佐藤武久のブログ 「日本・モンゴル往来日記」 -146ページ目

司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録

 

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2009年7月22日(水)記

司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録

午後4時頃だろうか、雨雲が立ち込めたので日本センターに雨宿りがてら立ち寄った。
図書室で以前に気になっていたこんな本を読みながら雨の上がるのを待った。
ホールの大画面テレビは大相撲を放送していて、朝青龍も白鵬も敗れるという波乱の日となった。

「日本の経済力はだんだん衰えてゆきます。
これからは親切が必要です。
日本は人に親切にする国なんだということ以外に生きてゆく道はないと最近よく考えます」

「四十代という年代はだいたいものがわかってきて、なお体力が残っているおもしろい世代なんですが、私の場合、「坂の上の雲」をしらべるだけで終わりました」

マルチメディアCD-ROM「元気なモンゴル 2008年特別限定版」

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2009年7月23日(木)記

マルチメディアCD-ROM「元気なモンゴル 2008年特別限定版」

大相撲の巡業に合わせて相撲関係者、報道関係者向けに作成した特別版です。
チンギスハーン空港の売店でお求めいただけます。

フブスグル湖への旅-14 ジャガイモ畑?

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2009年7月22日(水)記

フブスグル湖への旅-14 ジャガイモ畑?

ボルガン県のあたりにはこのような畑が多く見られる。
トムス(ジャガイモ)か小麦だろうとのこと。
小麦は秋に一回収穫するだけで日本のように二毛作ではない。
ウランバートルのメルクーリでは特にモンゴル産と銘打ったコーナーがありジャガイモ・きゅうり。なすなどの野菜が中国産の二倍近い値で売られているが、農薬の安全性の問題だけでなくモンゴル人の味覚にあった品種らしい。
中国のものは豚のえさにする品種ではないかと口の悪いモンゴル人は言うが本当かどうか。

モンゴル通貨トグルクに対する円の為替レート

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2009年7月22日(水)記

モンゴル通貨トグルクに対する円の為替レート

フブスグル湖への旅-13 魚の燻製

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2009年7月21日(火)記

フブスグル湖への旅-13 魚の燻製

魚の燻製

2004年の夏、アルハンガイ県のツァガーンノール湖のほとりでキャンプをしたことがあった。
そのとき50センチくらいの大きさの魚を買ってホーショールを作って食べたことがあった。
白身の魚で、一度煮てから骨をきれいに抜いて肉だけを小さく砕いて野菜などのみじん切りと混ぜ合わせ、小麦粉の皮で包んで油で揚げるのだが、魚の生くささはなく魚嫌いの私でも抵抗なく食べられた。
この湖では、このくらいの魚はいっぱいいるのだが地元の牧民は魚を食べることがないという。
何故かと聞いたら、羊や山羊の肉が十分あるから魚を食べる必要はないという。
売店に吊るしてある魚は、外国人観光客に売るためのもので自分たちは食べないのだそうだ。
そんな経験もあってモンゴル人は皆が魚を喜ばないものと思っていた。

今度のフブスグル湖のキャンプ場のレストランの傍らでおばさんが魚をさばいていた。
かなり大きな魚だったので内臓も山羊の解体を見るのと似た感動がある。
そのおばさんは、私に売るつもりで燻製のサンプルなど持って来たのだが、私はお土産に買って帰るほど珍しくもないので試食だけしていい返事をしなかった。
けれども、一緒に試食をした同行のモンゴル人たちがお土産に買って帰りたいと言い出した。
ほしいだけの数がまとまらないので予約して帰るまでに燻製を仕上げてもらう約束をしたのには驚いた。
魚は缶詰でしか食べたことがなく、燻製とは言え、生の魚を食べるのは初めての人が多くフブスグル湖のいいお土産になるのだという。
確かに、10冂?戮両型のものは骨まで食べられて美味しかったが、モンゴル人が魚の燻製をこんなに喜ぶとは以外だった。

フブスグル湖への旅-12 熊の毛皮

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2009年7月21日(日)記

フブスグル湖への旅-12 熊の毛皮

ムルン郊外のキャンプは緩やかな傾斜地に建てられており、前方に草原が広がり牧民が放牧をしており、その先の小高い山と山の間から遠くムルンの町並みを望むことができる。
背後は深い唐松の林になっており、夜になると狼の吼える声が聞こえると言う。
キャンプでは二頭のモンゴル犬を買っているが深夜に狼が吼えるとそれに呼応して犬も吼えるので「とても怖いです」とオヤンガーは言った。
狼にとって人間の肉は美味しくないから食われる心配はないと言ってやったが、慰めになったかどうかはわからない。

オーナーであるオヤンガーの父は、この冬26頭の狼を仕留めたと言う。
狼の毛皮はここにはないが、こんなものがあると言って見せてくれたのがこの熊の毛皮。

2003年にチンギスハーンの生まれた村、ヘンティ県のダダル村を訪ねたとき、小さなムゼー(博物館)を持っている老人に出会った。
その老人は子供の頃にユニコーン(伝説で知られる幻の一角獣)を見たことがあると言った。
その老人からダダルのお土産として、テムジンが使っていたのとそっくりと思われる魚の皮で装飾した手作りの弓矢を買った。
老人は当時私の父と同じ92歳だったと思う。
私がモンゴルの父になってあげるから、今度またダダルに来たときは遠慮なく訪ねて来いと言ってくれたが未だ再会していない。

