「ゴビ砂漠にある日本人の村(仮題)」 第2回
2009年4月16日(木)記
「ゴビ砂漠にある日本人の村(仮題)」 第2回
第一章
1.セグス・ツアガーン・ボグドという村
デムベレルビレグは昨日の午後この村に到着した。凸凹だらけの道を旅してきてすっかり疲れたのでホテルに入って一段落すると日暮れとともに眠りに就いた。
翌朝は雲ひとつない晴天で、ゴビ地方の強い朝日が顔に照りつけ、風もない蒸し暑い日になりそうである。
デムベレルビレグは、よく眠ったので元気を取り戻し、いつもの習慣で早朝の散歩に出かけることにした。
ホテルの玄関前で準備運動をしている時、“セグス・ツアガーン・ボグド”ホテルという看板が目に入った。これは昨日は全然気づかなかったなと思いながら「セグス・ツァガーン・ボグド、...セグス・ツァガーン・ボグド」と何度も繰り返しつぶやいた。
セグス・ツァガーン・ボグド山は、バヤンホンゴル県シネジンスト郡の郡の中心から南へ200キロぐらい離れた場所にある。
昔、ラマ僧のゲゲ-ンのラクダ牧場があったが、ゲゲーンの寺は、シネジンスト郡の中心からから北へ200キロぐらいの所にあった。
この山は後ろと東側と前に湧き水と井戸があって素晴らしい所でした。古くは遊牧民たちが遊牧をしていたが、最近は県と郡の中心から遠く離れているという理由で遊牧民と家畜がほとんどいなくなっている。
この山の麓でラマ僧のゲゲーンがラクダを飼っていた頃の話として、こんな言い伝えが残っている。
ある日、家の外が急に賑やかになって、妙な音がするので外に出て皆でよく聞くと「ソゥグ、ソゥグ、・・・」と言うのがはっきりと聞こえた。
ラクダに乗った客人が来たようだとみんなで迎えに出かけると、真っ白いデ-ルを着て、白い帽子をかぶった白いあごひげのおじいさんが白いラクダを休ませていた。 皆でそのおじいさんを囲んで用件を尋ねると東南の方角を指して「ジョノンヴァンに会いたい」と言って、またラクダに乗って走りだした。まもなくして、急に姿が見えなくなった。
遊牧民たちはみんなびっくりして、「不思議なことですね」と騒ぎ出しました。
それでついに「さっき見たのは、ボグド山の主神様だったんじゃないか」という話になった。
ラマ僧のゲゲーンのラクダが一万頭になった時に、お祝いで雌ラクダの鼻に銀のリングをはめてお祭りをしたことがあった。
中国のダーシン・フ商店の支配人に「あなたは北京まで銀塊を並べて、私は北京までラクダを並べる競争をしましょう。負けた方が費用を払うというのはどうでしょう」と言う話もあったそうである。
ラクダが一万頭まで増えたのは、あのボグド山の主神様と関係があるかもしれない。
あのできごとから、このボグド山を「ソゥグ・ソゥグ・ツァガーン・ボグド山」と呼ぶようになったが、時が立つにつれて「ソゥグ・ソゥグ・ツァガーン・ボグド山」が「セグス・ツァガーン・ボグド山」と訛って言うようになったという。
「セグス・ツァガーン・ボグド山」とはどんな所であろうか、また、「セグス・ツァガーン・ボグド山」の人々は何をしてどういうふうに暮らしているのだろうか?
