佐藤武久のブログ 「日本・モンゴル往来日記」 -135ページ目

ダダル紀行2003 オノン川岸での戯れ


2010年1月21日記

ダダル紀行2003 オノン川岸での戯れ

運転助手のxxさんはとうに50歳を越えたいい大人なのにこんなふざけた事をして喜んでいる。
この一枚の写真を手に家族や友人に旅の土産話をしている様が目に浮かぶ。

ダダル紀行2003 脾臓の丘(デルーン・ボルドグ)にて


2010年1月21日記

ダダル紀行2003 脾臓の丘(デルーン・ボルドグ)にて

ダダルの外れの脾臓の丘(デルーン・ボルドグ)にチンギスハーン生誕の地の記念碑がある。
ここから、「モンゴル秘史」で蒼き狼が棲むというブルハン岳をはるか遠くに望むことができる。

ダダル紀行2003 ♪おーい船方さん 船方さんよー♪


2010年1月16日記

ダダル紀行2003 ♪おーい船方さん 船方さんよー♪

オノン川には橋がない。渡し場で対岸に向かって「船方さんよー」と叫ぶとワイヤを辿って鉄舟が寄ってくる。
鉄舟は二艘を並べた上に木材の床を張ったもので、人だけでなくワゴンや馬も積み込むことができる。
この時の船方さんは子供を連れてきていたが、親子なのかじいじと孫なのか確かめるのを忘れた。

榎本武揚「シベリア日記」 シベリアの美少女

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Irina Getmanova, 19, a student at the Novosibirsk Siberian State Academy of Geodesy, won the Miss Siberia 2009 beauty pageant.

2010年1月16日記

榎本武揚「シベリア日記」 シベリアの美少女

榎本武揚「シベリア日記」(講談社学術文庫)の九月六日の項にこんな一節がある。

「この駅にてブラゴウェイチンスクへ行く一家内の待ち合わせ居るを見たり。我らの発後にあらざれば馬を得る能はざるを以て発程を待てり。中に美姉妹二人あり、齢皆破瓜(十六歳)を過ぐ。すこぶる人をして心酔はしむ」

榎本武揚が「すこぶる人をして心酔はしむ」と日記に書き残したほどの美姉妹とはどのような美少女だったのだろうかと心の片隅に消えずに残っていた疑問が今朝15日のPRAUDA ONLINE(
http://english.pravda.ru/society/stories/111641-0/)で一応の決着を見たような気がする。

ダダル紀行2003 モンゴルの父(2)

2010年1月15日記

ダダル紀行2003 モンゴルの父(2)



先のポーランド語の説明文をGoogle翻訳にかけたてみた。
この老人Zundoi Davagさんは93歳だと書いている。
吾の記憶では2003年に訪ねたときには吾の父親と同年の91歳だと言っていた。
当時のビデオをあらためて確認しても通訳のゲレルが91歳とナレーションを入れているから吾の記憶違いでもなさそうだ。
モンゴル人に言わせれば93歳も98歳も大した違いではないと一笑にふされる可能性は大いにあるが、今年が父の7回忌に当るのでついついこだわってしまう。


参考:Google翻訳

原文(ポーランド語)

15 kilometr??w od Dadal mieszka 93 letni Zundoi Davag. S??ynny na ca??a Mongolie my??liwy, bohater wojenny. Czlowiek ten utrzymuje, ze sw??j wiek osi??gn???? dzi??ki piciu ??wie??ej krwi zabitych przez siebie zwierz??t. Ledwo s??yszy ale wzrok ma doskona??y. W szopie obok swojej chaty urz??dzi?? mini muzeum w kt??rym strasz?? wypchane nied??wiedzie, list, ptaki - jest tak??e sk??ra bia??ego kr??lika albinosa - pierwszej ofiary kt??ra zabi?? w wieku lat 13. Sk??rka je??li wierzy?? ma 80 lat. Potem starzec przebiera sie do zdj??cia - w klapie medale i ordery - najlepszy strzelec, najlepszy sportowiec, bohater wojny z Japonia i 46 innych. S??ynie tak??e z potencji - jego trzecia obecna zona ma 41 lat i prawie da??a mu potomka - niesety pojawi??y si?? komplikacje i poroni??a.

