追記1

 

本日杉山勝彦さんとAkira Sunsetさんの乃木坂10年を記念したコラボ配信がありました。番組内でお二人とも生田さんの才能と、それに溺れない努力を絶賛していました。そして乃木坂に生田さんがいたことに感謝とその意味を語っていました。2人にとっても生田さんは大きな大きな存在であったそうです。

 

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(以下本文)

 

私がお見立て会に参加したのは、20121023日の新木場スタジオコーストでした。

一人一人が自己紹介をしたりした後、ファンは暫定推しを決めて最後に握手をしながら少しお話できるというイベントでした。

 

(お見立て会で配られた謎の会員証、、、その後全く使用機会なしw)

 

生田さんの印象は正直それほど強くなかったのですが、同じ中学生メンバーと比べるとしっかりした印象かな、と思いました。

 

 

その後初めての生田さんの強烈な印象は、デビュー曲「ぐるぐるカーテン」をAKBリクエストアワーで前座的な存在でサプライズ出演した時です。

 

 

私はたまたま映画館での配信でこのイベントを見ていました。

サプライズ登場でMCをしたのは、生田さんでした。非常にしっかりした話し方で挨拶をして曲振りしました。公式ライバルのいわば敵地に放り込まれたグループの第1声を落ち着いて話し、強心臓だなと感心しました。(理由は後日わかりましたが。。。)

 

 

 

パフォーマンスの後。センター生駒さんが、「私たち乃木坂46には超えなければいけない目標があります。その目標とはAKBさんです!」と泣きながら言った名場面の一つですね。

https://youtu.be/nUsOW38IFII

 

 

その後2月のデビューを経て、91日 から9日で渋谷パルコ劇場で「16人のプリンシパル」公演が行われました。

 

 

 

 

私は計9回の公演の内7回観ることができましたが、そこでの生田さんの印象は圧倒的であり、天才の片りん目撃した初めての出来事でした。

 

 

16人のプリンシパル」は乃木坂は当時AKB48が行っていた、総選挙のある意味応用編でもあり、運営が秋元さんから与えられた宿題的なイベントでもありました。

 

 

それはなぜか?

 

 

AKB48の公式ライバルというキャッチコピーで始まった乃木坂。正直SKE48などの姉妹グループも台頭している時期で、乃木坂46とは? 乃木坂らしさとは? という命題にもがいている時期でもあったと思います。

 

 

運営が出した一つの答えは、「16人のプリンシパル」公演での、毎日が総選挙、という過酷なイベントでした。

 

 

台本のない中で毎日一人一人が自己紹介や一発芸などを披露して、その結果をファンから採点してもらい、上位者から主役、準主役が決まり、役がもらえない人も半分位出るというものでした。あるメンバーたちはメンタルが崩壊し、そのまま乃木坂を離脱してしまうかもしれないと感じたほど過酷なものでした。

 

 

特にメンバーの中での年齢差がかなりある中、同じ土俵で戦うのは年少メンバーにとっては辛いものでした。

 

 

そんな中、生田さんは1位を6回、2位を3回、つまり全ての公演で1位と2位という圧倒的な存在感を見せつけました。もちろん子役としての経験もあり、幼いころから英才教育を受けていた生田さんと他のメンバーを比べるのは酷でしたが、それにしても15歳時点での完成度と表現力の豊さは本当に天才生田絵梨花を感じるには十分なイベントになりました。

 

(詳しくはこのブログで書いていますのでよかったらご覧ください)

 

 

 

その後2年間行われたプリンシパルdeux, troisでも生田さんは常にパフォーマンスリーダーであり、ある種のお手本として、目標としてメンバーの刺激になったと思います。

 

 

その中でも私が一番印象に残っているのは、プリンシパルdeuxの東京公演最終公演と、大阪での千秋楽の橋本奈々未さんとの同じ役での闘いです。東京では、生田さんが勝利し、そして大阪では2人のみのガチ対決になり、橋本さんが勝つことができましたが、橋本さんがいろんな役で生田さんの影響を受けながら成長しているなと感じたし、それは他のメンバーも同じでした。生田さんは奈々未さんが一時

「女優橋本」と言われる「きっかけ」でもあったわけです。

 

 

 

プリンシパル3回の経験はやがて、メンバーの中で将来の女優志望者を増加させ、それは生田さんが常に高いパフォーマンスでメンバーを刺激してきたからと言っても過言ではないのです。

 

 

もちろん生田さんもそんな環境を楽しみながらも、さらに高いものを目指しているなと感じることもできました。

 

 

