モンゴルのバイオリニスト デギー(Degi)
2010年2月24日記
モンゴルのバイオリニスト デギー(Degi)
この短い映像は2002年にモンゴルで撮影したものですが、同じ曲が次の動画の最後の部分で演奏されています。
http://www.youtube.com/watch?v=FCnMz-jvXQk
曲名はХэнтийн өндөр ууланд(ヘンティの高嶺にて)で、たぶんチンギス・ハーンの生まれ故郷ヘンティ県のブルハン岳の山上という意味だと思います。
スライドショーの写真は、ヘンティに旅行したときに見たような風景もありますが、必ずしもヘンティだけのものではありません。
一番最後に、清流に裸で浸かっている幼児の写真がご愛嬌。
http://www.youtube.com/watch?v=FCnMz-jvXQk
曲名はХэнтийн өндөр ууланд(ヘンティの高嶺にて)で、たぶんチンギス・ハーンの生まれ故郷ヘンティ県のブルハン岳の山上という意味だと思います。
スライドショーの写真は、ヘンティに旅行したときに見たような風景もありますが、必ずしもヘンティだけのものではありません。
一番最後に、清流に裸で浸かっている幼児の写真がご愛嬌。
モンゴルの作曲家 ジャンツァンノロブ(Jantsannorov)
2010年2月24日(水)記
モンゴルの作曲家 ジャンツァンノロブ(Jantsannorov)
2002年の秋口からほぼ一年がかりでモンゴルを紹介するマルチメディアCD-ROM「Discover Mongolia」の日本語版の翻訳・編集に取り組んでいました。
ジャンツァンノロブのいくつもの曲がこのCD-ROMのBGMとして使われていたので、毎日のように何度も何度も聞いていました。なつかしい曲の数々です。
ジャンツァンノロブのいくつもの曲がこのCD-ROMのBGMとして使われていたので、毎日のように何度も何度も聞いていました。なつかしい曲の数々です。
YouTubeにこんな曲もアップロードされています。
小説「麦と兵隊」のモデルに・・・ 宮澤益二郎
2009年10月28日記 2010年2月23日 追加修正
小説「麦と兵隊」のモデルに・・・
新潟県柏崎市大字石曽根にある鯖石神社の50代目の神職で、ミヤコ自動車工業の創立者だった故宮澤益二郎さんにこんな逸話があります。
この記事は、次の雑誌記事からの抜粋引用です。
日本自動車部品協会(JAPA)機関誌「優良部品」平成二年二月十日号掲載
「つれづれ想思譜」自動車ジャーナリスト 有馬 崇
この記事は、次の雑誌記事からの抜粋引用です。
日本自動車部品協会(JAPA)機関誌「優良部品」平成二年二月十日号掲載
「つれづれ想思譜」自動車ジャーナリスト 有馬 崇
「私の年代は、当然のことながら太平洋戦争を控えての支那事件、上海事件に参加した人が多い。私自身もその一人だ」と宮澤さんは、当時を思い出しながら話し出した。
宮澤さんによると中支派遣軍に応召。上海・南京攻略作戦に参加、さらに徐州作戦において「大腿部(だいたいぶ)貫通銃創」という名誉ある負傷を受けている。その徐州作戦における野戦病院に担ぎこまれた負傷兵の中で、元気のよい宮澤さんは、ともすると陰気になりがちな戦友の気持ちを引きたてるため得意の”佐渡おけさ”を中心とした民謡をはじめ詩吟を唄った。
そうした風景をたまたま前線慰問に訪れた作家・火野葦平氏が感激して宮澤さんを激励したという。
そうした一風景は、小説「麦と兵隊」に書かれる一方、東海林太郎が唄った「麦と兵隊」(作詞:藤田まさと)の一節、”友を背にして、道なき道を・・・”のモデルにもなったそうだ。
宮澤さんによると中支派遣軍に応召。上海・南京攻略作戦に参加、さらに徐州作戦において「大腿部(だいたいぶ)貫通銃創」という名誉ある負傷を受けている。その徐州作戦における野戦病院に担ぎこまれた負傷兵の中で、元気のよい宮澤さんは、ともすると陰気になりがちな戦友の気持ちを引きたてるため得意の”佐渡おけさ”を中心とした民謡をはじめ詩吟を唄った。
そうした風景をたまたま前線慰問に訪れた作家・火野葦平氏が感激して宮澤さんを激励したという。
そうした一風景は、小説「麦と兵隊」に書かれる一方、東海林太郎が唄った「麦と兵隊」(作詞:藤田まさと)の一節、”友を背にして、道なき道を・・・”のモデルにもなったそうだ。
「モンゴルで親父の夢を見た(3)」


2010年2月21日(日)記 ホームページより転載
「モンゴルで親父の夢を見た(3)」
---亡き父に捧げるバラード---
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親父か亡くなった年2004年の晩秋10月23日、中越大地震が私の郷里の近い所を震源として襲いました。
丁度その日は、花火大会がある日で、早い夕ご飯を済ませ、薪ストーブの火を弱めて、出掛ける準備をしている矢先でした。
突然激しい揺れが襲い、停電し、まだ火の燃えているストーブは45度に傾き、外れた煙突の隙間から黒煙がもうもうと立ち、これは一体なん何だと、まるで映画の一シーンでも見ている気分でした。