自動翻訳文

Dadalから15キロ93歳Zundoi Davag住んでいます。
Mongolieすべての有名なハンター、戦争の英雄。
この男は主張して彼の年齢の動物を殺さの新鮮な血液を飲むことによって達した。
ほとんど耳に優れた視力をしている。
を流す彼女のコテージの横にあるミニは、手紙、鳥 - また、アルビノは白ウサギの皮膚 - これは最初の犠牲者は13歳の時に殺されて恐ろしいているぬいぐるみの熊の博物館手配
皮をむく場合は、80歳だと思います。その後、男の写真をアップドレス - ラペルの金メダルや装飾品で - 最高のシューティングゲーム、最高の選手、日本、そして46人との戦争の英雄。
その効力のために有名です - 彼は、現在の妻の3分の1は41歳であり、ほとんど彼の子 - niesetyした合併症や流産登場しました。

Tsatoによる後編集訳文

93歳のZundoi Davagさんは(ヘンティ県)のダダル(Dadal)村から15キロ離れたところに住んでいる。
モンゴル全国に知られた狩猟家で戦争の英雄である。
この老人は年取っても元気なのは動物を殺したときの新鮮な血を飲んだためだと力説している。
ほとんど視力も聴力も衰えていない。
小屋の傍にミニ博物館があり、手紙、鳥、アルビノ(白毛の)狼、白兎、13歳の時初めて仕留めた熊などの剥製が展示されている。
・・・・・」

もう一つの関連記事(2015年追加)

8 day trip to eastern Mongolia, birthplace of Chinggis Khaan(2013)

ダダル紀行2003 モンゴルの父

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2010年1月14日記

ダダル紀行2003 モンゴルの父

2003年9月にチンギスハーンの生まれた村、ヘンティ県のダダル村(Dadal soum)を訪ねたとき、小さなムゼー(博物館)を持っている老人に出会った。
その老人は子供の頃にユニコーン(伝説で知られる幻の一角獣)を見たことがあると言った。
その老人からダダルのお土産として、テムジンが使っていたのとそっくりと思われる魚の皮で装飾した手作りの弓矢を買った。(写真1)
老人は当時私の父と同じ91歳だったと思う。
私がモンゴルの父になってあげるから、今度またダダルに来たときは遠慮なく訪ねて来いと言ってくれたが未だ再会していない。

ところが昨日(13日)、幸ちゃんの「グーグル、中国撤退か?」というブログの記事を見て、記事を辿って行くうちに偶然次のページに出くわした。
http://www.flickr.com/photos/bartpogoda/3607420368/

ポーランドのワルシャワに住む写真家Bartpogodaさんが昨年6月にアップロードしたもので写真2が添えられている。
説明文はポーランド語らしく解らないが、今も健在であり、97か98歳ということになる。

我が里に大雪降れり 電子年賀の修正 

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2010年1月9日記

我が里に大雪降れり 電子年賀の修正 

先の電子年賀http://blogs.yahoo.co.jp/jkchp386/58806388.html で「万葉の歌人は大原の里に大雪が降ったと自慢して詠んでいます」と書きましたが、この解釈は間違いで正しくは大原の里ではなく明日香浄御原だと今朝気が付きました。
なお、大原の里というのは現在の明日香村小原の辺りだそうです。
さらに、「自慢して」というのも間違った解釈のようです。
別の解釈では、この年天武6年は日本書紀に記録されるほど大雪だったそうで、俺のいる明日香に大雪が降った。おまえの大原の地にもそのうちたくさん降るだろう、大丈夫ですね、というものです。
天武天皇が藤原邸で離れて暮らしている新妻を心配して歌で便りをしたもので、この解釈のほうが自然な気がします。
大雪が降って喜ぶのは子供くらいですから。