そして2014年の「虹のプレリュード」という初ミュージカルで観た生田さんのパフォーマンスで、こんな凄い人が乃木坂にいてくれる感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

 

 

 

2014年は乃木坂にとっても生田さんにとってもとても大切な年になったと思います。

大学受験準備のための休業、「何度目かの青空か」での初センター、初神宮ライブ(奈々未さん不参加。。。)、紅白落選。。。

 

 

その後生田さんの歌声はセンターポジションにはいなくても常に歌声の音場の中心でしたし、楽曲のキーも生田さんが歌えるレベルに合わせられてきたのではないでしょうか。

乃木坂の楽曲は生田さんありきで制作されてきたといっても過言ではないはずです。

(これは卒業後のチャンレンジでもありますね。。。)

 

 

その後の生田さんのミュージカル女優としての活躍は皆さんのご存じの通りです。

 

 

 

 

 

歌と、演技、ダンス、正に生田さんの目指してきたもの、乃木坂で培ってきたそのものであり、それは後輩にしっかり引き継がれていくと思います。

 

 

乃木坂らしさとは、生田絵梨花が作ってきた。(と、秋元先生なら言うかなw)

 

 

でも大げさではなく、生田さんがいてくれた10年と、もし、いなかった10年を想像すると、それは全くちがったグループになっていたはずです。

 

 

改めて生田さんに10年間の感謝を言いたい気持ちで一杯です。

 

 

 

PS ぜひ紅白で「何度目の青空か」を観たいですね。あの時のくやしさと、それからの乃木坂の躍進のターニングポイントだったと思います。

 

 

PS2 生田卒業委員会の皆様お疲れ様でした。生田生誕委員会さんとは私が橋本生誕をやっている時に凄くお世話になりました。握手会のレーンデコレーションを始めたのも生田生誕だったのではないでしょうか。

初期の混沌とした中で一緒に切磋琢磨した仲間のような委員会でした。本当にお世話になりました。

このフライヤーも初期の乃木どこの生田さんの絵が使われていたり、懐かしい気持ちで一杯になりました。。。

 


 



 

2022年5月13日の金曜日追記します!

 

2022年5月14日15日に日産スタジアムで行われる10周年バースデーライブ開催にあたり運営より記念のアートワークが発表されました。

 

どの期生推しのファンにも胸熱な写真ですよね!

 

 

1期生

 

2期生

 

3期生

 

4期生

 

5期生

 

 

以上85名全員で到達した日産スタジアム。。。

 

そして推してきた数十万人のファンで到達した日産です。

 

2022年現在、これからも毎年ここでバスラができるでろう奇跡のメンバーが揃った乃木坂46。

 

これからも沢山のファンに感動と暖かい気持ちを与えてくれる素敵なグループでいてください!

 

 

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乃木坂46が今日2021821日で結成10周年を迎えました。

本当におめでとうございます。

 

私が初めて乃木坂を見たのは20111023日新木場STUDIO COASTで行われた1期生お見立て会でした。

 

 

今回は乃木坂10周年を記念して、私なりのこれからの乃木坂ファンへ伝えたい事を書いてみたいと思います。

 

 

 

10年前のお見立て会時期は、AKBが絶頂期を迎えつつある時代でした。

そんな中ソニーが逃した大きな魚AKBを取り戻すために企画されたのが、乃木坂46です。

お見立て会では当時のソニーミュージックの社長からのメッセージがスクリーンに映されて、史上最大のオーディションから選ばれたメンバーに対する大きな期待が語られました。

 

 

2回に分けたお見立て会は各回3000人のファン候補でいっぱいになりました。

その中には私のようになんらかの形でAKB関係のアイドルに関わってきた人、ライブアイドルに関わった人、AKBに乗り遅れたまったくの新規ファンがいたのだと思います。

 

いつの時代も新しいアイドルグループには大きな期待と、後発グループに対する不安があるだと思います。乃木坂も秋元さんが総合プロデュースするということで、48との差別化や位置づけにはファンの注目が集まりました。

 

AKBの公式ライバル」

 

当時のAKB人気に対してこれほど刺激的で、挑戦的なキャッチフレーズはありませんでした。恐らくオーディションで選ばれたメンバーも大きな戸惑いと不安でいっぱいだったはずです。それほど当時のAKBの勢いは凄かったし、追い越せるような存在ではなかったのです。

 

生駒さんが「ぐるぐるカーテン」初披露のAKBリクアワで言わされた「目標はAKB48 を超えることです」

というフレーズは途方もなく、ありえないことでした。

 

 