デムベレルビレグは、できるだけで詳しい取材をしなければと思いながら、ホテルに戻ると、食堂に向かいました。
「ゴビ砂漠にある日本人の村(仮題)」 第2回
第一章
1.セグス・ツアガーン・ボグドという村
デムベレルビレグは昨日の午後この村に到着した。凸凹だらけの道を旅してきてすっかり疲れたのでホテルに入って一段落すると日暮れとともに眠りに就いた。
翌朝は雲ひとつない晴天で、ゴビ地方の強い朝日が顔に照りつけ、風もない蒸し暑い日になりそうである。
デムベレルビレグは、よく眠ったので元気を取り戻し、いつもの習慣で早朝の散歩に出かけることにした。
ホテルの玄関前で準備運動をしている時、“セグス・ツアガーン・ボグド”ホテルという看板が目に入った。これは昨日は全然気づかなかったなと思いながら「セグス・ツァガーン・ボグド、...セグス・ツァガーン・ボグド」と何度も繰り返しつぶやいた。
セグス・ツァガーン・ボグド山は、バヤンホンゴル県シネジンスト郡の郡の中心から南へ200キロぐらい離れた場所にある。
昔、ラマ僧のゲゲ-ンのラクダ牧場があったが、ゲゲーンの寺は、シネジンスト郡の中心からから北へ200キロぐらいの所にあった。
この山は後ろと東側と前に湧き水と井戸があって素晴らしい所でした。古くは遊牧民たちが遊牧をしていたが、最近は県と郡の中心から遠く離れているという理由で遊牧民と家畜がほとんどいなくなっている。
この山の麓でラマ僧のゲゲーンがラクダを飼っていた頃の話として、こんな言い伝えが残っている。
ある日、家の外が急に賑やかになって、妙な音がするので外に出て皆でよく聞くと「ソゥグ、ソゥグ、・・・」と言うのがはっきりと聞こえた。
ラクダに乗った客人が来たようだとみんなで迎えに出かけると、真っ白いデ-ルを着て、白い帽子をかぶった白いあごひげのおじいさんが白いラクダを休ませていた。 皆でそのおじいさんを囲んで用件を尋ねると東南の方角を指して「ジョノンヴァンに会いたい」と言って、またラクダに乗って走りだした。まもなくして、急に姿が見えなくなった。
遊牧民たちはみんなびっくりして、「不思議なことですね」と騒ぎ出しました。
それでついに「さっき見たのは、ボグド山の主神様だったんじゃないか」という話になった。
ラマ僧のゲゲーンのラクダが一万頭になった時に、お祝いで雌ラクダの鼻に銀のリングをはめてお祭りをしたことがあった。
中国のダーシン・フ商店の支配人に「あなたは北京まで銀塊を並べて、私は北京までラクダを並べる競争をしましょう。負けた方が費用を払うというのはどうでしょう」と言う話もあったそうである。
ラクダが一万頭まで増えたのは、あのボグド山の主神様と関係があるかもしれない。
あのできごとから、このボグド山を「ソゥグ・ソゥグ・ツァガーン・ボグド山」と呼ぶようになったが、時が立つにつれて「ソゥグ・ソゥグ・ツァガーン・ボグド山」が「セグス・ツァガーン・ボグド山」と訛って言うようになったという。
「セグス・ツァガーン・ボグド山」とはどんな所であろうか、また、「セグス・ツァガーン・ボグド山」の人々は何をしてどういうふうに暮らしているのだろうか?
デムベレルビレグは、できるだけで詳しい取材をしなければと思いながら、ホテルに戻ると、食堂に向かいました。
「ゴビ砂漠にある日本人の村(仮題)」 第1回 翻訳者まえがき
2009年4月16日(木)記
「ゴビ砂漠にある日本人の村(仮題)」 第1回
翻訳者まえがき
これは、あるモンゴル人の老人が夢想した過去、現在、未来に跨るSF風の物語で、ゴビ砂漠にできた日本人の村が理想の未来社会として描かれており、日本人に寄せる過大とも思われる期待で貫かれている。著者はこの作品を完成させた2年後に他界され、日本語で出版したいという願いは叶わなかったが、父の遺志を実現してやりたいという著者の娘オユンナさんの強い希望を受けて日本語への翻訳を試みるものである。
登場人物
デムベレルビレグ:モンゴル人新聞記者
ビレグデムベレル:日本人女性、日本名は不明
場所
バヤンホンゴル県シネジンスト郡セグス・ツアガーン・ボグド村
時代
200X年夏
「ゴビ砂漠にある日本人の村(仮題)」 第1回
翻訳者まえがき
これは、あるモンゴル人の老人が夢想した過去、現在、未来に跨るSF風の物語で、ゴビ砂漠にできた日本人の村が理想の未来社会として描かれており、日本人に寄せる過大とも思われる期待で貫かれている。著者はこの作品を完成させた2年後に他界され、日本語で出版したいという願いは叶わなかったが、父の遺志を実現してやりたいという著者の娘オユンナさんの強い希望を受けて日本語への翻訳を試みるものである。