ストーブをこのまま傾けて居たら、床に火が燃え移り火災になる心配があると判断し、私は左の肩をストーブの側面に当てて立て直しました。
ノルウェー製の鋳物の製品で総重量は200kgはあるものです。
平常時では、とても動かせる物ではないはずの物ですが、話に聞く火事場の馬鹿力と言うやつでそれができたのです。
さいわい、それによって一難は去ったので、暗闇の中てロウソクを点けて、炬燵に入ったままじっとしていました。
炬燵は電気ではなく豆炭を利用していたので、足元だけは温かでしたが、ひっきりなしに強い地震が襲い、160年位昔に建てたと思われる古い欅の太い柱も不気味な音をたてて軋みました。
生まれて初めての恐怖感に襲われました。
翌朝、夜が明けてからお墓を見に行ったら石塔はことごとく倒れ、目も当てられない有り様でした。
余震が落ち着いてから建て直そうと思ってそのままにして置きましたが、余震はいっこうにおさまらず、とうとうお盆を迎えることになりました。
その時は、親類の人たちの応援で三人がかりで墓石を建て直しました。
お盆を過ぎてしばらくしてた大きな余震があり、お墓はまた元の黙阿弥になりました。
そしてそのまま、19年ぶりの豪雪に埋もれたまま一冬を越しました。
翌年もお盆の直前に建て直し、その後また地震があって倒れました。
今は倒れたままになっています。
他人は何と親不孝な奴だと言うかもしれません。
親父の三回忌を迎えると言うのに墓石が地震で倒れたままになっていることに対して、私は多少の後ろめたさを感じていました。
ところがある日、菩提寺である安住寺の広報誌を見ていて次のような詩を見つけました。
千の風になって 新井 満
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって
畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように
きらめく雪になる
朝は鳥になって
あなたを目覚めさせる
夜は星になって
あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
千の風に 千の風になって
あの大きな空を ふきわたっています
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親父は今モンゴルの草原を風になって飛んでいるのかもしれません。
挿絵 S.Sumber 「夕焼けの中をかける馬」
(おわり)
「モンゴルで親父の夢を見た(2)」

2010年2月21日(日)記 ホームーページより転載
「モンゴルで親父の夢を見た(2)」
---亡き父に捧げるバラード---
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夢の中に現れた親父は、私が期待していた青年時代の颯爽とした父ではなく、亡くなる一年前の病気で倒れる直前の頃の姿でした。
それも雪の多い一昨年の春先の風景でした。
雪国では三月末頃になると、川の上を覆っていた雪が溶けて、その上にトンネル状の空洞ができます。
この季節にその上を歩くのは非常に危険です。朝早い内は、硬く凍っているので人が載っても大丈夫ですが、日が射して溶け始めると落とし穴のようになってしまいます。
現に父の姉の長男は小学校に上がる年の春にこの落し穴に転落し溺れ死んでいるのです。
夢の中の父もこの落とし穴に落ちて、その雪の洞を私が上から覗き込んでいるという構図でした。
父は転落したときに、小川の側溝のコンクリートの角に足腰を打ったらしく、中腰の姿勢で膝に手を当て、力士がこれから仕切りに入るような格好をしていました。
そして、「失態、失態」と同じ言葉を何度も呟くようにして言い、腰を伸ばせないままでした。
私は山の川から引いてきたゴムホースの水を、ぽっかり開いた落とし穴の周辺にザーザーかけて溶かしながら、穴の径を大きくして、親父を引き上げようとしていました。
跳ねた水が、背中にも跳び、私の顔にもかかり、びしょ濡れの感じでした。
その時、縁側の重いガラス戸がガラガラと開き、私の妻の夏美が顔を出しました。
事情を知らない夏美は、「お風呂が沸いています。早く入ってください。」と言って、またガラガラと重いガラス戸を閉めました。
ここで夢は終わりました。
その後、夢の中に父が出てくることもなく、ウランバートルの街で父にそっくりな人に会ってもいません。
それでも、私の心のどこかにウランバートルの人ごみの中で若い日の父に会えるかもしれないという期待が残っています。
それは、街の中ではなく、モンゴル帝国の旧都カラコルムの小高い丘の上で馬に乗っている赤いTシャツを着た青年だったりするかもしれません。
父が亡くなった夜遅く、三条市の病院から柏崎市の自宅に戻る車の中で、ふと浮かんだ短歌は、次のようなものです。
「次ぎの世は、
草原広きモンゴルへ
生まれ出でませ
馬 愛(め)でし父」
(つづく)
「モンゴルで親父の夢を見た(1)」

「モンゴルで親父の夢を見た(1)」
---亡き父に捧げるバラード---