そして、201110月にはまだデビューをしていないグループでは異例の冠番組「乃木坂ってどこ?」が関東圏で始まりました。その後放送エリアが拡がり、この番組きっかけの新規ファンが大量に現場に来たのも特徴だったと思います。私の周りにも、それまでアイドルには全く興味なかったけど、TV番組見て握手会に来たという人がたくさんいました。実はそれが乃木坂の今のカルチャーなどを作って来たのかなと個人的に思います。

 

アイドルグループにとって現場の雰囲気というのはとても大切です。

特に握手会などを中心にやっているグループは直接ファン同士が交流することが多く、現場の雰囲気やいわゆる民度はその後の新規ファン獲得や、リピートファンを作ることに大きな影響を与えると思います。そして、運営会社がいくら頑張っても抗うことができない要素でもあるのです。

 

 

私が実際に体感した乃木坂のファンが起こしてきた奇跡と努力をいくつかご紹介します。

 

 

 

 

「ペンライトの統一感」

 

乃木坂の活動初期はまだ、ペンライトとかサイリュウムはさほど重要なアイテムではありませんでした。ペンライトも今では当たり前の色を変えられるタイプのものは珍しく、多くは色を決めてサイリュウムを炊く(光らせる)ということが中心でした。

 

その後可変式ペンライトが普及して、メンバーも自分からメンバーカラーを指定し始めました。

 

それでもまだ楽曲によって、メンバーよってカラーを統一することは至難の業でした。

なぜならば、乃木坂のファンの中には、全体的に何かをすることに抵抗があったり、ライトファンにはそこまで協力的ではない人も多かったのです。

 

その後Twitterが普及し始めた頃から(当初はMIXIが中心でした)、ファンが提案して可変式ペンライトを使っていくことが始まりました。そして、私の記憶では一番統一に熱心になり、取り組めたのはブルーシアターで行われたアンダーライブだったと思います。他のライブと違って会場が小さめだったことが良かったのだと思います。そしてその流れは西武球場や神宮球場でも繋がっていきました。


 

生田さんが復帰した時の黄色、水玉模様の水色or 青、何度目の青空かの水色or青などが次々と提案され、最初は50%位から、そのうちに80%位に、そして今ではほぼ100%できるようになりました。

 

 

実はペンライトの統一は、ハロプロや、アニソン現場では既に実行されていましたが、公式ライバルであるAKBでは曲に合わせて統一したりということはあまり行われておらず、乃木坂ファンがファン主導で(運営が関与したことはほとんどないはず)このカルチャーを作り出したことで、その後の新規ファンはライブで色を変えて統一することをとても楽しみにしてきました。ファン発信のファンサービスをする、これが一つの奇跡でした。

 

 

 

「生誕委員会という名のファンの横串と運営との信頼関係」 

 

生誕委員会というと今でも抵抗があったり、一部の特権的ファンがやっていることというイメージを持ってる方もいると思います。私もかつては生誕委員会を積極的にやっていましたので、抵抗する人がいたり、批判的に思われたことは沢山経験しました。

 

生誕委員会はもちろんどこのアイドルグループでも存在していて、推しの年に一回必ずやってくる誕生日をファンがお祝いしています。AKBでは専用劇場での生誕祭が今も行われていて、それぞれのメンバーの生誕委員会が存在しています。

 

乃木坂は専用劇場を持たないので生誕祭を行うことは非常に難しかったのです。しかしその後運営との話合いのなかで、握手会の休み時間のわずかの時間で行うことが許されるようになりました。最初は合同生誕祭で複数のメンバーが休み時間に出てきて、その後誕生月毎にのメンバーごとに1~5部の握手会の休み時間に順番に行うようになり、それを見たいというファンが握手券を持ってなくても会場に見にくるようなイベントになりました。

 

そして、握手レーンをデコレーションして生誕祭を盛り上げる独特のカルチャーも乃木坂ファンが作ってきたものです。

 

生誕祭の調整をするために、またファン同士のある程度のルールを作るために横の連絡板がLINEで運営され始めました。その後欅、日向、櫻の坂道でも同じことが行われていると思います。

 

この横串ともいえる連絡網を使ったり、派生して、生誕祭以外にも例えば成人式や、卒業イベントも企画されるようになり、それぞれが握手会場や、ライブ会場でファンによる、ファンサービスが行われるようになりました。もちろんメンバーも楽しみにしてくれていたと思います。

 

 

 

