵌めてこのロープを掴んで上り下りするためです。
頂上近くの斜面は、日当たりが良く、今年は雪が少なかったので、すでにカタクリが花を開いていました。
尾根にあるカタクリの群生が毎年この南側の斜面に広がってきていますが、道なき道を分け入って来なければならないので、だれも知らない秘密の花園です。
南に遠く魚沼や信州の雪嶺を望むことができます。
単語カード

2009年3月16日記
単語カード
JICAのシニア海外ボランティアとしてモンゴル国のモンゴル科学技術大学(MUST)に派遣されていた2001年頃、モンゴル語を覚えるためにこんな単語カードを使っていました。
その中にモンゴル語の単語に混じってこんなメモが残っていました。
「過去の私の人生で何の脈絡もなく起こったと思われる事柄が線に結ばれ、繭玉のようにおぼろげな形を見せ始めた。」
関連資料
モンゴル通信 第4回 モンゴル科学技術大学の第一印象
(2001/11/26記)
: http://www.geocities.jp/sato032_2000/mn3/mn3.htm
♪この実何の実? 気になる実♪ 羅漢果(ラカンカ)


♪この実何の実? 気になる実♪ 羅漢果(ラカンカ)
清新快哉という方から羅漢果(ラカンカ)ではないかとのコメントをいただきました。
実を割ってみると確かにラカンカのようです。
おそるおそる種の周りの橙色の果肉を舐めてみると、かすかな甘みがあり、心持、舌先がしびれるような気がします。
この実の弦が絡まっていたのはこの写真の杉の木です。
桂林から飛んできた渡り鳥が、この杉の木の天辺に止まって糞を垂らしたのでしょうか?
なんでも10年くらい前からこの実が成っていたそうですが、誰も知らない実なので気味悪がって誰も手をつけなかったそうです。
中国では神果と呼ばれるそうですから、神様からの贈り物と考えて大事に育ててみようと思っています。
佐渡のトキは、野生をそがれているので、長野や上越あたりをうろうろしていますが、シベリヤ辺りに行き来する渡り鳥は多いのですから桂林から飛んでくることなどわけはないと思うのですが、どんなものでしょうか?
関連資料
この実何の実?: http://blogs.yahoo.co.jp/jkchp386/48208276.html
らかん果の郷を訪ねて: http://a-rara.com/about_rakankaletter.htm