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元山さんは、モンゴル報告の第21回で「私の父に瓜二つのモンゴル人に出会ったこともある、日本では一度もないのに」と書いておられます。
私もこの記事に触発されて、モンゴルで親父にそっくりな人に会えるかも知れないと言う妄想がどんどん膨らんでいました。
それも30歳位の青年時代の父に会えるかも知れないと言う妄想です。
日本でこんなことを口にしたら「あんた、あたまちょっと変なんとちゃうか」とちょっと危ない人と思われるのが関の山でしょうが、モンゴルにいると何故か、このような妄想が現実味を帯びて押し寄せてくるのです。
元山さんの父君は長崎県佐世保市の海軍の軍人であった様に聞いておりました。
海のないいモンゴルで海軍の軍人だった父親そっくりの人が居たというのだから、あの馬好きという程度を越えて馬気違いと陰口を言われていた私の親父がいない筈がないと、私の妄想はどんどん膨らんでゆきました。
馬気違いと言われても仕方のない親父の行状は次ぎのような話で十分頷いていただけると思います。
終戦の時、父は30歳になっていたと思います。
その時、父は仙台にいましたが、予てから目を付けていた上官の愛馬を高額のお金を払って買い取り、貨物列車の一両に載せ、自分もその中で寝泊りし、新潟県刈羽郡安田町(当時の地名)の田舎の駅に降り立ったと言うのです。
父の親父、つまり私の祖父は、これまた親馬鹿を絵に描いたような人だったらしく、戦争で死ぬかも知れないと思っていた息子が(現に父の部隊は、終戦直前にアラスカのキッツ島に派遣されたのだそうですが、父は乗馬教官だったためか除外されたようです。)生きて帰って来るのだからと、先祖伝来の田畑を売り、馬を買う高額の代金を工面したと言うことです。
今なら、どら息子に分不相応なポルシェか何かでも買ってやったと言うところでしょうか?
さらに、祖父の親馬鹿さ加減は、仙台の息子がx月x日に安田駅に貨車に馬を積んで到着するという葉書が届いているのに、その二日前から駅前に一軒しかない安田館と言う旅館に泊まりこんで、一汽車通る度に出迎えていたと言う事です。
もしかして、予定が早まって、駅に着いたときに、誰も迎えが居なかったら寂しかろうという思いからだったようです。
親父が亡くなったとき、村を出て遠く離れている私の見知らぬ人から一万円の香典に添えて次ぎのような文面の書留を受け取りました。
「兵隊より帰ってきて、駅から馬で小清水(集落の呼び名)を駆け回り、わたし達子供らは、ただただ唖然として驚き、そのカッコ良さに見とれたものでした」
(つづく)
モンゴルの国際音楽祭 Roaring Hooves International Music Fe
2010年2月15日(月)記
モンゴルの国際音楽祭 Roaring Hooves International Music Festival 2002
Roaring Hoovesは直訳すると「轟く蹄の音」
この国際音楽祭は毎年6月に世界各国から音楽家たちが集まって首都ウランバートル、南ゴビ砂漠、フブスグル湖などに会場を移して開催されます。
この映像は2002年のウランバートル会場のものです。
音楽だけでなく大道芸のようなパフォーマンスもあって深夜まで延々と続き、最後の頃は観客は皆帰ってしまい出演者とその関係者だけという感じでした。
この国際音楽祭は毎年6月に世界各国から音楽家たちが集まって首都ウランバートル、南ゴビ砂漠、フブスグル湖などに会場を移して開催されます。
この映像は2002年のウランバートル会場のものです。
音楽だけでなく大道芸のようなパフォーマンスもあって深夜まで延々と続き、最後の頃は観客は皆帰ってしまい出演者とその関係者だけという感じでした。
ここでは日本からの参加者はありませんでしたが、2005年に打楽器&マリンバ奏者 西岡まり子さんがドイツから参加されています。
関連記事
Welcome to Percussionist Mariko Nishioka's Website(西岡まり子のページ)
http://www.mariko-nishioka.com/Japanese_top.htm
モンゴル自然・環境・観光省のWeb
http://www.mongoliatourism.gov.mn/events-and-festivals/roaring-hooves-international-festival-of-new-music-june-august
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http://www.mongoliatourism.gov.mn/events-and-festivals/roaring-hooves-international-festival-of-new-music-june-august
モンゴルの靴 ゴタル


2010年2月14日(日)記
モンゴルの靴 ゴタル
昨年の夏、長崎にいる孫にモンゴルのお土産としてモンゴル靴(ゴタル)買ってプレゼントした。
ゴタルはつま先が反り上がっているのが特徴で、草原を歩くとき小石に躓きにくくするためだと聞いた。
この冬、長崎にも雪が降ってゴタルの出番と相成った。