私が印象に残っているのは、松井玲奈さんの兼任解除の際に行われたセレモニー、川後陽菜さんがファン投票でモデルになれた時のお祝いセレモニーなどです。全てファンが企画をして、会場でのファンサービスになったと思いますし、運営も非常に協力的にサポートをしてくれるようになった、つまりファンと運営との信頼関係に繋がったことがとても大きなことだったのです。できそうでできない関係だと思いますし、ソニーという大手レコード会社がファンの自主性を容認してくれたことが素晴らしいことです。

 

 

 

 

 

 

その後も私は沢山のファンの起こした奇跡のような一体感を見てこれました。。。

 

 

病気で初めての神宮ライブ出られなかった橋本奈々未さんのためにファンが作った3万羽の折り鶴。

 

 

 

松井玲奈さんの卒コン実況中継におけるペンライトの統一。

 


 

 

 

生駒里奈さんのAKB時代の選抜総選挙における乃木坂ファンの協力。

  

永島聖羅さん卒業発表した時に誰が言わなくても自然に統一された武道館の黄色のペンライト。

 

 

最後に。。。

「乃木坂ファンへ」

 

乃木坂の10年間、私がガチファンだったのは5年半位で、その後はライブなどが当たったときに参戦したり、配信ライブを観る典型的なライトファンです。

 

それでも乃木坂は良いグループだなと思い、ずっとファンでいられるのは、今もTwitterなどで繋がっている会ったこともないファンとのコミュニケーションがあるかも知れません。

 

 

それが本当に大切なこと。。。

 

 

乃木坂が好きだということで、全国、いや全世界のファンと交流でき、情報交換ができる奇跡。これこそが本当に大切にしなければならないことだと思います。

 

そして、それぞれに応援しているメンバーがいて、誕生日には推しを超えてタグを作ってみんなでお祝いする。当たり前のようなことに奇跡があり、それを大切にしてきたそれぞれの時期のそれぞれの思いのファンがいる。

 

今あたり前だと思うことは実は当たり前ではなく、ファンが作り上げてきた大切なグループへの思い、推しへの思いです。 

 

私はそんな乃木坂が大好きだし、乃木坂ファンが大好きです。 

 

 

未来の乃木坂ファンにもそんな大好きな乃木坂を繋いでいってほしいなと心から願います。 

 

 

 

乃木坂46、10周年本当におめでとうございます!!!!

 

 

 
 
追記
 
乃木坂駅で流れる「君の名は希望」。
これもファンが主導で東京メトロの駅メロ募集で叶えたものです。
当時の投票結果はいろんな募集駅がある中で、乃木坂駅が圧倒的な投票数を占めたということです。
そして、そのほとんどが「君の名は希望」と書かれていたとのことです。
乃木坂駅と乃木坂ソニー運営の粋な計らいで、特別に生田さんがピアノで弾いた特別バージョンの
君の名は希望が流れています。
 
当時使われていたファンが作った宣伝用のフライヤーです。
握手会で運営了解の中で配布されていました。
 

 

乃木坂46桜井玲香さんの卒業ライブが201991日神宮球場で行われました。


私は玲香のラストライブを目撃したいと、2日目は現地に、3日目の卒コンはライブビューイングで参戦しました。神宮は3年ぶりでした。

 

まず、セットリストは前日までのものとさほど大きく変化はなく、まずはこれも玲香らしいなと感じました。

つまり、自分の卒業を特別なものにはしたくない、これからも続く乃木坂の通過点の1日であるということ。

さらにこの神宮3日間のセットリスト自体が玲香を含む乃木坂メンバーにとって今のベストであり、さらに今後の乃木坂を託すメンバーへのメッセージなのではないかなと思いました。

 

玲香との思い出は。。。

 

初期の乃木坂では全握などでほぼ全員と握手をしたりすることは難しくはありませんでした。


そして、メンバーも、どのファンがどのメンバーの推しであることは良く分かっていたとおもいます。


玲香と握手に行くと必ず奈々未さんの話になりましたし、「ななみんをよろしくね」という言葉もよくかけられた思い出があります。

 

そんな中で2012年秋のある時に事件が起きました。

京都の大学祭に乃木坂が出演したときに、いわゆるモッシュのような危険行為があり、そのことが複数のメンバーのブログであげられて注意喚起が行われたのです。(私は前日の学園祭には参戦していました)

 

その事件のメンバーの中に当時奈々未さんをかなりガチで推している女の子(当時高校生)がいたのです。その子は橋本奈々未生誕委員でもあり、とても元気は女の子であったため、恐らく当時乃木坂メンバー全員から認知を受けているようないわゆる、目立つヲタクでした。

 

