そして訪れたのは、この↓『奥行臼駅』です。平成元年に標津線が廃止になったのにともなって使われなくなった駅舎です。
単線の軌道が残されていました。なんだか物悲しいですね。廃止されたのが平成元年というのが、また寂しい感じを誘います。平成元年は私、もう大人になってました。あはは。元号も変わり新しい時代が始まると思っていた頃です。そしたら平成の30年間、この単線のように日本の国力は衰退の一途を辿ってしまいましたね。こりゃ私達世代と、そのちょっと前の世代の責任ですね。
昔懐かしいホームの形です。先頭と末尾がスロープになっていて、地面からホームに上がります。昔は様々な物の作りがおおらかでしたね。『不適切にもほどがある』を思い出します。
奥行臼駅の観光では雨が降ってきていて、かなり寒くなってきました。この日はもう(まだ?)4月30日なのに!
こちら↓は『奥行臼駅逓所』後です。鉄道が敷かれる前の手紙や荷物の中継基地と言ったところでしょうか。人馬も利用したようです。馬の乗り換えとか。宿泊機能も備えていたようです。
840i 君、記念撮影!
さて、車を走らせ『道の駅 おだいとう』まで来ました。妻の趣味のスタンプを収集します。この道の駅は定休日でしたが、営業してました。ゴールデンウィークだからですかね。ありがたやー。
さて、こちらはどこだと思いますか?向こう側に海が見えますね。
反対から撮っても海が見えます。ここは半島なのですが、ものすごく細い半島です。
この↓植物の枝葉のような半島に入りました。細い半島の細い道を進んで行きます。この半島は根室と知床の中間くらいにある『野付半島』です。
遠くにミズナラが立ち枯れた『ナラワラ』が見えます。
こちら↓少し近づいて写したもの。『ナラワラ』です。
この『ナラワラ』の他に、トドマツが立ち枯れた『トドワラ』もあるようなのですが、もう、ほとんど見る事は出来ません。やはり風化するからです。近い将来『ナラワラ』も見れなくなるかも知れませんね。
我が840i、車で行ける一番奥まで来ました。
ここには、ネイチャーセンターがありました。
その昔(4000〜8000年前)は、この野付と国後島は陸続きだったそうです。もしかしたら、千島列島全部繋がってたかもしれませんね。ロシアまで。
この野付半島は江戸時代には国後島への連絡船の基地となっていて、また、漁業でも栄えたそうです。今はほとんど何もない半島です。
雨も強くなり、寒くなってきました。お昼ご飯を食べに行きましょう。
(つづく)