登場人物
デムベレルビレグ:モンゴル人新聞記者
ビレグデムベレル:日本人女性、日本名は不明
場所
バヤンホンゴル県シネジンスト郡セグス・ツアガーン・ボグド村
時代
200X年夏
モンゴルの仏教美術



モンゴルの仏教美術 ザナバザルの仏像
NHKの「世界の仏像100選」にも紹介されました。
関連資料
モンゴルのダヴィンチ ザナバザルの美しい仏像:
http://chie.cside21.com/sansaku/zanabazar.htm
モンゴルのオペラ、バレエ



モンゴルのオペラ、バレエ
モンゴルのオペラ劇場は夏のナーダムの前後の期間だけ上演されるものと思っていたが、この季節にも週末定期的に公演が行われている。
モンゴルのこの春の季節は、日本人が考えるように良い季節ではない。
風が砂塵を巻き上げて吹き荒れ、目張りをしてあってもどこからともなくアパートの部屋に細かい砂が侵入してくる。
気温もまだ低く観光旅行には適当ではないが、ウランバートルの街に留まってオペラ鑑賞やムゼー(博物館)めぐりなどにはいい季節だ。
幸いこの時期は航空運賃も安いし、ヴィザの取得も観光旅行の場合、在日モンゴル大使館のホームページから書式をダウンロードして記入し、パスポートを同封して簡易書留で送付すれば簡単に入手できる。
事前に大使館指定の銀行口座に4400円也の入金処理を済ませておく必要がある。
オペラ、バレエ好きの方、この時期、モンゴルでのオペラ鑑賞は如何?
ちなみに料金は外国人8000Tg(日本円で800円ほど)
吾は来週から今年一回目のモンゴル入りの予定。
参考資料
モンゴルバレエ「Choijin Dagina」(ムービー):次の記事をご覧ください。
旧吉田茂邸焼失 海千山千楼


旧吉田茂邸焼失 海千山千楼
3月22日、漏電がもとで旧吉田茂邸が焼失したという。
吾の蔵書にレコード付きのこんな本があった。
海千山千楼と呼ばれていたという。
「小説吉田学校」をもう一度読み直してみたいが、あの長編を読むにはこの時期は野良仕事が忙しすぎる。せめて森繁久弥主演の映画「小説吉田学校」でも引っ張り出して済ませようかとも思う。
毎日新聞 2008年9月25日の「余録」にこんな記事がある。
ーーーーーーーーーーー
▲海千山千
海に千年、山に千年生きるとヘビも竜になる。
で、長年にわたり浮世の経験を積んで、世間の裏も表も知り尽くした老獪(ろうかい)な人を「海千山千」という。この四字熟語のような表現は大正時代から広まったらしい
▲麻生太郎新首相の祖父、吉田茂はことあるごとに政治家たちが訪れてくる私邸に「海千山千楼」の扁額(へんがく)をかけていた。
外交官の加瀬俊一がその住人にふさわしい名をつけたのだという。
だが吉田本人は「海千山千はここに来る客で、主人の方ではありません」と言っていたそうだ
ーーーーーーーーーーー
関連資料
戸川猪佐武著「小説吉田学校」、映画「小説吉田学校」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E5%90%89%E7%94%B0%E5%AD%A6%E6%A0%A1
池島信平のこと-10 司馬遼太郎「信平さん記」

池島信平のこと-10 司馬遼太郎「信平さん記」
池島信平が父(池島信之助)と母(池島カタ子)を語った話が次のように紹介されている。
「おやじは、早起きでしたよ」
厳君(げんくん)はよく知られているように越後から出てきて本郷で牧場をひらいた
市井の成功者である。
家業柄早起きであるのは当然だったが、この人らしく単に高血圧だったんです、と体
質論でとらえていた。戦前、早起きは道徳のなかまに入っていて、寝起きのわるい
人はそれを低血圧体質とみず、なまけものとされていた。母堂は、はなはだしく低血
圧だった。
「朝、起きろ、といっておふくろの枕をけるんですよ。子供たちはみなおふくろの見方
でした。蹴った当人が早死して、蹴られたほうは長生きしているんです。そんなもん
ですな」
そんなもんですな、というあたりに、池島さんの歴史観の気分がうかがえる。単に高
血圧体質である人物に無用の倫理的解釈を加えたがる戦前の歴史観にこのひとはうん
ざりしていたし、また戦後の世を騒がした異常に政治好きのひとびとについても、
「左翼も右翼もおなじテンペラメントのひょうりじゃないですか」
語気つよく言った。