私は生誕委員長として、こういう厄介行為は厳禁であると委員には伝えていたのでとてもショックを受けました。

  

そして、事件を起こした本人にはかなり説教的な電話をかけて、その後玲香を含むブログで注意喚起されたメンバーには個別握手券を取り一緒に謝罪に行きました。

 

玲香はもちろんその女の子のことはよく知っていて名前認知していました。

そして、泣きながら謝罪した女の子にとても優しく接してくれました。そして他のメンバーにも謝罪に来たことを聞いているし、いつも一生懸命乃木坂を応援してくれていることに感謝の言葉をかけてくれたのでした。

 

この時のエピソードは玲香がキャプテンとして、いろんなメンバーの握手会のことをちゃんと気にしてくれている、サポートしてくれている、玲香らしい懐の深い接し方で、と感じた出来事でした。そしてまだ正式にキャプテンに就任してからさほどの年月が経っているわけではないですが、近い将来素晴らしいキャプテンに成長する、人間としての成長を遂げる素質があるなと強く感じた瞬間でした。

 

秋元さんがなぜ玲香をキャプテンにしたのか。。。。


当時はポンコツなどと呼ばれやや批判的にみる人もいたのかもしれません。

 

私はこう解釈しています。

 

玲香の持っているキャプテンの資質を見抜くというよりも、キャプテンという役職、役割を与えた時に大きく成長できる可能性がある。つまりその役割にちゃんと適応できる素質を見抜いていたのではないかと。。。

 

それは、初期の生駒さんにも同じ理由でセンターの役割を与えたのかなと感じています。

 

もう一つのエピソードは「16人のプリンシパル」1回目2回目の時です。




 

玲香は1回目のプリンシパルでは暫定キャプテンという肩書きの中で、オーディション形式の舞台にとても苦労をしていました。もちろん玲香だけではありません。1期生に初期の一番過酷な仕事を上げてくださいと聞いたらかなりのメンバーが1回目のプリンシパルを挙げるのではないかと思います。

 

元々ダンスが好きだった玲香は1分間自己紹介の中でダンスを交えたり、時には父親と相談して決めた内容を披露しました。暖かい家族のサポートの中でアイドル活動をしているのだなと感じた瞬間でしたし、とても印象に残っています。

 

2回目のプリンシパルは乃木坂にとっての凄く大切な舞台になったと思います。


オーディションは役柄に立候補して、その役を争うという内容に変わっていました。




 

玲香を含めて、将来の目標に女優やミュージカルなどを考えるようになったメンバーにとって、役の多彩さや、難易度がさまざまありチャレンジングは舞台でした。

 

そして玲香は難しい役に果敢に挑戦し、「いつみ」という役柄ではとても怖くてヒステリックな難しい役柄をやりきりました。その本気の取り組み方や、役への入れ込みは将来女優を目指すのかなと予感させるには十分なパフォーマンスでした。

 

そして、その後のいわゆる外仕事の中での玲香の女優の仕事のクオリティと取り組み姿勢は継続しているのは言うまでもありません。

 

私は個人的には2014年のSET(スーパーエキセントリックシアター)の三宅裕司さんの芝居でみた玲香の演技と歌声がとても印象に残っています。




 

最後に。。。

 

キャプテンとしての玲香はいつも重圧の中で苦しんでいたはずです。


初期の握手券の売れ行きも正直あまり良くなかったことも苦しかったはずです。

 

AKBの公式ライバル。

この言葉の重圧の中でAKBを超えることが目標だった乃木坂。

8年経っても恐らく玲香はAKBを超えたとは思っていなでしょう。

なぜならば、AKBには永遠の感謝とリスペクトの気持ちがあるから。

その気持ちは卒コンのアンコールセトリの「会いたかったかもしれない」で示しました。


でも、玲香の中での8年間は振り返れば本当に充実していたはずです。

 

そして、これからはグループという枠を外れて、キャプテンとしての重圧から解き放たれていよいよ個人活動で結果を出す時です。

 

8年間キャプテンをやりきった玲香。2度のレコ大、ドームライブ、海外公演。

これ以上望む必要のないような結果を出してきました。

 

今度は桜井玲香という一人の女性と向き合い、自分を超える戦いのスタートです。

8年間のキャプテンをやりきったことが玲香の財産であり、これからの人生に必ず大きなものになるはずです。

 

名キャプテンに成長して卒業していく玲香にこれからも陰ながらエールを送り続けます。

 

「努力・感謝・笑顔」


良いお仕事を続けてください!




またふらっとお芝居を見に行きます!