このページが参考になりました。
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage-m.htm

リンクフリーのページなので写真も無断借用で使わせていただきました。

翻訳「ゴビ砂漠にある日本人の村」 第3回

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2010年1月6日記

翻訳「ゴビ砂漠にある日本人の村」 第3回

第1章 
2.日本人の女性(2)


「今から数年前にモンゴルと日本の政府間交渉の決議にしたがってある年の春ここの村に移住してきました。移住して来てとりあえず今ここに見えているアパートを建てました。春、夏、秋の間はよく働きましたよ。冬の始めごろ、村に五階建てのマンションができていました。ここの建物はみなこの土地の砂と土と泥を使ったものです。ここの泥はのりのような感じでセメントの代わりになります」
「この辺にはセグス・ツァガーン・ボグド村のほかにもたくさんの村がありますね」
「そうですね。とても多いです。30ぐらいあると思います。村の中心はここです」
「この村にあるような施設は他の村にもありますか?」              
「もちろんです。施設とその設備は同じ形で、同じ活動をしているのですから」
「それでは、このセグス・ツァガーン・ボグド村にある施設はどんなものがありますか?」
「まず、村役場があります。向こうの旗が立っている所です。さまざまな会社もあります。西側に見えている3~5階建て建物がそうです。その先に農場が続いています。南の方には5階建てアパートがあって、決められた狭い土地に多くの家族が暮らせるように考えられています。階毎に四所帯が入っています。中小の工場、生産組合、ショッピングセンター、お店、北側には病院、学校、東の方には自動車と機械の車庫と駐車場、太陽熱と風力発電所、ラジオとテレビ局、通信局、電気自動車のスタンド、ガソリンスタンドなどがあります。また東の方から来ている鉄道の終着駅、ヘリコプターの発着場があります。空の上から見ると全体も、ポートのそれぞれも四角に見えるように設計されています」

「他にも、鉄工、大工、床屋、写真屋、仕立て屋、靴屋、洗濯屋、お風呂屋、運送屋、卸売り店、レストラン、ザハ(市場)、図書館、本屋、薬屋、病院、各種学校、幼稚園などだいたい必要なものは全部あります。こちらでは労働に関係しない人が一人もいません。みな働いて、給料を受け取っていますからいい生活をしていますよ。こちらの特徴は、自然の素晴らしさを大事にして保護していることです。初めの頃は、日本がわたしたちの村の生活を向上させるために就職の件で支援したり、道具、機械、資金面でも援助していました。しばらく経って、この援助資金は村の方から日本に返済しました。こちらに住んでいるのはだいたい若者の家庭なんですよ。これが一番大きな特徴です。他の村にはなくてここだけにあるものは銀行センター、卸売りセンター、自動車修理センター、インタネット施設センターなどです。」

我が里に大雪降れり ー謹賀新年ー

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2010年1月3日(日)記 2009年1月9日訂正

我が里に 大雪降れリ

万葉の歌人は我が里(明日香浄御原)に大雪が降ったと自慢して詠んでいます。
新年に降る雪はその年の豊作の吉兆として喜ばれるそうです。
しかし、過疎の豪雪地帯で、里も人も古びている我が小清水の里では、年末以来降り続いた雪で軒下が塞がり、毎朝、毎夕の雪堀りを欠かせません。
大雪を自慢するどころか、もういい加減で降らないでくれと悲鳴をあげている有様です。
そこで一首、新年の第一作です。

正月に 大雪降れり 今よりは あはにな降りそ 小清水の里

ダダル紀行2003 オノン河の渡し舟

 

2009年12月25日記

 

ダダル紀行2003 オノン河の渡し舟

 

2003年9月、チンギスハーンの生誕地ヘンテイ県のダダル村に旅行した際、オノン河をこのような渡し舟で渡りました。船を流れに対して斜めにすると対岸に張ってあるワイヤに沿って進んで行くのですが、乗っている人も一緒になってワイヤを手繰り寄せて進みました。
車を無事対岸に降ろしたときはいっせいに歓声が上がり、船頭と握手して記念写真を撮りました。