オヤンガーの父にユニコーンを見たことがあるかと聞いたら、まだ見たことがないと言った。

私の日本の父は、「子供の頃、土の子を見た」と言ったが、父は真面目な顔をしてこの類の嘘を言う癖があったから、あのモンゴルの父も私に嘘を言って聞かせたのかもしれない。

フブスグル湖への旅-11 深夜の誕生祝い

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2009年7月21日(火)記

フブスグル湖への旅-11 深夜の誕生祝い

日が暮れてゴアンズ(軽食堂)に着いた。
この日は運転手のドグローさんの6x歳(私より5歳くらい若い)の誕生日だと聞いた。
ここで誕生パーティーをやろうということになったがケーキなど望むべくもない。
売店の棚にあった一番豪華そうなものはチョコパイであった。
それを2箱とばら売りの2個を買って1人2個あてで7人分用意した。
それをホギーが積み上げたら結構豪華に見えた。
酒もアルヒかビールはあるがドグローさんは運転するのでスーテーツァイ(ミルク入りお茶)にとどめた。
ホギーとアリョーナがモンゴルの誕生祝いの歌を歌ったがトグソーもアリョンカも知らないらしい。
続いて日本でもおなじみのハッピー・バースディ・トゥー・ユーをトグソーもアリョンカも学校で習っているので一緒に歌った。
照明の薄暗い光の中で孫のアリョンカの隣に座ったドグローさんは満足げに見えた。
うっかりしていていくつになったのか聞くのを忘れた。

フブスグル湖への旅-10 草原のトイレ休憩

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2009年7月21日(火)記

フブスグル湖への旅-10 草原のトイレ休憩

ムルンからボルガンまでは大きな町はないし、知り合いのモンゴル人もいないから今日はどこかの草原で野宿をすることになる。
日本との時差が1時間あるので10時近いのにこの明るさだ。
運転をしているドグローさんは運転が好きで明るいうちは走り続ける。
疲れたから運転を交代しようかと言っても私にはハンドルを持たせない。
サトウの運転は下手で車を壊される心配があるという。
トグソーがオレンジジュースをよく飲むのでおしっこ休憩を頻繁にする。
そんな時には草原で記念写真を撮るが、抜群のチームワークでこんな写真が撮れた。

フブスグル湖への旅-9 ラマ(チベット仏教の僧)

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2009年7月21日(火)記

フブスグル湖への旅-9 ラマ(チベット仏教の僧)

ムルン郊外のキャンプ場に泊まった翌朝6時頃に目が覚めた。
夜中に少し雨が降ったようだが今は止んで蒸し暑さをまったく感じさせないすがすがしい朝だ。
キャンプ場のトイレは別の建物になっていて洋式一つと和式二つの水洗トイレとそのそばに大きな穴の上に板を渡したモンゴル古来のトイレも併設されている。

用を足し終えて緩やかな坂道を登ってゆくと上のほうからラマ僧が降りてくる。
モンゴル人ではないことが分かる。
こちらが問いかける前に「オーストラリアから」と英語で話しかけてきた。
ラマ僧は両手を合わせて合掌し朝の挨拶をしたので私も真似をして両手を合わせた。
朝食を終わったら出発するそうで我々が一行を見送ることになった。
アメリカ人の老夫婦も一緒だった。
ラマ僧はウランバートルのザナバザル密教美術館の隣の仏教センターにいるそうで後日訪問することを約束して別れた。

フブスグル湖への旅-8 わが心の旅?

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2009年7月21日(火)記

フブスグル湖への旅-8 わが心の旅?

初めてフブスグル湖に旅をした2002年の夏に今と同じキャンプに泊まった。
このキャンプ地から馬に乗って30分ほど南に下ったところにフブスグル旅行社のキャンプ場がある。
そのときたまたまキャンプ場主催のナーダムが行われていて会場にはスイスのお医者さんの団体などもいてにぎわっていた。
私も飛び入りで相撲に参加して、私よりも上背のあるモンゴル人の青年と好勝負?をして負けた思い出の深い場所である。
優勝賞金は200ドルとかでモンゴル人はマジで勝負をしていて、この日骨折するものが2人でたが、さすがスイスの医師団ですぐに応急処置をしてくれてその場面は大会に花を添える見せ場となった。
翌日ムルンの町で偶然骨折して腕を吊っている青年のグループに会った。
ヤポンフン サトー(日本人のサトーだ)だと彼らは私のことを覚えていてくれた。
彼らモンゴル人に骨折などたいした怪我のうちに入らないようである。

キャンプ場の風景はそのときとほとんど変わっていないが、インデアンの住居である白いティピーが夏の明るい日差しの中でいやに目だって見えた。
テピィの中には小奇麗なベッドが三台置かれていて、ベッド一台の素泊まり料金が25万トゥグルク(日本円で2000円程度)だそうである。

関連資料
2002年のフブスグル湖の相撲大会(ムービー);Geocitiyからの移動予定
http://www.geocities.jp/sato032/movie/sumo2.html